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内なる宇宙と繋がる場所

いつも見ていただき有難うございます。
オートバイで旅をする写真家 立澤重良です。

今回は久しぶりにぶっ飛んだ内容でいってみたいと思います。
題して「内なる宇宙と繋がる場所」でございます。

私たちの生命も大元をたどるとビッグバンをもたらしたエネルギー

皆さんは神社参拝にどれくらい行かれますか?

旅行に行った先にある有名な神社を訪れたり、初詣に行ったりで年に数回くらいでしょうか?

それとも地域の神様、鎮守様である近くの神社に週一とかですか?
まったく行かないという方もおられるかもしれませんね。

私の場合は月に5~6回くらいでしょうか。
けっこう多いです。

まず鎮守神社である近所の神社、産土神社(お宮参りした神社)である飯香岡八幡宮、崇敬神社である香取神宮、そしてツーリング先で訪れる神社など。

香取神宮は紀元前660年に創建という伊勢神宮より古い神社、いや神宮です

ここ数年でかなりの頻度でお参りしました。

なんどもお参りしていると敏感になると言いますか、言葉では説明できない直霊(なおひ)が神氣をよく感じるようになりました。

それも神社によって印象が違いまして、例えば熱海の来宮神社なら女性的な明るさや楽しさ、館山の安房神社なら深い愛情と優しさ、秩父の三峰神社なら強く厳格な感じ、といった具合です。

特に大好きなのはオリンピックのサーフィン会場で有名になった千葉県一宮町の玉前(たまさき)神社の雰囲気です。主祭神が玉依姫ということで美しいお姫様が母親のように優しく受け入れてくれる雰囲気があります。

三峰神社にある三ツ鳥居

本当は常に清らかに過ごすため毎日、朝と夕方に神社参拝したいのですが、そうもいきませんので、家に神棚を祀って朝晩は感謝の祝詞を奏上して手を合わせております。

最近では家に神棚を祀る習慣がなくなってきていますが、マンション用や洒落たデザインのものも売っていますので、ぜひ皆さまもご自宅に神棚をつくって朝晩、手を合わせてみてください。

今、日本人に足りないのは【毎日祈る習慣】だと思うのです。

我が家の神棚です

神社に行くと拝殿やご神木の前、参道の森の中、あるいは池や岩の近くで全身がゾワゾワと微弱な電気が走るような感覚になったり、急に辺りが少し暖かくなって言葉にできない懐かしい安心感を感じたりします。
白檀のような良い香りがするときもあります。

全ての神社がそうだと言う訳ではなく特別そういった感じを強く受ける場所があります。
私の場合は香取神宮の赤い鳥居を過ぎたあたりの森の中、富士山本宮北口大社なら拝殿、茨城県の御岩神社は山全体から感じ取ることができました。

私はこれを勝手に宇宙と繋がる感覚と呼んでいます。

「そんなのは一切感じない」という方は、次に神社に行かれたときに思考を止めてみてください。
頭の中のおしゃべりをやめて無心になることで、感覚がさえて言葉では説明できない氣配を感じ取ることができると思います。
また深く丁寧な呼吸も大切です。

注連縄がなくても龍の様子を纏っていればご神木だと思う

ご神木やさざれ石などに触れてみるのもお勧めです。人間の手は神経が繊細ですが同時に氣も手から出ています。そっとふれて何かを感じ取ってみましょう。チャクラが開きます。

現代人は下ばかり見て歩くくせがありますが、神社では上に視線を向けてみましょう。野鳥たちが賑やかに歌っています。よく見るとアゲハ蝶が自分を歓迎するように舞っていたり、神社全体の自然を感じてみると尚良いです。

この空中鳥居に出会った時は驚きました

本当に不思議なものです。
私たちが普段生きているこの現実世界とは、明らかに別のエネルギーを感じる大いなる何かの存在。

もちろんそれは宇宙の何かで間違いないのですが、それが地球に居ながらアクセスできるポイントが神社です。

ある人はリセットできる、ある人は清らかになる、また多くの人はお願い事や厄払いに行きますが、そもそも神社神道という日本古来の宗教は自然崇拝なのだそうです。

山、海、岩、木、風、雷、火、野鳥なども、神話に登場するような人間も神格化されますし、言葉や物にも神さまが宿るとするのが神道です。

ありがたいですね。日本人として生れてこれたことが。

DIC川村記念美術館

この不思議な宇宙の氣配を感じ取れる場所は実は神社以外にもあります。それは美術館です。

もちろん全ての美術館で神社のような氣配を感じ取れる訳ではありませんが、先日佐倉市のDIC川村記念美術館を訪れた際に特定の作品からそういった氣を強く感じ取れるということに氣が付きました。

以前より美術館は大好きで箱根のポーラ美術館や福島の諸橋近代美術館など、いろんな美術館へツーリング先で訪れてはいたのですが、神社通いで敏感になったお陰なのか?今回のDIC川村記念美術館の訪問ですごく宇宙の氣を感じたのです。

館内に入るとDIC川村記念美術館が間もなく閉館してしまう(これを書いている現時点ではまだ分かりませんが)噂を聞いて、多くのお客さんが来館していました。

少し賑やかな館内であっても、すごく雰囲氣がよく周波数が宇宙なのです。周波数が宇宙???自分で書いていて良く分かりませんが、とにかくこういった世界は言語化しにくいものです。

館内は撮影禁止なのでネットより画像をお借りました

驚いたのは特に宇宙の氣を感じたのがモネの睡蓮、ピカソの2作品、シャガール、ルノアール、レンブラント、ボナールでした。どれも超有名な絵画作品ですが画の前に立って神社参拝のように無心になると、全身がゾワゾワと微弱な電気が走ったようになります。

ロシアの量子物理学者で作家のヴァジムゼランドは著書にこう書いていました。
人間は現実の世界とイメージの世界の2つを同時に見ることが苦手である。2つのイメージの外にある氣付きの中間点(空白の領域)に意識を合わせると現実もイメージも意のままにできると。

ゼランドが空白の領域と呼んでいる現実でもイメージでもない世界に意識を向けることは、ヒトの内なる宇宙へ直霊(自分本体といえる魂)を向けることではないだろうか?と私は思いました。

しかし興味深いのは神社と美術館に共通点を見つけたことです。
もしかしたら、これら宇宙の氣を感じる場所とは、世界中の人々が「それは素晴らしい」と認めた集団的無意識が発生している【氣】なのかもしれませんね。

磁場と太陽光で自転するMOVAの地球儀が「ここも宇宙だよ」と語りかける

本当なら瞑想を極めれば無我無心の状態になり、脳内の静けさの中にあるゼランドの言う氣付きの中間点、私の解釈でいう宇宙にアクセスできます。

しかし私たちが現実と呼んでいるこの地球も、宇宙が内包している一部な訳ですから宇宙由来のエネルギーは実はそこら中に存在していて、自分の内部にも存在しているのだと理解できます。

量子物理学者はそこら中にある宇宙由来のエネルギーをゼロポイントフィールドと呼んでいますが、これは難しい話へ飛躍するので別の機会に記事にしたいと思います。

私たちは忙しく生きる日常の中で、自分らしく生き抜くことを見失い、深い思考や理性の世界に縛られています。

人間は社会的活動をする生き物なので仕方のない事ですが、あまりに社会的過ぎることで魂がどこかへ抜けてしまい、社会的奴隷制度の監視下にあるゾンビのようになっている人をみかけます。

いちど深い思考から解放されるために神社参拝、美術館訪問、瞑想などいかがでしょうか。哲学に思いを深めれば自己実現の人生を歩めます。

今回はこの辺で!

SHIGEYOSHI TATEZAWA


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