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牧場はじめました

1年以上ぶりにnote書こうと思い立ちました。

僕は(株)ファームノートデーリィプラットフォーム(以下FDP)という会社で酪農事業を担当しています。2020年8月から牧場経営を始めました。

ここで書いていく目的は、「一緒に牧場事業をやろう!」という人との出会いの場とし仲間を募ることです。

FDPでの実践を通じて酪農をはじめとする牛を飼うというライフスタイルを紹介し、その営みについての自分なりの考えを書いていこうと思っています。

まずは、自己紹介となぜ牛を飼うのか。について書きます。

2017年に畜産IoT事業を行う(株)ファームノート(以下FN)に獣医師No.0001として入社しました。

FNではプロダクトマネージャーとして、酪農・和牛畜産現場での経験と、獣医学・畜産学のドメイン知識を活かしながら、牛群管理ソフトFarmnoteと牛のウェアラブルデバイスFarmnote Colorの機能開発を担当してました。

その後、自社牧場を立ち上げることとなり、その事業責任者として牧場運営会社であるFDPにグループ内転職し、今は実際に酪農経営を行っています。

ちなみに、FNに入社するまでの経歴としては、

- 岐阜大学農学部獣医学科卒 獣医師免許取得

- 岐阜県の畜産研究所で研究員として和牛繁殖の管理と和牛子牛の疾病予防の実地研究に従事 

- 愛知県岡崎市で市内の酪農、和牛繁殖、乗馬クラブの診療、養豚場のワクチン接種、養鶏場のワクチン補助事業と動物園動物の診療に従事

- 地元兵庫で酪農牧場で従業員として従事

- 養鶏向けワクチンメーカーでテクニカルセールスとして従事

という感じで、割とジョブホッパーな感じですが、基本的には一貫して獣医学を強みとして産業動物領域に生息してきました。牛、ヤギ、羊、馬、豚、鶏と産業動物は一通り網羅してます。

で、その中でも単純に牛が好きなんです。牛を見ていると癒されるというのと、サイエンスの見地からも牛は奥が深くて飽きないんです。(個人的には生産者というよりもサイエンスとして酪農をやっている感覚の方が強いですね。)

自分の経歴を振り返ってこのような道を歩んできたのは、大学時代〜畜産研究所時代の牛を飼う経験を通じて、実際に牛飼いを生業にしたいと思うようになったことが大きいです。

特に、大学時代に実際に牛を飼う経験をできたことが大きな転機でした。

大学時代に二次診療として大学病院にきた和牛子牛を治療したのですが、その所有者の方が「共済金をもらってその子牛を廃用にしたい」ということになったのでその子牛を大学の先生の協力で引き取ってもらいました。そして、自分含む有志の学生5名で育て、肥育まで行って、ペットのように可愛がり、最後は一緒に屠畜場に行って、屠殺されるところまで見届け、そのお肉の一部を買い戻して食す、という経験をさせてもらいました。

“一頭の牛を子牛の頃から愛情を込めて育て、最後はその命をいただく。”という経験は、与えられる豊さを漫然と享受して生きてきた学生の自分にとっては、それまでの人生観を変えるには十分な経験であり、その命をもって僕たちの生活を豊にしてくれる産業動物とそこに関わる人たちに貢献したいという思いから獣医師として産業動物に関わる道を選びました。

でもやっぱり農家の血が流れてる。

獣医師として牛に関わり始めてすぐに、その奥深さに魅せられるとともに、獣医畜産学が「牛を飼う」という生態系のごく一部でしかないことに気づき、すぐにもっと広い範囲を知りたい、養牛に関わる全てを自分でやってみたいと思うようになりました。獣医師というより、生産者になりたいなと。

経歴の中にある酪農牧場従業員もその農場を継承することを目的として働いてました。そこはうまくいきませんでしたが、その時のことはまた追々書ければと思います。

そもそも僕個人として、もともと農業には強い関心がありました。

僕の母方の祖父がお米農家で、90歳になろうという今でも、肺を患って酸素ボンベを背負いながら、みんなに止められても田んぼに出ていくクソジジイでした。(あ、まだめっちゃ健在でした。)

そのじいちゃんを小さな頃から近くで見て育ちました。

じいちゃんのについて田んぼに行って田んぼで遊ぶ傍で、一粒の籾殻が苗となり、その苗がおたまじゃくし・ドジョウ・ザリガニ・スイスイ(ホウネンエビ)などたくさんの生命で溢れる水田で青々と育ち、秋にはたくさんの実をつけた穂が垂れるという不思議を体験してきました。手をかけただけその年の豊作となって返ってくる喜び。それが、じいちゃんを夢中にさせてたんじゃないかと、大の大人が夢中になるような仕事が農業なんだなと、田んぼで遊びながら感じていたんだと思います。

それが、大学での出会いによって僕の関心の対象は牛になりましたが、やはり生産者としての生き方に魅力を感じ、自然とその道を選ぶことになりました。

でもやっぱり農業生産者になるって難しい。

僕はFNに入社しFDPの立ち上げに関わることができ、今は自分で望んだ酪農経営をすることができています。

しかし、一般的には非農家に生まれた人が新規就農するにはまだまだハードルが高いのが現状です。特に酪農はハードルが高い類に入ると思います。

大きくは、技術の課題、資金の課題、既存生産者とのマッチングの課題、就農条件に関しての課題など高いハードルが複数あるため、それをクリアして非農家から新規就農できる人はごくわずかです。

そのため、農業畜産系の高校・大学などで酪農や和牛に魅力を感じた学生も大抵の場合は、自らが就農する道は早々に諦め、せいぜい業界内の酪農・畜産関係の企業に就職するのが関の山です。

その結果、日本の酪農家戸数は2000年代は前年対比5%前後というハイペースで減り続けています(2000年に33,600戸→2020年14,400戸:出典 一般社団法人Jミルク)。

これまでは、生産者数の減少の一方で、残った生産者の規模拡大や一頭あたり生産量の向上によって日本全体での生産量は比較的維持されてきました(それでも2000年841万t→2020年736万tと結構減ってますね:出典 一般社団法人Jミルク)。もちろん少子高齢化やニーズの変化に応じて産業構造が変化しており減って然るべき部分もあるとは思います。

がしかし、個人的には今の酪農・畜産業についてはそれ以前に解決すべき課題が多くあり、それによって生産者数が減少し食糧生産基盤が弱体化していると考えています。

その一つは、職業選択の自由がないんじゃないかという点です。酪農に限らず、農業は大抵の場合、家業として営まれておりその経営を継承できるのはその家に生まれた子供に限られています。

かくいう僕自身、じいちゃんの跡をついで田んぼ農家になろうかと考えたこともありましたが、じいちゃんには息子と娘がいて僕は娘の子供なので、いわゆる”分家”でした。そういう理由で、基本的にはじいちゃんの農地を継承することはできず、農業をやりたくてもできないという状況でした。その一方で、「生産者の家に生まれたから」という理由で、別にやりたいわけではないけど農業をやっているという方も実際には多くいらっしゃいます。

だから、その課題を解決して望む人誰もが酪農生産をできる社会を作ります。

そこで、FDPでは酪農経営の参入ハードルを下げるような仕組み(前述の技術、資金の解決する仕組み)を構築して、離農生産者から牧場を引継いでそこでの新規就農をサポートしてきます。

そこで一緒に酪農生産をする人を募集していきます。

詳しいことは追々書いていきますが、今日はここまで。

(株)ファームノートデーリィプラットフォームについて

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