見出し画像

宇津保物語を読む8 あて宮#10(終)

あて宮物語もいよいよ大詰め

 あて宮の出産も近づきます。あて宮は里に下がり、東宮との歌のやりとりが描かれた後、いよいよ出産のシーンとなります。

あて宮の皇子誕生と産養 大殿の君の嫉妬

 かくて、あて宮の御うぶの設け、さぶらふ大人、童、みな白き装束をし、大宮なども、みなこなたにおはして待ちたまふに、十月ついたちに、男宮まれたまひぬ。宮より御使立ち返り。東宮の母きさきおはす、大殿、右大将などの御いもうとにおはします、そのきさいの宮、内裏うちの帝、喜びたまふ。
 の君、御年二十になりたまふ。こと人々参りたまひて久しうなりぬるに、まだかかることなかりつるを思しつるに、仲らひよき所にしもまれたまへることなど思して、三日の夜、内裏の后の宮より、御うぶやしなひしろがねすきばこ十に、御かさね、御襁褓むつき十襲、ぢんついがさね二十はたに、白銀の箸、かひつきども、みな同じ物、すゑもの、いといかめし。、銭百貫、大いなるたんひつにこき入れて、宮のすけを御使にて、きさいの宮の御せいそこ、大宮の御もとに、
 (后の宮)いとめづらしきことを、まづそれよりしも始めたまへるをなむ、思ふやうなる心地して、うれしく思うたまふる。いとうらやましげなる人々に、あえものにせさせむ。ごめのおろし、少し賜はせよ。まこと、これは、の人々の目覚ましに賜へとてなむ。
と聞こえたまへり。御使のすけに女の装ひ、持て参れるをのこどもに絹、布など、品々に賜ひて、がねの壺の大きなるに、かの御きのこめ一壺入れて奉れたまふ。御返り、
 (大宮)かしこまりて承りぬ。めづらしき人は、まづここにしもものしたまふを、いともかしこく思ひたまふるに、「思すやうに」とのたまはせたるをなむ、いともいともうれしく思うたまふる。なつごろもは、ほど多くすきて、残り少なうなりはべりにける。あるべきになむ。
と聞こえたまふ。
 きさいの宮、の壺、小さき四つに入れて、東宮の御局どもに、(后の宮)「これ、あえものにしたまへ」とて奉れたまへり。小宮よりはじめて、みなきたまひつ。御使に物かづけ、御せうそこをかしきさまに聞こえたまふ中に、おほい殿どのの君は、投げ散らしてのたまふ。(季明娘)「誰か、そのめひみ残しは欲しき。よろづの集めを生みて、宮の御子といへば、まことかとてもてあがめたまふ」など、局のこぼれぬばかりちののしりて、かく聞こえて返し奉れたまへり。(季明娘)「かうせずとも、かしら大きなる子は、多く生みはべりぬべくなむ」とて返したてまつる。后の宮聞こしめして、うち笑ひたまひて、(后の宮)「あはれの人や。心憂くもものしたまひつるかな」とのたまふ。

(小学館新編日本古典文学全集)

 こうして、あて宮の出産の準備が行われ、お仕えする女房や女童はみな白い装束を着て、母の大宮などもみなこちらにいらっしゃってお待ちになっていると、10月1日に男宮がお生まれになった。東宮からお祝いの使者が立ち代わりやってくる。東宮の母は右大臣(忠雅)や右大将(兼雅)の妹君でいらっしゃるが、その母や朱雀帝も御子の誕生をお喜びになる。
 東宮は今年20歳におなりになる。多くの后たちが入内して久しいが、まだこのような御子の誕生はなかったことを思うにつけても、愛する人のところにやはり子は生まれるのだなとお思いになり、3日目の夜、母后の宮から産養の品が届く。白銀の透箱10箱に御衣10襲、産着10襲。沈の衝重20には白銀の箸や匙、坏など、また陶器なども収められており、どれも素晴らしい。碁手としては銭100貫が大きな紫檀の櫃いっぱいに詰めてある。これらを中宮職の亮を使いとして、后の宮のお手紙と共に、大宮のもとへと送られる。

 (后の宮)「今までになかったことを、あなたのご息女がなさいましたことは、望みが叶った気がしてとても嬉しく存じます。うらやんでいるほかの妃たちのあやかりものにしたいので、縁起物のき米(邪気を払うために飲み込む精米)のおさがりをすこしくださいませ。またこちらの碁手の銭は宿直の方々の眠気覚ましにお使いください。」

とお書きになってある。御使の亮には女装束を、品々を持ってきた男たちには絹・布などを身分に応じて与え、黄金の大きな壺には、御所望の飲き米を入れて差し上げる。

 (大宮)「お手紙慎んで拝見いたしました。初めての御子が我が家で生まれましたこととても光栄に存じます。あなた様から「望みが叶い」と言ってくださいましたことは、とても嬉しく存じます。飲き米はたくさん使ってしまいまして、残り少なくなってしまいましたが、どうぞお使いください。」

と申し上げる。

 后の宮は小さな瑠璃の壺4つにその飲き米を入れ、東宮の妃たちに「これをあやかりものになさい」と差し上げる。
 小宮をはじめみな、その米をお飲みになる。使いの者に褒美を授けお返事を丁重に申し上げる中で、大殿の君だけはそれを投げ散らかして、
「誰が姪っ子の食べ残しなんかほしがるものか。多くの男たちの胤を集めた子を産んで東宮のお子だといえば、みな本当のことだと思ってありがたがっている。」
などと局が壊れるほどに大声で口汚く罵って、このように申し上げて飲き米をお返しになる。
「こんなことしなくても頭のいい子をたくさん生んでご覧に入れますわ」
これを后の宮はご覧になり、思わず吹き出してしまい、
「かわいそうな人。気の毒ななさりようですね。」
とおっしゃる。


東宮の妃たちはあて宮入内のさいに紹介されていた(#5参照)

東宮から寵愛されていた小宮などは飲き米を素直にいただくが、大殿の君はそれを突き返す。

「左の大殿、あるが中に年老い、かたちも憎し、時なし。心のさがなきこと二つなし。」
(中でも左大臣の姫は年配でご容貌も劣っていらっしゃるので、ご寵愛は受けておらず、また性格もずいぶんと悪いようである)

(あて宮#5)

と紹介されていたその性格の悪さ発動である。
三奇人といい、忠こその継母といい、変人をしっかり変人として、周囲の反応も含めて描く点は、ある種の痛快さがある。
贈り物一つ一つをすべて書き連ね、絵指示で情景を細かく描写する作者のリアリズムが人物造形にも表れているようだ。

五夜、七夜の産養人々よりの豪華な贈物

 かくて、五日の、院のきさいの宮より、同じごといかめしうしたまへり。所々より、いと清らに、あまた、などいと多くて、上達部、親王みこたち、いと多くものしたまへり。御、御襁褓むつきなど、みなかづきたまふ。
 七日の夜、東宮よりいと清らにいかめしくて、権のすけを御使にて、御文あり。大宮、御返り聞こえたまふ。また、右大将殿より、御前に、たんついがさね二十、沈のいひ、御つきども、ろくきて、御、襁褓などは、例のごと。おほい殿どのも劣らずしたまへり。藤中将、しろかねのいかめしきほときななくさの御かゆ入れて、はうながびつに据ゑて奉れたまへり。源氏の中将、またさま変へて設けたまへり。内裏うち、東宮の殿上人、残るもなく集ひたり。上達部、親王たち、さながら劣らず。ぜんのもの、いふばかりなし。碁手二百五十貫置きて、大きなるひつに入れて出だされたり。かみしも合はせて、二百余人ばかりあり。上らふは五貫、中﨟は三貫、下﨟は一貫づつ賜ふ。夜ひと歌ひののしりて、みな上達部、親王たちよりはじめたてまつりて、清らなる物に、御襁褓むつき添へてかづきたまふ。
 かくて、大宮、御ほぞ切りたまふ。左大弁殿の北の方御つけけ、内蔵くらのすけのおとど御殿どの、御ふみ式部たい。御乳母めのと三人、一人はわかんどほり、二人はだいの娘。御乳付けに贈り物、夏冬の御さうぞく、よき絹、あや、箱に畳み入れて、式部大輔に女のよそひ一、よき馬二つ、牛二つ。
〔絵指示〕
 中の大殿おとどちやう立て、あて宮、白き御ふすま着て臥したまへり。乳母めのとも白き綾のうちきひとかさね、白き綾のからぎぬ着つつ、年二十の人、かたちよし。ここに、人々の奉れたまひつる物ども、いと多かり。人々もの食ふ。
 大宮、女御の君おはす。もの参り、うちまきしたり。式部大輔ふみ読めり。弁殿の北の方、御乳付けに参りたまへり。左衛門ぜう弓引きたまへり。
 ここは、湯殿の所。助のおとど、生絹すずしうちきまきして、湯殿に参る。しろかねほとき据ゑて、御殿どの参る。御むかへないしのすけのおとど参りたまふ。
 これかれ、上達部、親王たち、殿上人、こなたにおはす。白銀のに碁手の銭入れつつ、上達部のまへには五、殿上人、五位には三笥、六位などには一笥づつ。
 これ、宮の御使に物かづけたり。人々立ちたまへるに、品々物かづけたまへる。

(小学館新編日本古典文学全集)

 こうして、五日夜の産養には、院の后の宮から后の宮と同じように豪華なお祝いをいただいた。あちらこちらからも豪勢な贈り物が届き、碁手なども多い。上達部や親王たちも多くいらっしゃる。彼らからも御衣や産着などをいただく。
 七日の夜は、東宮からたいそう美しく立派なお祝いの品々が、東宮坊の権の亮を使いとして文と一緒に届けられる。大宮はそれにお返事をなさる。
また、右大将殿からは、あて宮の御前に紫檀の衝襲20に沈の飯笥や坏などの轆轤《ろくろ》引きの品や、御衣、産着などを入れ、例のごとく立派なものをいただいた。左大臣殿も劣らず立派なお祝いをなさる。
藤中将(仲忠)からは、白銀のみごとな器に七種の粥を入れたものが蘇枋の長櫃とともに贈られる。
源氏の中将(涼)からは、また趣向を変えて贈り物をなさる。
宮中や東宮の殿上人たちがすべて集まる。殿上人や親王たちも、それらに劣らずすべて集まる。
客人たちに供せられる品々もまたすばらしいものばかりである。碁手250貫が準備され大きな櫃に入れて出された。上下合わせて200人あまりの人が集まっているので、上﨟(上達部)には5貫、中﨟(殿上人)には3貫、下﨟(六位)には1貫ずつお与えになる。一晩中歌い騒いで、上達部や親王たちをはじめとして、それぞれに立派な品々に、御衣や産着を添えてお与えになる。
 さて、大宮がへその緒をお切りになる。左大弁殿の北の方が乳付けの役、女房の内蔵助が湯殿の役、読書の役は式部の大輔がそれぞれ行う。乳母は3人。ひとりは皇室の血を引く人、2人は大弐の娘が勤める。乳付けの役には、贈り物として夏冬の装束と上質な絹や綾を、箱にたたみ入れて与える。式部の大輔には女装束一式と上等な馬2頭、牛2頭を与える。
〔絵指示〕省略


例によって、贈り物などの詳細な説明。
多くの貴族たちが集まることに、政治的影響力の強さが暗示されよう。

あて宮、翌年第二皇子を誕生する

 かくて、月日経て、宮よりせちに召しければ、師走ばかりに参りたまひぬ。明くる年の二、三月より、またはらみたまひて、男まれたまひぬ。御うぶやしなひさきの同じごとなり。しばしありて、東宮に参りたまひぬ。
 かくて、時めきたまふこと限りなし。

(小学館新編日本古典文学全集)

 こうして、月日が経ち、東宮からしきりにお召しがあるので、12月のころにお戻りになる。翌年の二・三月ごろからまたご懐妊となり、男皇子がお生まれになる。産養ひが同じように盛大に行われ、東宮にお戻りになる。
 こうしてあて宮の寵愛はこのうえないものとなった。


これで「あて宮」は終わりです。生まれた御子をめぐる話はまた後で。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?