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宇津保物語を読む9 内侍のかみ#3

正頼と大宮、娘たちの婿について話し合う

 (正頼)「物語したまへりけるほどに、上寿じう殿に渡りたまひて、『ここになむものする。仕うまつれ』と仰せありつれば、またそこに参りて、御物語など聞こえさせつるほどになむ、くるも知らずなりにけりや」。
宮、(大宮)「いかに、藤壺には何ごとかものしたまふ」。
おとど、(正頼)「うへつぼねにものせられける。殊なることもものせられざめり。例の遊びをなむせられつる。つかさの宰相の中将、のもとにて、しやうこと仕うまつりつ。あてこそはをなむ少しかき合はせらるなりつる。ここにものせられしよりも少しまさりにけり。さるいちもちの中将に劣らぬ声にかき合はせなどするに、さらにもどかしからずや」。
宮、(大宮)「いかに。かの中将の思ふらむ気色はいかがある」。
おとど、(正頼)「それをなむ見たまへつる。少し静心なき気色なむ、見なしにやあらむ、見えつる」。
宮、(大宮)「あはれと聞く人の心にこそありしか。いとせちに思ひたるものから、さらにあばれたる気色は見えず。さりともはたさ思ふらむとは見えつつ、同じう走り書いたる文のおいらかに、人見るともかたにもあらず、さすがにいとあはれに見えしなり。いと恋しき宰相の中将の文、いと久しく見えねば思ひ出でられて、いと恋しくなむ」。
おとど、(正頼)「今もかしこには絶ゆまじかめり。今日も見たまへつれば、ぜんしやう仕うまつるとて候はれつるに、こともなく走り書いたる手の、うすやうに書きたる、懐よりすでに見えつるを、『見せよや』とたはぶれ心に請ひつれど、笑ひて出ださずなりぬ。なほ気色ある文にやあらむ。宮もはた、仲忠今も昔もさる心あなりと聞こしめしたなれば、返りごとせられなどするをば、せちにのたまふまじかめり。ことわりと許されたるこそは、この中将はいとかしこけれ」などのたまふ。
宮、(大宮)「いでこの中将、この中に入れてしがな」。
(正頼)「さまこそをこそはしか思ひはべれど、仰せらるることありや。『なほさまこそは涼の朝臣にものせられよ。仲忠はわれふことなむある。涼にと思へどぞうの源氏なり。同じくは仲忠をとなむ思ふ』と、度々かの吹上の九日にも仰せられしあり」。
(大宮)「さは源中将も仲忠の朝臣にいづこかは劣れる。さらに劣りまさりたることなき人にこそあなれ」。
おとど、(正頼)「源中将は勢ひこよなくまさりたなり。さりともけしうは劣るかは。人柄はいと等しきを、心恥づかしげさとざえとは、藤中将はなほまさりたらむ。正頼が思ふは、あてこそに心ありし人々、これをだにと兵部卿の親王みこ、右大将のたまふを、源中将にものしたらば、勢ひによりものしたるにやと思はれむなむいとほしき。正頼はさらに勢ひ求めはベるにはあらず。ただこの世にこくばくようめう、労ある人の中にも、すぐれたる人この二人こそはあれ。これ一人はと思ふなむある。仲忠の中将をばかく仰せらるめれば」。
宮、(大宮)「仲忠をば誰にか上は仰せらるらむ」。
おとど、(正頼)「いさや、誰にと思すにかあらむ。『思すことあり』と仰せらるれば、それもこの筋は離れじとこそ思ほゆれど、なほ正頼はこの藤中将こそいとほしけれ。世の常の人にもあらず、めでたき公卿の一人子にて、よろづのこと心もとなからぬ、この世の人の限りなくあらまほしきになむ。藤中将勢ひはあるまじ。源中将はいと目もあやに、一の者なりと見ればこそふさひにはおぼえね。必ず人々思ふところあらむと思へば。人の婿といふものは、若き人などをば、本家のいたはりなどして立つるをこそは面白きことにはすれ。いたはりどころもなくて、本家の恥づかしくものせらるるなむものしき。さるはいと見どころある人にこそあれ。この二人の人見る時にこそ、目五つ六つは欲しけれ」とのたまふ。
宮、(大宮)「それは藤中将をと思ひしかど、さればなりと人には知らせむかし」。
おとど、(正頼)「人のことには、さ仰せらるればなむとはいかが語らむ」。
(大宮)「いさや、いかがせまし。このさまこそ、あて宮の御代はりにと、人々のたまふこそ苦しけれ。小さくより藤中将のためにと、いたはり生ほしたるものを」。
(正頼)「さて、このそでこそ、ちごこそをば、いかがすべき」。
(大宮)「それを兵部卿の親王みこ、右大将殿にはとこそは思へど、いといみじう思ひたまへる仲忠の中将の母あるを、いかがせむと」。
おとど、(正頼)「いづれをいかにすべきことぞや」。
(大宮)「なほ見るに、そでこそは右大将の見たうばむによく、ちごこそは兵部卿の見たばむにこそはよからめ」。
おとど、(正頼)「かしこうものたまひ合はせけるかな。そでこそはいとよく、かたちも心も右大将にこそ作り合はせたれ。ちごこそはいといかめしくて、好みたるところこそあめれ」とのたまふ。
宮、(大宮)「この人々、いづれかはいと見るかひなくものしくはある。そがうちに、さまこそはいづれにも似ずこそは生ひ出でたれと見ゆれ、藤壺には少しけはひ劣りたるをや」。
(正頼)「あてこそは、あやしくここかしこともなく、おしなべて目安くこそものしたまへ」など聞こえたまふ。
  〔絵指示〕もの聞こしめしつつおはします。君だちみな。中のおとどには、十四の君よりはじめ、あなたの御腹の若君たち、みな渡りて涼みたまふ。

(小学館新編日本古典文学全集)


左大将正頼と妻の大宮の会話

 左大将「仁寿殿の女御といろいろ話していたところに帝がお渡りになって『ここにいたのか。話し相手になってくれ』とおっしゃるものだから、帝のお側に集まりいろいろ話していたところ、すっかり夜が更けてしまった。」
 大宮「それは、それは。で、藤壺(あて宮)はどんな様子でしたか。」
 左大将「上局にいらっしゃったよ。特にお変わりはないようで、いつものように演奏をなさっていたよ。仲忠の中将が御簾のそばで箏の琴を弾いていて、それにあて宮が琵琶を少しかき合わせていて。ここにいたときよりも少し上達なさっていたなあ。名手の中将に劣らぬ様子で合奏なさって、少しも引けを取ることがない。」
 大宮「でも、仲忠中将は今どんな気持ちでいるのでしょう。」
 左大将「それを私も気にしていたのだが、少しばかり落ち着かない様子が見えたなあ。思い過ごしかもしれないが。」
 大宮「殊勝なお心の持ち主でいらっしゃいますから、一途にあて宮のことを思っていながらも、決して常軌を逸することもなく、それでいながらお気持ちはちゃんと示してらして。走り書きした文はおっとりとして、はたから見ても見苦しいこともなく、さすがに優れた方だとお見受けします。中将の文を私もずいぶんと見ておりませんので、懐かしくも恋しくも思いますわ。」
 左大将「今もあて宮のところには文を絶えず送っているようだ。今日も見たのですが、東宮の御前で箏を弾こうとしていたときに、何げなく走り書きした薄様の紙が懐から見えたので、『お見せなさいよ』と冗談半分に申したところ、笑ってごまかしていらっしゃいました。やはりわけありげな文でしたよ。東宮もまた仲忠が今も変わらぬ恋心を抱いているとご存じのようですが、返事をお書きになることは特におとがめすることもないようだ。東宮から、しかたのないことと黙認されているのですから、中将は特別ですよ。」
 大宮「それでは、この中将を我が家の婿の数に入れたいですわね。」
 左大将「さま宮を、とは思うのだが、帝が、『さま宮は、涼の朝臣の妻にせよ。仲忠については私に考えがある。涼に、と考えたこともあるが、涼は我が一族の源氏なので、同じことなら仲忠に、と考えているのだ』と、吹上で行われた重陽の節供の時にも度々おっしゃっていたので、どうしたものか。」
 大宮「たしかに源中将(涼)も仲忠の朝臣には劣ることはございませんものね。」
 左大将「源中将は財力が格段に勝っているのだよ。仲忠の朝臣とは優劣なく人柄も等しいのだけれど、こちらが気後れするほどの人柄と才覚では藤中将(仲忠)がやはり優れている。あて宮に心を寄せていた兵部卿の親王や右大将が、あて宮がかなわぬならせめてさま宮をと、おっしゃっていたのに源中将に嫁がせたら、「財力に目がくらんだのだな」と思われるのがしゃくなのでね。私は決して財力が欲しいわけではないのだよ。ただ多くの容貌や気だてのよい君達の中でも、特に優れたこの二人のうち、せめて一人は婿にしたいと思っているだけなのだ。ただ、仲忠の中将は帝があのようにおっしゃるので諦めざるをえまい。」
 大宮「で、帝は仲忠を誰の婿にとお考えですの。」
 左大将「さあ、誰とお考えなのだろうなあ。『考えがある』とおっしゃるからには、それもわが一族のことだとは思うが、でもやはり私としては藤中将(仲忠)がいいんだよなあ。世の人々とは違い、優れた公卿の一人っ子で、すべてにおいて不安な点がなく、世界一の理想的な方なのだよ。確かに藤中将には財力はないかもしれない。一方源中将は財力では目もくらむほどの第一人者だ。でもだからこそふさわしいとは思えないのだよ。人の婿というものは、将来有望な若者を妻の実家の力で出世させるのが面白いのだ。世話する余地もなく、妻の実家の方がかえって恥ずかしくなるなんてのはよくない。たしかに源中将は見所のある方だよ。源中将藤中将、この二人を見るときは目が五つも六つも欲しいほどだ。だけどねえ。」
 大宮「それでは、さま宮は藤中将にと思っていたけれど、帝が源中将にとおっしゃったから、と人には言ったらいいじゃありませんか。」
 左大将「そんな他人事みたいに、『帝が』なんて言えるわけないだろう。」
 大宮「それでは、どうなさいますの。さま宮をあて宮の代わりにとおっしゃる人が多くて大変ですのよ。小さいときからゆくゆくは藤中将のもとに、と思って育ててきたのだし。」
 左大将「それでは、そで宮と、ちご宮はどうするね。」
 大宮「その二人を兵部卿と右大将にと考えていたのだけれど、右大将のところには最愛の仲忠の母がいるので、どうしたものかしら。」
 左大将「二人のうちのどちらをどなたへとお考えか。」
 大宮「二人の様子を見ていますと、そで宮は右大将の妻にするのがよく、ちご宮は兵部卿がいいのではないかしら。」
 左大将「意見が一致したね。そで宮は容貌も気だても右大将にうってつけだ。ちご宮はたいそうしっかりしていて、趣味もいいからね。」
 大宮「我が家の娘たちは誰もが見劣りすることはありません。その中でもさま宮は誰にも似ず美しく成長したと思います。藤壺には少し劣りはしますけれども。」
 左大臣「あて宮は不思議なほどに何ということもなく、総じて感じのよい方なのだよ。」

〔絵指示〕省略


帝と女御の次は左大将夫婦の会話。
仲忠の妻についての相談事がこちらでも進む。
仲忠を婿のひとりとしたい左大将は、帝の思惑に残念がっている。

結婚について、親の意向というものは、当時どれほどのものであっただろうか。
以前、工藤重矩氏の著書「源氏物語の結婚」(中公新書)を読んだが、平安時代とはいえ、法的には一夫一婦制であり、妻と妾では明確な差があったという。正妻との結婚は当然親の同意が必要である。
一人しか持てない正妻を誰の娘とするか。自分の娘を誰の正妻にするか。そこには妾とは違う政治的な目論見があったであろう。

多くの君達を自分の婿にすることで勢力を拡大しようとする左大将。
帝の外戚になることだけが権力掌握の手段ではない。ゆくゆくはあて宮をつかって、外戚になることもめざすであろうが、影響力を多くの君達に及ぼすことは日々の政治の場面でも有効であろう。


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