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SNSで病んでしまうのは

どうも、とうトトです。
TwitterからXに変わり、そろそろ半年。
使用頻度は昔に比べて少なくなった。
そんな中、相棒が「SNSで病む人が多い」と話していた。

ものは使いようだとは思うが、SNSに振り回されてしまい、挙句に病んでしまったという人も少なからずいる現状。
今回はなぜだろうと考察してみる。


そもそもの話

元々Twitterで使用されていたツイートは小鳥の「さえずり」が元になっているそうで。日本語では「つぶやく」という言い回し。
本来、呟くは「小さな声で話す独り言」の事。
つまりは、誰かに聞かれないように話す本音を指す。

本音は現代において直接聞こえるような形であまり使用しない。
誰もが建前との使い分けによって、現代社会のコミュニケーションを円滑に進めている。

その為、本音で話せるSNSは気軽に投稿出来る分、最高に楽しいツールなのだろう。
特定の誰かに直接伝える事無く、言いたい事が言えるのだから。

ただ、ここに問題もある。
誰もが本音で話すということは、「言わなくてもいい事まで話してしまう」ということ。
これが承認欲求により自己を開示した他者にまで向けて行ってしまうのだからタチが悪い。そもそもネット上には本来、マナーもあったのだ。

1980年後半頃にはネチケットと呼ばれるネット上での取り決めがあった。
誰もがそれを守っていたのだが、いつの頃からか無くなってしまった。
検索しても死語と出るくらいだ。
今の20代前後は知らない用語だろうが、それでもネット上で平和な時代があったのは知ってもらいたいと思う。


使い手目線


メラビアンの法則
を通してみてみよう。
人はコミュニケーションを取る際に、以下の3つをベースに情報を取得しているそうだ。

1.言語情報(Verbal)7% → 「言葉遣いや内容」
2.聴覚情報(Vocal)38% → 「相手の声のトーンや表現力」
3.視覚情報(Visual)55% → 「相手の表情や、ボディランゲージ」

「7-38-55のルール」「3Vの法則」とも呼ばれている。

これを前提とするならば、Xでは自分で操作する以上、完全に主観視点となる。
ならば、多くの人が誰かに対して話した内容であっても、全て1on1の構図になるだろう。
更に、言語情報だけだった場合であれ、自分に対して言われてると感じてしまう。たった7%により怒りや悲しみといったネガティブ感情を残しているのだ。

怒りは自己防衛反応。しかし、長期に渡る怒りは脳の機能を損壊し、認知機能の低下を招く。
悲しみは危機管理能力の高さを意味する。しかし、高すぎるとネガティブ思考であるともいわれている。

そこに加えて最近出てきたマルハラスメントという言葉。
文章の最後に句点(。)をつけると怒っている印象があるというので、若者からは嫌われているそうな…

以上だけをまとめてみると、
・1on1の構図
・SNSは本音(言わなくて良い事)で話してしまう
・怒りによる認知機能の低下
・悲しみによるネガティブ思考
・マルハラ。

結論。
「病んで当然」ということだ。

勿論他にも理由はあるだろうが、これだけでもメンタルコントロールが難しくなる。
承認欲求欲しさに自己を公開した事に対して、他者からの本音が飛んでくるのだから、想像するだけで怖さというものを考えさせられる。


目線変更

SNSをやめるとは言い難いし、仲間外れが怖いという理由で、常にLINEをしている人もいる。スマホ自体を手放すのは怖いのだろう。

ならば、私としての案は2つ。

1つは気にしないという事。
相手の返事に対して、何かを言いたくなるのは当然だと思う。
そこをあえて、何も言わずに無視をするということだ。

これは仏教の創始者、お釈迦様の話を元にしている。

ある時、お釈迦様が尊敬を集めるのに対し、嫉妬した男がいた。

嫉妬した男は
「お釈迦様に対して悪口を言えば、お釈迦様は汚い言葉で自分に対して言ってくるはず。そうなれば、お釈迦様の尊敬は崩れるだろう。」
と考えた。

そうして男はお釈迦様に悪口を言うが、お釈迦様は全て無視をしたのだ。

やがて悪口をいう事に疲れた男はその場にへたりこんだ。

お釈迦様は口を開き、男に語り掛けた。
「もしも、誰かが贈り物をしようとして、相手が受け取らなかった場合、その贈り物は誰の物になる?」と。

男は「当たり前の事を聞くな。相手が受け取らなければ、贈ろうとしたやつのものだ。」

そこで男は「あっ」と気づく。

お釈迦様は
「その通りだ。今あなたは私を罵った。だが、私は罵りを一つも受け取らなかった。だから、今の罵りは私ではなく、あなたが受け取る事になるのだ。」と。

ざっくりとまとめました。詳しく調べたい方は「お釈迦様 悪口」でググってみてください。

ちなみにブッダは、
「悪口を言われたら悪口を言い返し、怒りには怒りで報い、打てば打ち返す。闘いを挑めば闘い返す。それらは与えたものを受けとったという。その反対に、なんとも思わないものは、受けとっていないのだ。」
「智恵ある者に怒りなし。もし吹く風荒くとも、心の中に波たたず。怒りに怒りをもって報いるは、愚か者のしわざなり。」と言ったそうな。


2つ目、自分を鍛えるツールとして扱う。
物は使いよう。
AIであれSNSであれ、自身を鍛えるためのツールとしての機能が十分にある。
これは私の癖みたいな部分もあるのだが、
何かしらの怒りがわいた際には、その事実となるデータを必ず調べるようにしている。
「火の無いところに煙は立たぬ」という言葉もある通り、噂が出たからには必ず何かしらの原因がある。まずは知るということ。ということだ。

その後、様々な目線で憶測を立てる。
・誰がいつどこで何を言ったのか
・どうしてそのような事が起こったのか
・客観視点やその時の視点を自分だったらどうするか
など。

これにより、検索力、客観視点や俯瞰視点、読解力、文章をまとめる要約力など普段生活する上で自然と鍛える事が出来る。
娯楽として使用するもので自己啓発に使えるので、試してみてほしい。


まとめ

今回考えてみて、どうにもSNSに振り回されているように感じた。
普段から羅列する文章を読めば、脳内にびっしりと短期記憶が流れ込むのだから、どうしても記憶力や思考力は低下するだろう。
うつ気味な傾向になってしまう気持ちも分かる。
自分を守りつつ、相手からの言葉を受け取らない工夫が大事なのでは?と今回は改めて感じた。





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