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「また年をとってしまったー」と言える奇跡

4月某日
若い頃は、「あーまた一つおばさんに近付いてしまった」などと、何の思慮もなく軽々しく口にしたものだが、九年前に病気をしてからは、無事に誕生日を迎えることのありがたさが年々増している。
当時は、「来年はもうない」とすら思った。あまりの体調の悪さに、自分の病状を極端に勘違いしたからなのだが、でもまあ大きな病であったことには変わりない。
あの頃は、青空を見ても、雨を見ても、月を見ても、何もかもが愛おしかった。生きていることの実感に喜びを覚えたものだ。
だが、何事もなく過ぎていく日々が重なっていくにつれて、その思いを忘れてしまうのは、人間の弱さか、愚かさか。

ともあれ、病以降の「また年をとってしまったー」は、老いることへの嘆きではなく、「また一年、無事に過ごすことができました」の感謝の意に他ならない。

そんなわけで、また一つ、年をとりました。

毎年、誕生日には、夫と好きな店にごはんを食べに行ったり、昨年の還暦祝いには娘たちが帝国ホテルのビュッフェをプレゼントしてくれたりと外出することが多いのだが、今年はそういう気分ではなく、ただひたすら「家でまったりしたい」と思った。
昼間、辺鄙な場所にあるケーキ屋さんにケーキを買いに行く。自転車で行けばそう不便でもないのだが、繊細なケーキを自転車のカゴに乗せてガタガタ運ぶわけにもいかず、夫とバスで出かけることにした。恐らく地元民しか知らないであろう店だが、都心の有名店よりよっぽど美味しい。ひっきりなしにお客さんがやって来る。
ふだん使わないバス路線だし、夫は初めてだったので、「知らない道を通って、いろいろと楽しかった」と言っていた。自転車に比べるとえらく回り道なのだが、それもまあプチ旅行のようでいいのかも。

おひるは残り物で簡単に済ませて、珈琲をいれてケーキ。
録画したドラマをだらだらと観る。
年を取ると、時間が過ぎるのを早く感じるようになるというが、一週間前に見たはずのドラマの内容が明確に思い出せなかったりで、ひどく昔のことのように思えたりする。これが老化か?
登場人物があまりに多いと、誰が誰だかわからなくなるし、名前もよく覚えられない。頭の体操には、混み入ったドラマを観るのもいいのかもしれないな。知らんけど。

夕方、近所のお寿司屋さんに、取り置きをお願いしておいたお寿司を取りに行く。近所といっても、歩いて15分はかかるので、軽い散歩にはなる。知らなければ前を通っても気付かないぐらい小さな小さな店なのだが、大将が丁寧に作っているのでとても美味しい。酢飯がうっすら色づいているので、恐らく赤酢を使っている。いつ食べても穴子が絶品。
並ぶこともないし、人混みの中を通ることもないし、のんびりぶらぶら歩いて行ける場所に、どこよりも美味しい店があるのは本当に幸せ。

夕飯は、このお寿司と成城石井ブランドの赤ワインで乾杯。
そしてまた、ドラマをだらだらと観る。

特別なことは何もない。けれど、それこそが奇跡。
何より、こうやって一緒に美味しいものを食べて、穏やかに笑っていられる、そういう人と出会えたことが、私の人生の答え。
Eテレの『理想的本箱』「時間に追われている時に読む本」の回が感動的で、二人で感心していたら、夫が「うちはこういうのを見て同じように受け止められる、同じ価値観の持ち主同士でよかったね」と唐突に言い出した。ついさっき、私が改めて自分に確認していたことなので、夫も同じ気持ちなんだということが嬉しかった。日頃、あまりそんなことを口にしない人なんだけど。

さてさて、意識して、しっかりと自分を鍛えないと、知らぬ間にずるずると衰えていく年齢。今年は心を新たに体を動かすことを特に心がけたい。初めの一歩を踏み出さないと、いつまでも変われないので、とにかく歩こう。走ろう。登山デビューしよう。できたらバレエも再開したい。本も読みたい。勉強もしたい。美術館に行きたい。紙もの集めもしたい。刺繍もしたい。絵も描きたい。歌も詠みたい。

うん。まだまだやれる。がんばれる。そんな誕生日。

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