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紫藤ナナ女史に学ぶ、メンヘラ思考の差異

はい、酒飲んで酔って寝てしまったダメ人間です。お疲れ様です。一昨日辺りから久々に重めなヘラが来ている気がします。この感覚やっぱ辛い。それでも去年の今くらいよりは軽い症状だとは思うんですがね〜。

夜中に起きて眠れなくなってしまったので、Vtuberさんの切り抜きを見ていたのですが、ちょっとハマってしまったVtuberさんが見つかったので、ある意味有意義な時間だったとは思います。

紫藤ナナさんについては前々から知ってはいたのですが、今回改めて聞いていると共感?理解?出来るなと思いました。昔聞いた時には若干合わないと思った気がするのですが、話す内容が違ったからなのか、はたまた僕が変わったからなのか、彼女の主張が今の僕にはすごく刺さります。配信のアーカイブとかあんまり追っかけられない質なので、ご自身で切り抜きを挙げていられるのも大変嬉しい。

彼女は凄まじい過去を持ってらっしゃるようで、恐らく僕とは違うタイプの人間だと思います。環境、人間関係、価値観、そして性別。僕は男女に差なんて無いと基本的に思っていますが、ことメンヘラ的観点で言えば性別、特に身体的な特徴で大きく変わる部分があるんだなと彼女の話を聞いていて思わされました。ちょっと、該当の動画での発言から共感出来るところ、出来ないところを探っていきたいと思います。

「(メンヘラって私のこと好きって聞いてこない?という質問に)あたしも聞いちゃう」
「何回言われても安心しない」
「素の自分を好きになってもらえる覚悟がない」
これはメンヘラの基本的な所だと、僕は思っています。僕もよく確認しますからね、友人だったり家族だったり。「僕のこと好き?」「嫌いになったりする?」って。僕の場合恋仲の人間ではないので結構それに対する反応は様々ですけどね。意外と嬉しいと言うか、安心するのは「そういう風に聞いてくる所は嫌いかな」ってのですね。全肯定よりも信頼できる。

「能力がないと好いてもらえないと思うから」
うーん、僕これよく言ってますね。「自分の価値を示さなければ僕に居場所は無い」と何度ここで書いたでしょうね。無条件に愛してもらえるだとか、僕がただ生きていて尊いことだとか、根底では信じていないですし。

「言われなきゃ分かんないけど」
これは半々です。少なくとも昔はそう思っていました。親も、友達も、周りにいる人は皆「そんなの当たり前」って言うけど、僕には分からないから言葉にしてほしい。だけど、そこで僕が恵まれていたのはそう言った時に皆口にしてくれた事だったと思います。不思議なもので、口にしてもらうようになったら少しづつ少しづつ、分かるようになるんですねこれが。だから今の僕には言葉に理解や経験は有っても、気持ちは共有できていないだろうなと思いました。

「そもそもベースは自分なんかが愛されるわけがない」
「誰が自分を愛してないって自分なんだよね」
これは本当にそうですね。僕が愛される資格があるように思えませんし、基本僕は僕を常に嫌っているように思います。それが普通で、それが当たり前。自分を大切にしたい気持ちはあっても、愛せる理由が、愛してもらえる理由が見つからない。だから僕は僕が嫌いなんです。自己肯定感に常に飢えている餓鬼のようなものです。

「きっとそれはセックスが上手いから」
「顔が可愛いから」
「お金が稼げるから」
これは僕には共感できませんでしたね。僕に性的魅力、経済的魅力があるとはお世辞にも言えませんし、性のはけ口に成りようがないので。むしろどちらかと言えばそういう分かりやすい方法が無いからずっとオロオロおどおどしてるんだと思いますし。どちらがいいかと言われるとどっちも辛いですけどね。

「そうだよねごめんなさいあたし調子に乗ってましたごめんなさいあたしのことなんか好きな訳無いですよね」

「はいやっぱり私は愛されませんでしたいつもゴミです昨日もゴミでした」

なんでこんな的確にヘラってる時の心を言い当てるんでしょうかね。素直に言葉にするのが凄く上手い方だなと感心してしまいました。もうこれ聞いてずっと泣いてましたからね、いつもこれですから。

「穴を好きでいてくれているんだな」
これが最初に言った性別の身体的差異から来る根本的な違い。僕はこれがないから、女性であったらと少なからず思ってしまうのです、失礼な話ですけど。女だったら嘘でも好きって言ってくれるんじゃないか、こんな自分でも道具としてなら価値を見出してくれたんじゃないかって、病んだときに想像を働かせずにはいられない。普段の性別感とは全然違う、単純で誰にもリスペクトのない嫌な考え方をして、殊更自己嫌悪に走るのです。

今まで自分のメンヘラ仕草が女性的なのか、それともそう思いこんでいるだけの気持ち悪い妄想癖の男なのかがよく分かっていなかったので、女性視点でここまで分かりやすく話をしてくれているということが、僕自身の理解も深まって凄く良かったような気がします。やっぱり人の話を聞くのは有意義ですね。

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