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【気まぐれエッセイ】私にこんな日が訪れるなんて

-私にこんな日が訪れるなんて-

12歳の私は、卒業式の日、そんなふうに思ったんだ。

自分が小学生じゃなくなることが、なんだか不思議でたまらなくて。

6年間。

それは大人になるとわりと早く過ぎ行くけれど、子どもにとっては、まるで生まれてからずっと小学生で、自分は小学生という生き物なんじゃないかと思えるほどに、長い長い年月だ。

もちろん頭では、人はいつか大人になるし自分だって等しくそうなのだと理解していたけれけど、自分が "子ども" じゃなくなるなんて、何だか現実味がないように感じられた。



中学生じゃ、まだ大人とは言えない。

それは分かっていたけれど、電車賃は大人と同じだけ払うことになるし、制服に袖を通せば、もう絶対ファミレスでお子様メニューは渡されないだろう。


子ども時代を終えて、思春期という特殊な時代が幕を開ける。

あぁ、自分にもついに来たんだ、そんなときが。そんなふうに思った。


いつも観ていたアニメや漫画の主人公は、みんな中高生だったから、「いよいよ私の物語もはじまるんだな」って、そんなふうにワクワクもした。


中学を卒業するときも、高校を卒業するときも、成人するときだって、色々と想うことはあったものの、ここまで大きな変化を感じることはなかった。



-私にこんな日が訪れるなんて-

私が二度目にそう感じたのは、わりと最近のこと。


それは、20代を終えるとき。


"子ども" じゃなくなったあの日から、いくつになろうとひと繋ぎで続いていた "思春期" を、私は30歳を節目にようやく卒業した、そんな気がしたのだ。


「年齢はただの数字」という考えに、私は大賛成だし、年を重ねるごとに実際、年齢はさほど重要ではなくなってくる。


しかし若ければ若いほどに、やはり年齢は、数字以上の意味を持つ。

30歳は、年齢を「ただの数字」と言ってのけるにはまだ若い。



人間力を上げていかなくては。


そう強く思った。



早いもので、長かった "思春期" を卒業して2年半が過ぎた。

誇れるほどの人間力なんて未だにないけれど、昔より随分、自分の機嫌をとるのが上手くなったとは思う。


すべては自分次第なのだと、腹から思えている今の自分が、私は好きだ。




-私にこんな日が訪れるなんて-

きっと人が、最後にそう思うのは、今世を卒業するときではないだろうか。

そんな日を心安らかに、清々しい気持ちで迎えられるように、"今" を懸命に生きていこう。



この春、どこかを、何かを卒業される皆さまも、どうか"今" に心を尽くし、どうか "好きな自分" に向かって歩いてね。








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