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僕の人生はゆめにっき

僕のNoteにつけたURLは何も、フリーゲームから取ってきているわけではない。僕の人生はまさしく古蝶の夢。何処まで行っても曖昧で、偽物で、そこにあると保証も出来ない。
だからこそ、僕の脳内を記すならそれは夢日記をつけているようなものである。嘘である。本当はぱっと頭に浮かんだ単語をつけただけである。

とはいえ、冒頭のフリーゲームも僕は大好きだ。ニコニコ全盛期の時代、所謂ツクールホラーとも言われたRPGツクール制のホラーゲームは山のように作られたが、「ゆめにっき」はその中でも異彩を放っていたと言っても良い。多くの人物がこの不可思議で不気味な作品に魅了され、影響を受けた。
かく言う僕もそうで、今日の陰鬱な表現を好む僕があるのは、この作品が発端であったと言っても過言ではない。
この作品がなかったら出会えなかった、魅力に気がつけなかった作品は数えきれない。

だが、お恥ずかしながらこの作品の源流とも言えるLSDを、僕はプレイした事がない。作品の概要、映像こそ見たことは在るものの、この作品の良い悪いはプレイしてのみ解ると理解しながらも、その入手難易度から手が出せないでいる。
以前はPS3のインターネットアーカイブで手に入ったのだが、これほどあの時買っておくべきだったと公開している作品は無いかもしれない。

話を戻すが、ゆめにっきに感化された僕がその後行き着いた先はシュルレアリスム、そしてエログロホラーであった。
これらのジャンルは厳密に言えば異なるものだが、僕がこの二つに見出だした美しさが共通しているため、便宜上ここでは一度に話させて頂く。
詰まるところ、物事の汚れた本質、人間の欲望、得体の知れない恐怖、女の裸。それらをありのまま見て、歪んだ描きかたをする屈折した芸術は、僕にとって刺激的だった。どう考えても悪意があるとしか思えない美しい気持ち悪さが僕の鬱屈とした感情をますます育て上げたのである。

だが、この経験こそが僕が苦悩する原因に他ならない。専門学校に入ってからしばらくたち、僕にもそういったものが作れるかもと、威勢よく作り始めたのだが、恐ろしく上手く行かず、僕は己の限界を知った。
それまで自分は誰かに負けることは怖くなかった。正道など始めから歩めないことは分かっていたから、全うな手段で勝つことが土台無理なことであると理解していたから。
ところが、邪道でもそれが出来ないとなると話は変わってくる。歪んだ僕のアイデンティティは、そこすら居場所を奪われた。自分には狂気の才能すら無いことを突きつけられたのである。
狂気とは全うな道では無いがゆえ,進むものは覚悟するがいい。その道を進むということはすなわち、真っ当なものを捨てきらなければならないのだから。


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