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選びだす情熱と力を

ここ3年ほど、心を苦しめていた事象が解消して、ちょっと落ち着いて過ごせるようになりました。

なんで、急に解消しちゃったのか、さっぱりわかんないけど。私が変わったのか、相手が変わったのか。結局人の動き(人事異動)があって、流れが変わったとしか考えられないんだけど、私自身も見方や考え方を変えざるをえなくなって、結果良い経験だったと言える・・・ほんまかいな・・・うん・・・ほんま、ほんま。

今夜は、こちらの企画に参加します。

楽しい企画をありがとうございます。

前回は初めてだったのので、何を書いたのかさっぱり覚えていないんですが、ただ、一点ルール違反をしちゃってまして、

その3 書きあがったnoteは見直さず寝かさず、即公開するこ

すみません、見直しちゃいました。
そして、誤字脱字も直しました。
なのに、肝心の「呑みながら」の「呑」の字を「吞」にしてました。

ほんっと、ごめんなさい。

では、気を取り直して、今宵のお供の紹介を。

今日、近くの道の駅で買った兵庫県が誇る神戸牛のポテトチップス。高級品。

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そして、5年ほど前に切ってしまった我が家のさくらんぼの果実酒。

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お酒を飲むのは久しぶりなので、ちょっとだけ。氷をいれて水で割りました。(ほんとは炭酸水で割りたかったけど、夜遅くに田舎道を歩いてコンビニまで買いに行くのが怖かった。体は五十路でも、心は乙女なんで・・・)

最近、考えるのが、わたしを作っているものがなくなったら、わたしはどうな姿をしてるんだろうってこと。はい、考えすぎ発動中です。

たとえば、ここ兵庫県に住んでいるってこと。仕事の種類。夫の属性(職業とかおつきあい)。子どもの属性。父母、兄弟の属性。

そんなもので、私が選択の余地ないカテゴリーに所属して、しなければならないことをやって、気づかないうちに、自分を見失っていないか。

もっと、最初っからだと、生まれた瞬間、生物学的な形っていうんだろうか? 女の形で生まれた瞬間、「女」だったらこうだよっていう選択に振り分けられる。それは、自分じゃない出来上がった一般論が私に「こうだよ」って言ったから「そうなんだ」と受け入れたもので、そうでなければもっと違う選択があったかもしれない。

そもそも、あれとこれどっちにする?とかっていう選択が、なかったら。もし、今まで選択してきたものを全部クリアしたなら、「わたし」になにが残るんだろう。

こんなことを考えるのjは、選択する自由が多すぎるからかもしれない。

(さくらんぼ酒なくなったので、今年作った青じそのジュースにチェンジ。これ、けっこう、美味しいです。)

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もちろん、与えられた選択肢や選んでもらったもの(こと)があっての自分なので、今の自分を支えてくれた人、支えてくれる人には『ありがとー』って叫び続けて感謝の気持ちを伝えたい。

でも、今、今から何かを選ぶときに、今まで経験してきた選択肢の中じゃなくて、定番も前例もない、宇宙規模くらいの中で(おいおい、大丈夫か)、たった一つ自分にとって、「これだ!」って言いきれるくらいの選びだす情熱と力が欲しいなと思う。


おやすみなさい。よい夢を。

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タイトルの写真、何かないかなって探してたら、エリカさんの「人生には無限の選択肢がある」という写真に出会いました。ぴったり!と思ったので、使わせていただきました。ありがとうございました。

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