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Forget Me Not(第12章)

これは何?
 絵を描けなくなった画家である日向理仁を中心に、湖畔で起きた失踪事件の解明を試みるお話。

第12章
 私はキッチンに立ち、ここにやってくる前の自分が何をしようとキッチンへ向かったのかを懸命に思い出そうとしていた。私の息で膨らませたはずの考えが、外部からの光を鈍い虹色に反射しているはずのところ、そうかと思えば意図せぬタイミングでパッと消える。子供じゃああるまいし、自分の考えは自分の金庫でも水槽の中でもちゃんとしまっておけって、ああそうだ、そいつごと壊れちまったのなら、もう降参するしかない。なんとなく生きていたって、なんとなく生きていればなおさらだと思うが、人生にはそういう瞬間が誰にだってある。保存期間は、年々短くなっていく。

私はウィスキーを飲むことを思い出して、オールド・ファッションド・グラスに注いだ。暴虐的な過去を振り返る必要がある時、私にだって強い味方が必要なのだ。グラス1杯分を勢いよく飲み干すと、白い、猛々しい馬に跨った甲冑の騎士が目に浮かんだ。私は瞑想をするときのようにゆっくりと深呼吸をして身体の緊張をほぐし、目を瞑った。

いなくなった娘のことを思い出している。
娘はただひたすらに、愛に飢えていた。心が愛で潤うべきその時期に、愛は断絶され、心は乾き、脆く壊れた。娘が欲していたのは、雪の朝に柔らかくて暖かな毛布にくるまれるような類の愛だった。娘は、この世界にはそういうものがあるのだということを絵本を通して知っていてはいたが、それはお話の世界のみにあるもので、現実には有り得ないものだと認識していた。

私がそのことに初めて気が付いたのは娘がその存在を消した数日後、彼女の残した日記を読んでのことだった。それから5年が経ち、今度は妻がいなくなった。この事件を皮切りに、一連の行方不明事件が起こったのだった。

この妻は再婚相手で、娘の実の母ではなかった。娘にはあまり関心を持たず、必要なことを必要なときにしていた。賢い人だったから、街の書店で買ってきた2、3冊の子育ての本を読み終えると、大体のことをマニュアル通りにできてしまっていたことを覚えている。そんな妻だった。妻がいなくなったその日、コーヒーをテラスで飲もうとしているときに私たちはこんな話をしていた。
「もうあの娘のことは忘れてしまいましょうよ。その代わり、と言ってはおかしいかもしれないけれど、私とあなたの子供をつくらない?」

妻は元々重荷に感じていた娘を、忘れるきっかけを欲しがっていた。それを切り出したのがちょうどその日。娘も同じく、心を断ち切るきっかけを待っていたのかもしれないと、今となってはそんな推測もしっくりきてしまう。私が用意したコーヒーをテラスに運んだとき、そこにいたはずの妻が消えていた。何の前触れも、跡形もなく。

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