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創作を趣味でやるということ、仕事でやるということ

学生時代の頃から、創作活動のあれこれを趣味として嗜んできた。今もこうしてエッセイに取り組んでみている辺り、趣味としての創作は中々に魅力的なのだろうと思う。
無論、何かを作る以上は人に見られる前提であろうし、趣味で作ったもの、自分が自由に作ったものが評価されるというのはクリエイターであれば誰でも憧れるものであろう。とはいえ、だ。
「仕事としての」創作は多かれ少なかれ需要を満たせるものかどうかの吟味が必須になってくる。まして僕のような無名の下っ端にとっては自分の我を出せる機会の方が少なく、それ故に自分がしたいことを自分で決めて行う「趣味としての」創作は、改めて楽しいものだと思う今日このごろだ。

特に、絵を描くことは定期的にモチベーションが湧いてくる。勿論、年に数回描きあげる程度であるため、「プロ」のイラストレーターは愚かクリエイター志望の方々にも劣る技術でしか無いが、それでも長く続けているうちに趣味として自分の需要を満たす程度には描きたいものが出来上がるようになってきた。
元々、絵を描くという行為そのものよりもそれによって自分が思い描くキャラクターを作りたいという方向性だったので、それが可能になった段階で僕の目標は概ね達成できていると言ってもいいかも知れない。
無論、よりクオリティの高いものを作りたい気持ちもある。けれど、それは目標であって義務では無い。例えそれで食っていけるとしても、常にクオリティの要求水準を満たすために僕は絵を描くことなど出来ないし、やろうとも思っていない。技術的なハードル以上にそういったモチベーションで絵を描いている訳ではないから、そもそも前提が異なってくる。

とは言え、これは創作を趣味で10年以上しているからこその意見であり、その差に気がつくのは難しい。何なら今でさえ、自分が本当はどちらなのか迷うのだから、これから創作家になろうとする若者が理解出来ようはずも無い。大人は知ったような口で創作は趣味でやればいいなんて言うけれど、本気で目指している、或いは目指していると思いたい人間なら誰だって、そんな悠長なことを言ってる暇は無いと思うだろう。ハッキリ言うが、そんなゆったり自分のペースでやって売れる人間こそ、化け物だ。大多数の人間は退路を断って、ギリギリで生きて、そうやって何とか追いついている。才能があるか分からない~なんて言っている場合じゃない。才能があると自己暗示して、必死にしがみつかなきゃ化け物には追いつけないのである。

でも、そうしなきゃ行けない理由ってのが本当にあるかは僕ですら分からない。何度創作なんか辞めたいと思ったか分からない。自分の人生でこんなにゲームばっかりやってきたことを後悔したことだってある。ゲーム業界にいると、ゲームなんかもうやりたくないって言ってる人ですらいる。
それでも何かを為したい。少なくとも、そう思い込んで今を生きている。
無責任に創作家を目指して頑張れと言えるほど嘘はつきたくない。無慈悲に創作家なんて夢を見るなと言えるほど現実を見てるわけじゃない。だから、もしこれを読んでいる貴方が仕事として創作をしたいのなら、諦めてそのまま地獄に落ちてくれ。僕もおんなじ地獄で足掻くから。


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