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【吟遊日誌】

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★吟遊詩人・永遠 克光(作詩屋)が全国各地を散策しながら、即興で詠んだ「吟遊詩」をご紹介します!(不定期更新)
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#吟遊詩

【三月六日】府中郷土の森にて

【三月六日】府中郷土の森にて

恐竜の鳴き声がする郷土の森は
花の兄者と呼ばれる梅たちが
思いのままに咲き誇っている
月影、白加賀、紅千鳥…
蝶の羽重ね、白牡丹…
豊後、鹿児島、道知辺…
小川のほとりに立つ養老は
冬至を越えた梅郷の梅を
見張っているようである
そんな中、ひとつ気になるのは
細々と咲く小梅の存在
祭騒ぎの花見客たちには
気づかれることのない存在
広場で遊ぶ子供たちにも
気づかれることはないだろう
頑張れ、小梅!

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【十一月十四日】塩の道公園にて

【十一月十四日】塩の道公園にて

塩や肴を運ぶための
相良から信州へ延びる
秋葉街道は約250キロ
秋葉信仰を唱えた僧侶たちも
処世訓を口にしながら
ひたすら歩いたのだろうか
『不足不満の心が出てくるのは
感謝の心が乏しいからである』
工芸ボランティアによって作られた
掛け軸の中にあった言葉
文明の利器は恐ろしい
絶えず何かに不満を覚えながら
のうのうと生活している現代人は
いったい何様のつもりだろうか
ふと我を振り返った瞬間

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【六月十三日】吉見百穴にて

【六月十三日】吉見百穴にて

「神の代はかくやありけん冬籠」
百穴と呼ばれる軍需工場跡には
追葬を重ね、何人もの死者が眠る
身分によって横穴も棺座も変わり
豪族たちに対するもてなしは見事
実際に掘削した朝鮮人等の苦労は
百穴で自生するヒカリゴケと共に
今でも我々に輝きを発している
数々の玄室を覗き乍ら階段を上り
眼下に市街と松山城跡を望めば
八丁湖に隣接する十六穴と
八十八体の仏像には歴史を感じる
いくら日本と朝鮮の平和を願っ

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【七月十六日】桐ヶ谷斎場にて

またひとり親戚を失った
親戚を失う度に聞かれるのは
仕事は今、何をしているのか…
亡くなった伯父さんのことは
いっさい話題に上らない
聞かれて答えにくい職業なら
しない方がましなのかと
ずっとずっと悩み続けながら
また今日も同じ質問に答える
そして私の親も同じように
頭を抱えながら苦笑いをする
仕事は仕事と割り切って
私は常に誇りを持っていた
きっと伯父さんだったら
私を理解してくれるだろうか

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【二月二十六日】吉川英治記念館にて

【二月二十六日】吉川英治記念館にて

もう咲き頃かと思った吉野の梅は
まだ一分咲きといったところ
虫たちが冬眠から醒めないから
梅も春の暖かさを感じていないのか
諦めて街道を引き返そうとした時
英治先生に呼び止められた
「お茶でも飲んでいきなさい」
書斎の前には大きな椎の木があって
夫人が木の下でお茶を点てていた
筆を絶たれてからの生活は
村民たちとお気楽なご様子
自分が良かれと思うことも
他人は悪しとするかも知れない
自分で自分を下

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【八月十五日】玉川上水端にて

【八月十五日】玉川上水端にて

ヒグラシ・クマゼミ・アブラゼミ
夏のオーケストラを聴きながら
次の季節を探しに来ました
岩崎橋の近く
ヘレニウムの群生が
突然、私に襲いかかりました
美味しそうに生っているキウイに
見惚れていた罰でしょうか
井の頭公園にさしかかると
タマアジサイが細々と咲いています
競技場で遊ぶ子供たちは
全く無関心のようですね
むらさき橋の近く
槿の花に肩を叩かれました
つい先ほど、国木田先生が
通り過ぎて行か

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【八月二十三日】磯部公園にて

【八月二十三日】磯部公園にて

親父の社用で連れて来られた
一時間はかかるからと言われて
折角だから駅の方まで歩いた
駅周辺の案内板を見てみると
日本最古と言われる温泉地に
多くの文人たちが訪れていた
拓次、白秋、犀星、朔太郎…
公園の池は愛妻の池と呼ばれ
この地を訪れた文人たちは
果たして愛妻家だったか…
ふと考えていたら川のせせらぎと
梁場からの騒めきが耳に入った
公園のすぐ下に碓氷川が流れていた
梁には鮎がかかっているのだ

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