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Forget Me Not(第6章)

これは何?
 絵を描けなくなった画家である日向理仁を中心に、湖畔で起きた失踪事件の解明を試みるお話。

第6章
 眠りの中で夢を見ていた。
 「おいおい。なんてことだ」
 あまりの不可思議さに笑ってしまう。笑ってしまう?いや、笑えない。真顔で、正面の本棚を見つめる。夢の話だと完全にわかっていながらも深い後悔の海に顔を突っ込んで、抜け出せないような気になっている。息ができないし、吹き出物に塩が染みて痛い。


 昔飼っていた猫とテニスをしていた。そんなこと仕込んだ覚えはないのに、彼は後ろ足を立たせた二足歩行を自然とこなしていた。ラケットは綺麗な青色で、左の前足に握られていた。メンテナンスから戻ってきたばかりであるラケットのガットの張りを長いこと確かめていた。オレンジ色の毛並みに、ラケットの青色が映えて、曇った世界に明るさを取り戻してくれる天使のように見えた。彼の前世はテニスプレイヤーで、そのいくつか前には本当に天使だったのかもしれない。(その場合、彼は堕ちてきたことになるのだろうか?)思い出せば、彼の顔つきはとても穏やかでやわらかく、気品も、時には厳かささえ垣間見え、美術館に飾られている聖母子像の中に描かれても調和するのではないかと感じられたものだった。


 そんな猫と、私はテニスをしていた。いつか、どこかの、テニスコートで。軽く汗を流すくらいのラリーをひとしきりした後、不意に私はちょっと強めのショットを打ち返した。ほんの遊び心で。ただ、これは私にとっての、”ちょっと強め”のショットだった。彼は反応が遅れて、ボールを勢いよく外へ弾き飛ばしてしまった。どれくらい飛んでいっただろうか。湖の中心部の方へ、500mくらいのように見えた。野球のホームランの倍以上だ。私と彼は顔を見合わせて笑った。しばらくずっと、笑っていた。すると彼がふいにこう言った。
「理仁さん、ごめんね。ここで待ってて。泳いで、取ってくるから」
猫はいつの間にか獣の姿勢に戻っていて、あっという間に湖に飛び込んでしまった。彼は戻ってこなかった。

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