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第60回文藝賞短編部門応募作品:太朗のひまわり

第60回文藝賞短編部門応募作品です。
落選したのでこちらに掲載します。


太朗のひまわり

 部活を引退する時期が来た。
 そろそろ大学受験に向けて勉強もしないといけないし、いつまでも生物部にはかまけていられない。
 けれども、生物部で飼っていたゴールデンハムスター。この子は俺が引き取ることにした。
 後輩たちもこの子のことはかわいいらしいのだけれども、小さすぎて握りつぶしてしまいそうでこわいらしく、いつも世話は俺がやっていたからだ。
 ケージから残った餌から全部引き取って、俺はこのハムスターと新しい生活をはじめることになる。
 この子の名前は太朗。
 太朗、俺はこれからがんばるから、見守っててくれよな。

 後輩たちへ。
 太朗が一歳の春を迎えました。
 後輩たちも太朗と同じように元気にしているだろうか。俺はというと、ちょっと疲れてはいるけれど、元気だからそんな疲れるようなことができるんだよなと思っている。だから元気だ。
 みんな知ってるように、俺は無事に高校も卒業できて、今は大学に通うために東京に出ている。
 東京の大学は土手のすぐ側にあったのどかな高校とは全然違う世界で、人が多くて忙しない。
 そんな忙しない中で、俺は大学に通いながらバイトをしている。
 講義とバイトを両立するのは大変だけれど、まぁ、多少の遊ぶ金のためなら仕方ないかな。いつか迎える卒論のためにパソコンも買わないといけないし。サークルに入る余裕がないのがちょっと残念だけれども、まぁ、うん、なんだ。ちょっと良くない感じのサークルもあるので、下手なのに入り込むよりは、講義とバイトに打ち込んだ方がまだ安全かなという気がしないでもない。
 大学とバイトで忙しいけれど、家に帰って太朗が待っててくれるととても安心する。俺が家に帰るとすぐにわかるみたいで、いつもケージに鼻を押しつけて出迎えてくれる。
 ごはんはたっぷりごはん箱に入れているのに、俺の手からごはんを食べたいらしく、俺が帰ってくるのを見ると、自慢の出っ歯を見せて手をばたばたさせるんだ。すごくかわいい。
 太朗はあいかわらず元気で、回し車ではしゃぎすぎてよく吹っ飛ばされている。痛くないのかなとは思うけれど、太朗はきょとんとした顔をしてまたすぐに回し車に乗るんだ。ほんと懲りないやつだよ。
 今の家に引っ越してからは、この家がワンルームで広くないのもあって俺が休みの日なんかには部屋の中で散歩もさせてる。いわゆる部屋んぽってやつだ。
 部屋の中で歩き回る太朗は、何度見ても部屋の中のものがなんでも珍しいみたいで楽しそうに走り回ってる。たまにフローリングで空回りしてるところなんて、本当にほほえましい。
 その姿を見てると俺も楽しくなるけど、荷物の隙間に入り込まないようには気をつけている。万が一、うっかり潰してしまうなんてことがあったら大変だからな。
 そうそう、あと、太朗は相変わらす食いしん坊で、時々頬袋の中にひまわりの種をぱんぱんに詰め込んだまま寝てることがある。そんな時は手で顔を撫でたり、口元に手を持っていってもぐもぐしたりと、夢の中でもごはんを食べてるみたいだ。ほんとに食いしん坊なやつだよ。
 こんなかわいい姿、そうだなぁ、ビデオにでも撮って後輩たちに見せられればいいんだけど、あいにくうちにはビデオなんてものはないから、見せられない。とても残念だよ。
 そんな食いしん坊の太朗が最近気に入ってるのはにんじん。俺がなんとなく野菜炒めに入れ損ねたひとかけを渡してみたら、一生懸命かじってて、すごくうれしそうだった。心なしかにこにこしてるようにも見えたな。
 だから、最近はにんじんもたまにおやつであげるようにしてる。
 でも、実は俺はにんじんがちょっと苦手だから、太朗が食べなかった分のにんじんを食べるのが大変だ。これで俺がにんじんを克服したら、後輩たちには笑って欲しい。すっかり太朗の親馬鹿になってると言われたら、それは俺にとってはすごくうれしいことだから。
 だってしょうがないじゃないか。太朗は後輩たちと一緒に生物部に来たんだぞ。かわいくないわけがない。
 後輩たちと太朗、どっちがかわいいかときかれたら、ごめんな。今は太朗の方がかわいい。こんなことを言ったからといって、後輩たちが拗ねるほど子供じゃないのはわかってるから、ちょっとだけ甘えさせてくれ。
 そういえば、後輩たちに渡したいものがあったんだ。太朗が一歳になった時、お祝いに太朗の写真を二十四枚撮った。その中から特にかわいかったやつを三枚選んで焼き増ししたから、それを後輩たちに送る。
 写真は、この手紙に同封しておきます。
 太朗のかわいい姿を見て、思う存分、こんなかわいい子と毎日を過ごしている俺のことをうらやましがってくれ。

 後輩たちへ。
 太朗が二歳の春を迎えました。
 ほんとに、ほんとに俺はびっくりしてるんだ。後輩たちも知ってると思うけれど、ハムスターの寿命は二年って言われてるところで、太朗は元気に二歳の春を迎えた。こんなにうれしいことがあるだろうか。
 さすがに元気がなくなってきててもおかしくないのに、太朗はあいかわらず回し車を勢いよく回して吹っ飛ばされている。
 元気なのはうれしいけど、なんでこんなに元気なんだろうな。もしかして、お気に入りのにんじんが効いたのかな。
 そう、にんじんといえば。俺もすっかりにんじんを食べるのに慣れてしまったよ。今ではすっかりにんじんがおいしいと思えるようになった。
 後輩たちは好き嫌いはしてないか?
 ちゃんとごはんを食べて元気にしているか?
 もしちゃんとごはんを食べて元気にしてるなら、太朗に教育されてにんじん好きになった俺を笑ってくれ。この親馬鹿って。
 太朗はあいかわらずかわいいよ。大学とバイトで忙しくて疲れてても、太朗にかまってれば元気になれる。太朗はどんな栄養ドリンクより効くな。
 でも、ちょっとだけこの前心配なことがあったんだ。
 実は、太朗が体調を崩してしまって動物病院に連れて行ったんだ。
 もう二歳だし、そろそろ覚悟しないといけないかと思ってたら、なんと、食いしん坊すぎてごはんを食べ過ぎていただけだったらしい。
 先生の指示通り、おやつを少し減らしたら太朗はまた元気そのもの。ほんとに安心したよ。
 太朗を病院に連れて行くのにパソコンを買うための貯金をだいぶ崩したけど、大丈夫。お金はまた稼げばいいから。太朗が無事な方がよっぽど大事だよ。
 だって、太朗が死んでしまったら取り返しが付かないじゃないか。それなら俺は、お金よりも太朗の命の方を取るよ。大事な家族なんだ。当然だろう?
 病院の先生に食べすぎは心配だけど、いっぱい食べる食欲があるうちは大丈夫だって言われて安心したな。動物も人間も、食べなくなってきたら危ないらしいから。
 そう、食べすぎといえば。この前も太朗はひまわりの種を頬袋いっぱいに詰め込んだまま寝てたんだ。いつもみたいに手を口のあたりにやって、口をもぐもぐさせて、夢の中でもお腹いっぱい食べてるみたいだった。
 起きてからお腹が空いてるのに気づいたのかきょとんとして、頬袋からひまわりの種を出して囓ってたよ。そんなところもほんとにかわいい。
 太朗を病院に連れて行ったのもあってバイトはますます忙しいし、大学の講義やゼミも忙しい。最近は書かなきゃいけないレポートも増えてきて本格的にパソコンが欲しくなってきたけど、大丈夫。俺はまだ手書きで戦える。
 大学に入って一年。もう大学にもバイトにもだいぶ慣れたよ。それに、家に帰ってきたら太朗が待ってるんだ。今の生活に不満なんてない。
 あえて言うなら、太朗にかまうのが楽しすぎて大学であまり友達ができていないのが不満というか不安ではあるけど、出られなかった講義のノートを写させてもらえる程度には仲の良い人はいるから大丈夫。
 いや、これは大丈夫なんだよな? きっと大丈夫。
 そうそう、去年送った太朗の手紙の返事と、後輩たちの寄せ書きをありがとう。俺だけじゃなくて太朗にもメッセージをくれてうれしかった。
 太朗に見せたらわかってないみたいだったけど、あの寄せ書きは飾ってある。なんせ太朗が後輩たちにも大事にされてるっていう記念だからな。
 今年は後輩たちも大学受験だろう。どこの大学を受験するか俺は知らないし、無理に訊く気もないけれど、がんばってほしい。
 後輩たちが希望の進路に進めるよう、太朗と一緒に応援してるから。
 これは応援になるのかな。太朗の二歳の誕生日に、また写真を二十四枚撮ったんだ。
 その中でも特にかわいいと思った三枚を焼き増ししたので送ります。
 太朗の写真で後輩たちが少しでも励まされてくれたら、俺としてはこれ以上にうれしいことはない。
 またお返事を待っています。

 後輩たちへ。
 太朗が三歳の春を迎えました。
 三歳だぞ三歳! まさか太朗がこんなに長生きするなんて思ってなかった。予想外ではあるけれど、こんなに長生きしてくれてうれしい。昨日だって、俺がバイトから家に帰ると、いつもみたいにケージに鼻を押しつけて出迎えてくれた。ケージを開けててのひらの上に乗せたらにっこり笑って手でくしくしと顔を洗うんだ。ほんとに、ほんとにかわいくて仕方がない。
 太朗は今、いつもみたいにひまわりの種を頬袋いっぱいに詰め込んでにこにこしている。ごはんがいっぱいあるのがわかるんだろうな。
 あいかわらず回し車もお気に入りで、よく回し車の中で走ってる。
 でも、さすがに最近は歳なのか、勢いが付きすぎて吹っ飛ばされるってこともなくなってきた。心なしか、普段の動きもよぼよぼしてきた気がする。
 まぁ、仕方ないよな。もう三歳だからな。
 お気に入りのにんじんも、食べるのがゆっくりになってきた。それでもやっぱりおいしいのか、にんじんを囓ってるときはうれしそうにしているのだけど。
 そう、太朗はそうやって元気にしてるけれど、最近は病院に行くことも増えてきた。
 太朗の身体はとても小さいけれど、かかる病院代は安くはない。
 いや、太朗の命と天秤にかけたら安いと言ってしまってもいいくらいなのだけれど、財布の中にお金があるかどうかはまた別問題だ。
 太朗を定期的に病院に連れて行くのに、最近バイトを増やした。そうしないとなかなか厳しいものがあるからだ。
 いや、講義もゼミもサボってないから安心して欲しい。ただまぁ、忙しくはなったな。
 太朗と一緒に過ごせる時間が少し減ったけど、これから先ずっと太朗に会えなくなるよりはずっといい。だからがんばる。
 パソコンを買おうと思って貯めてた貯金もだいぶ崩してしまって、いまだに買えていない。
 でもまぁ、レポートを手書きで書くのも慣れたものだし、問題はないよ。
 後輩たちもみんな大学に受かったと聞いた。みんな東京の大学らしいし、東京に出てくるんだろう?
 大学が忙しいのはわかっているけれど、もし暇なときがあったら太朗に会いに来てくれ。
 きっと太朗も、久しぶりに後輩たちに会えるのを楽しみにしてるよ。
 そうそう、この前太朗の三歳の誕生日に、また写真を二十四枚撮ったんだ。
 特にかわいかった写真を三枚選んで焼き増ししたから、また後輩たちに送ります。
 あと、この前も手紙の返事と寄せ書きをありがとう。
 後輩たちも太朗のことを心配したり、誕生日をよろこんでくれたりして、すごくうれしくなった。
 後輩たちからすればすこし恥ずかしいかもしれないけど、あの寄せ書きもまた部屋に飾ってる。
 それくらいうれしかったんだ。ありがとう。

 後輩たちへ。
 この前の手紙から間がないけれど、どうしても後輩たちに伝えないといけないことがあって筆を取りました。
 桜の花が咲く前に、太朗が虹の橋を渡りました。
 やっぱり、四歳ともなると限界だったんだ。
 最期は体調を崩すということもなく、いつもみたいにお気に入りの回し車に乗って、でも走ったりせずにそのまま眠って起きなくなってしまった。
 せめてもの救いは、最期に太朗が苦しむ様子もなく、ほんとに、ただ寝ているだけのように見えるほど安らかに終わったことだろうか。
 太朗は、俺と一緒に過ごしてしあわせだっただろうか。今となってはわからない。
 知ってるのは太朗だけなのだろうけれども、昔撮った太朗の写真を見て、太朗がにこにこしているのを思い出して、きっとしあわせだったんだと俺は思いたい。
 俺はこれから就活と卒論でますます忙しくなる。その忙しさの中で、太朗のことを忘れていってしまうのがこわくて仕方がない。
 できればずっと、太朗のことを覚えていたい。忘れたくない。
 後輩たちへ。もし慰めてくれるのであれば、また寄せ書きをください。太朗との思い出をください。
 太朗が亡くなる直前に、いつもみたいに写真を二十四枚撮ったので、太朗がとびきりしあわせそうにしている写真を三枚選んで焼き増ししました。
 この写真も、手紙に同封しておきます。

 後輩たちへ。
 久しぶり。こんな時期に暑中見舞い以外の手紙を送るのははじめてかもしれない。
 俺は今就活と卒論で忙しいけれど、なんとかなっている。太朗の病院代が減った分、バイトを減らせたからなんとかなってるのかもしれない。
 太朗がいなくなって寂しい毎日を過ごしてたけど、最近、太朗が会いに来てくれたのかなということが起こったんだ。
 冷たくなった太朗はベランダに置いているプランターに埋めたんだけど、春を過ぎた頃にプランターから芽が出て、夏になるに従ってどんどん伸びて、今では大きな黄色い花が咲いている。
 多分、太朗の頬袋にひまわりの種が残ってたんだと思う。
 太朗は最期の最期まで食いしん坊だったんだなって思うと、なんだか今でも太朗は俺の部屋で部屋んぽをして、料理の時に落とした野菜くずを囓ってるんじゃないかって気がしてしまう。
 プランターに咲いた大きなひまわりの花は、太朗の生まれ変わった姿なんだと思う。
 生まれ変わった太朗の姿を写真に撮って、特にきれいに撮れたやつを三枚焼き増ししたので送ります。
 このひまわりから、うまいこと種が取れたらまた来年もプランターに蒔こうと思う。
 毎年種を取って、毎年ひまわりの花を咲かせたい。
 そうすれば、太朗とずっと一緒にいられる気がするんだ。

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