抗不安薬を飲むことの不安
昨年、夫の膵臓に大きな嚢胞が見つかり、どうやら消化器系最難関といわれる手術をしなければならないだろうということになってから、手術のリスクや夫の体への負担を想像すると、手が震えるような怖さを覚えて我慢できず、昔お世話になった精神科クリニックに連絡をとりました。
私ががんに罹患したときに頼った先で、がん患者専門のクリニックです。
私はもう治療も済んで元気にしているし、夫はがんではないので診てもらえるのだろうか?とメールしたところ、
「お久しぶりです。よく思い出してくださいました。」とお返事を頂き、快く迎え入れてくださいました。
偶然にも、先生も同じ嚢胞をお持ちで経過観察中とのこと。
「心配ないよ」と言ってくださり、お守り代わりに抗不安薬を処方していただきました。いざというときは薬を飲めばいいと思うと、不思議と飲まずにいられるものです。
夏になって、手術が現実のものとなってからは、強い不安が込み上げてきたときだけ服用。
手術の前後。怖い合併症が起きてしまったとき。退院しても一向に食べられず、大量の胆汁を吐くだけだったとき。再入院の間。厄介な合併症である胆管炎を起こしたとき。
その都度、薬のお世話になり、何とかやり過ごしてきました。
冬になり、夫の体調も落ち着いてきて、ようやく「手術をしてよかった。もう大丈夫。」と思えるようになったと思ったら、あっけない父の死。
穏やかな老衰ではありましたが、異変が起きてから亡くなるまでわずか六日。
心の整理がつきません。
再びクリニックを訪問し、抗不安薬を処方して頂きました。
夫の手術のときは、薬を持っているだけで、そんなに飲むこともなかったのに、父の死後は、飲まないとなかなか寝付けなくなりました。
何よりつらいのは、朝、目が覚めた瞬間に、どすーーんとこの世の終わりのような絶望を感じること。
朝になるのが怖くて怖くて。
父を亡くしてまだ日が浅いからだろうかと、先日の診察の折に医師に確認したところ、
「時間が経っても自然には治らないよ。薬はちゃんと飲んだ方がいい。」
と言われました。
それから十日。
とりあえず二週間は毎日飲んでみようと思い、服用を続けています。
やはり効果があるのか、朝目が覚めた時の絶望的な憂鬱感はほぼなくなりました。
ただ、今度は、飲み続けて大丈夫なのだろうかと、別な不安が頭をもたげてきます。
なんといっても脳に作用する薬。
依存症が起きる、認知症になりやすいなんて噂もあり。
もちろん、医師は「その心配はない」と言います。
それに、わたしの処方量はとても少ないこともわかりました。
とはいえ、不安はゼロにはなりません。
そんなときに、ある精神科医の記事を目にしました。
ご自身が鬱になりかけ、薬を飲んで治したという体験談。
そこに書かれていた薬の中に、わたしが処方されている薬もあり、
(そっか。やっぱりきちんと飲んで、きちんと眠って、きちんと休んで、早く治した方がいいんだ)と思えるようになりました。
心配性な性格、神経性強迫症ぎみな気質。
いろいろと厄介ですが、もうしばらく薬の力を借りてみようと思います。
脳の本質は、元々ネガティブなものらしいので、心配ごとにはキリがありません。自分が生み出しためんどくさい妄想に、自分の心が振り回されないように努めてみます。