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大学

よくある論争。
「大学に行ったほうがいいのか?」

学生時代を思い出してみる。私は絵にかいたような文系大学生だった。
大学なんて行ったって意味ないという学歴コンプの人が思い描くような見事なまでのハッピーキャンパスライフだったと胸を張って言える。

サークル・バイト・飲み会の毎日、大学にいっても授業は出ないでサークルメンバーと食堂でだらだら。恋愛もたくさんした。
出席が必要な授業は後輩にICカードを預けて朝まで飲み会。どの後輩に預けたか忘れて、学生証がなくなることなんてざらだった。

テスト前は全力でノートのコピーをもらえる相手を探す。
「統計学の基礎は私が○○君からもらってくるから、だれかマクロ経済もらってこれるひといない?」などとみんなで一致団結していた。みんなそこに自分に寄せる恋心なんかも利用してたからなおさら質の悪いもんだ。アーメン。

テスト前の生協の複合機は大行列で複合機が発する熱と、そこで賑わう学生たちでものすごい熱気だったことを覚えている。
普段遊んでばかりの文系大学生も単位にかける思いはアツイのである。

しかしそもそも都市型の大学だったこともあり、大学側も全員が入れるような教室を用意してなかったように思う。最初のころはさすがに授業にでていたが、席があいていないこともあった。
よって、どうせ学生全員が授業に出るとは想定していない大学側にも責任がある(ということにしよう。)


高校時代、私は行きたい学部を両親にことごとく否定された末、結局「経済学部」というどの文系大学にでもあるような学部を目指して受験していた。

私のいきたかった学部は少し特殊で、いわゆる早慶とかMARCHGとかそういう名の知れた大学にはない学部だった。

そこには学部なんて関係ない、最終的には出身大学をきかれるんだから少しでもいい大学にいってほしいという両親の強い思いがあった。
私はそもそも大学にいきたいと自分で思ったことはない。勉強したいと思ったこともない。ただ、両親が望むから高校から進学校に行き、その流れで大学に行った。両親のせいにしているようであるが、まったくもってそこに自分の意思がなかったから仕方ない。

高校受験の塾のお金も大学受験の予備校代も、両親が必死に働いて払ってくれたものだったし、そこについては私も少しでも期待にこたえたいという気持ちがあった。でも何度でもいうけど私の意思はない(笑)

大学受験は志望校の大学には落ちてしまったが、両親の観点からすると及第点の大学だったそうで(勉強した私からすると納得は行かなかったけど)、それはそれはたいそう歓んだのを覚えている。親孝行できたかなあと思ったのと同時に、これでやっと自由だ・・・と思ったのを覚えている。日本の大学は、海外の大学と比べて入り口が狭く出口は広い。親の敷いたレールを完走しきった達成感から解放され、文頭のような大学生になれる権利を手にしたことに心からの喜びを感じた。


そして最初の設問
「大学に行ったほうがいいのか?」

経済的余裕の問題もあるだろうし、今は学歴がなくてもいろんな分野で活躍できる、お金が稼げる時代だ。

ただ1つ言えることは、一般受験で心身ともに削られるような毎日をすごしたことは自分をかなり強くしたとは思っている。両親もそうだが進学実績を上げたい予備校のメンターや高校の担任、18歳に与えるにしては重過ぎるプレッシャーだったように感じる。
それに耐えることができたのは自分のメンタルをかなり強くしたと思うし、「勉強する」「復習する」という習慣が身についたことは、いまの社会人生活でも役立っていると思う。



大学に行こうが行かまいが私はどちらでもいいと思う。
もし自分に子供ができることがあるとするなら行くも行かまいも自分で選択させてあげたい。学部も自分が学びたいところに行ってほしい。

ただ、努力の末に勝ち取った4年間の夏休みは私にとって最高の時間だったとは提言するであろう。





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