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石牟礼道子『苦海浄土 わが水俣病』を読んで

石牟礼道子『苦海浄土 わが水俣病』を読んだ。

副題にもあるように、この本のメインテーマは確かに水俣病だ。だがこの本は、単に水俣病の悲惨さを伝えたり、新日本窒素や行政の対応のひどさを世に訴えるというものにとどまらない。

作中では、水俣病によって人生を翻弄された様々な人物が登場する。ほとんどの人物は盲目となり、聴力も失うか、体がめっきり言うことをきかなくなり、痙攣に悩まされている。その描写はあまりにリアリティがあり、文学というフィクション性が感じられないほどである。

以下、印象に残った場面をいくつか引用する。

まずは、夫(じいちゃん)の看病を心の支えに生きる、水俣病を発症した女性の場面。

嫁に来て三年もたたんうちに、こげん奇病になってしもた。残念か。うちはひとりじゃ前も合わせきらん。手も体も、いつもこげんふるいよるでっしょが。自分の頭がいいつけんとに、ひとりでふるうとじゃもん。それでじいちゃんが、仕様ンなかおなごになったわいちゅうて、着物の前をあわせてくれらす。ぬしゃモモ引き着とれちゅうてモモ引き着せて。そこでうちはいう。(ほ、ほん、に、じ、じい、ちゃん、しよの、な、か、お、おな、ご、に、なった、な、あ。)うちは、もういっぺん、元の体になろうごたるばい。親さまに、働いて食えといただいた体じゃもね。病むちゅうこたなかった。うちゃ、まえは手も足も、どこもかしこも、ぎんぎんしとったよ。(151頁)
うちが働かんば家内が立たんとじゃもね。うちゃだんだん自分の体が世の中から、離れてゆきよるような気がするとばい。握ることができん。自分の手でモノをしっかり握るちゅうことができん。うちゃじいちゃんの手どころか、大事なむすこば抱き寄せることができんごとなったばい。そらもう仕様もなかが、わが口を養う茶碗も抱えられん、箸も握られんとよ。足も地につけて歩きよる気のせん、宙に浮いとるごたる。心ぼそか。世の中から一人引き離されてゆきよるごたる。うちゃ寂しゅうして、どげん寂しかか、あんたにゃわかるみゃ。ただただじいちゃんが恋しゅうしてこの人ひとりが頼みの綱ばい。(151-152頁)

次の場面は、祖父が水俣病になった孫(杢)について語る場面である。

 あねさん、わしゃふとか成功どころか、七十になって、めかかりの通りの暮らしにやっとかっとたどりついて、一生のうち、なんも自慢することなかが、そりゃちっとぐらいのこまんか嘘はときの方便で使いとおしたことはあるが、人のもんをくすねたりだましたり、泥棒も人殺しも悪かことはいっちょもせんごと気をつけて、人にゃメイワクかけんごと、信心深う暮らしてきやして、なんでもうじき、お向かいのこらすころになってから、こがんした災難に、遭わんばならんとでござっしゅかい。
 なむあみだぶつさえとなえれば、ほとけさまのきっと極楽浄土につれていって、この世の苦労はぜんぶち忘れさすちゅうが、あねさん、わしども夫婦は、なむあみだぶつ唱えはするがこの世に、この杢をうっちょいて、自分どもだけ、極楽につれていたてもらうわけにゃ、ゆかんとでござす。わしゃ、つろうござす。(211-212頁)

身の回りのこと何一つ自分ではできない杢。自分が死んだあと、杢はどうなってしまうのかと彼(祖父)は心配する。杢の父親も水俣病の症状に苦しめられていたのだ。

そして、子(ゆり)が水俣病になった夫婦の会話。

 「ねむろねむろ。うちはなあとうちゃん、ゆりはああして寝とるばっかり、もう死んどる者じゃ、草や木と同じに息しとるばっかり、そげんおもう。ゆりが草木ならば、うちは草木の親じゃ。ゆりがとかげの子ならばとかげの親、鳥の子ならば鳥の親、めめずの子ならばめめずの親――」
「やめんかい、さと」
「やめようやめよう。なんの親でもよかたいなあ。鳥じゃろうと草じゃろうと。うちはゆりの親でさえあれば、なんの親にでもなってよか。なあとうちゃん、さっきあんた神さんのことをいうたばってん、神さんはこの世に邪魔なる人間ば創んなったろか。ゆりはもしかしてこの世の邪魔になっとる人間じゃなかろうか」
「そげんばかなことがあるか。自分が好んで水俣病にゃならじゃったぞ」
(中略)
「ただの病気で、寿命で死ぬものならば、魂は仏さんの引きとってやらすというけれど、ユーキ水銀で溶けてしもうた魂ちゅうもんは、誰が引きとってくるるもんじゃろか。会社が引きとってくれたもんじゃろか?」

この作品は、解説に述べられているとおり、「患者たちが実際に語ったことをもとにして、それに文飾なりアクセントなりをほどこして文章化するという、いわゆる聞き書の手法で書かれた作品」ではない。むしろ、石牟礼道子自身が「あの人が心の中で言っていることを文学にする」と述べている。

石牟礼自身は水俣病に罹っていない。逆説的かもしれないが、彼女は水俣病に直接罹ってはいなかったからこそ、この作品が書けたのだと思う。書かねばならないというか、書くしかなかったのだろう。だから、唐突かもしれないが、この作品はノンフィクション小説なのではなく、石牟礼から水俣病患者への鎮魂歌なのだ。

”今”、この作品を読むことで私たちは「大変な時代があったんだ」とか、「水俣病患者は本当にかわいそうだ」とか思う。思うけれども、実際に過去に戻ってその苦しみを取り除くことはできない。それでも、この小説を読み終えた後、祈りをささげたくなるような感情に包まれる。

思えば、小説とは祈りであるとアラブ文学者の岡真理は述べていた。

今、すでに起きていることがらに対して祈りそれ自体が無力であるように、小説は無力である。小説は、出来事のあと、つねに遅れてやって来ざるをえない無能なものたちだからだ。(中略)では、祈ることが無力であるなら、祈ることは無意味なのか、私たちは祈ることをやめてよいのか。しかし、いま、まさに死んでゆくものに対して、その手を握ることさえかなわないとき、あるいは、すでに死者となった者たち、そのとりかえしのつかなさに対して、私たちになお、できることがあるとすれば、それは、祈ることではないだろうか。だとすれば、小説とはまさに祈りなのだ、死者のための。人が死んでなお、その死者のために祈ることに「救い」の意味があるのだとしたら、小説が書かれ、読まれることの意味もまた、そのようなものではないのか。(岡真理『アラブ、祈りとしての文学』、300-301頁)

2020年、水俣病は遠い過去の出来事になりつつある。
過去の出来事になればなるほど、どうしても数字やデータで物事を伝えるようになりがちだ。そうなると、水俣病が一人一人の人生の尊厳を奪ったその悲惨さというリアリティが捨象されてしまう。

だからこそ、水俣病が遠い時代になればなるほど、『苦海浄土』という文学作品はその存在意義を高めるようになるのだろう。




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