見出し画像

「ああ、楽しかった」という生き方

作家の佐々涼子さんが亡くなった。
56歳。
「持病」の頭痛に耐え切れず受診したときには、悪性脳腫瘍が進行していた由。
余命14ヶ月。

作家の山本文緒さんが亡くなったのは58歳のとき。
膵臓がん。
余命4ヶ月。
その過程は『無人島のふたり 120日以上生きなくちゃ日記』に詳しい。

突然、病を宣告され、余命を告げられる。
それは本当に「突然」なのだ。
考えていても、考えていなくても、心配していても、心配していなくても、来るときは突然、わかるときはいきなりやってくる。

ああ、楽しかった

その日一日を、そう言って終えて、次の約束をせずに帰る。
なんと素敵な生き方だろう。

佐々さんはそう仰っている。
横浜こどもホスピス「うみとそらのおうち」の代表理事の話を得ての言葉。
こどもホスピスに来るこどもたちは、大人以上に敏感に自分の命を悟っており、もっとこうしたいとか、また今度ね、などという欲を見せない。
ただその日、その時間をめいっぱい楽しんで、
「ああ、楽しかった!」
そう満足して帰って行くという。

私にも、そんな心境になれた時期があった。
がんがわかった時。
あの頃は、顔色が悪く、地下鉄の階段で息切れがして、途中で休まなければ上り切れず、かなり体調が悪かった。
そっか、がんなのか。
それでこんなに具合が悪いのだとすれば、もうそんなに長くないな。

勝手にそう思った。

そうしたら、目にするもの、手に触れるもの全てが美しく、ありがたく、キラキラと輝いて見えた。
空が青いのが嬉しい。
雨の音がするのが嬉しい。

十分だ。
幸せだ。
ただ生きている、それだけでいい。

そう思ったのに。

具合が悪かったのは、がんのせいではなく、子宮筋腫による重度の貧血のせいだとわかった。
がんの手術に向けて貧血を治していくにつれて、あれよあれよと元気になった。
がんの治療はこれからなのに。

そうすると、忘れてしまうのだ。

ただそこにある空を見上げて美しいと思ったこと。
嬉しいと思ったこと。
今が楽しいと思ったこと。
先のことを憂えることなく、満足できたこと。

人はなんて学ばない生き物なのだろう。

なぜ?どうして?

そう問う間もなく、問うたところでどうなるものでもなく、ある日突然やってくる命の区切り。
その瞬間になって気付くのは寂しい。

なんでもない一日にこそ感謝を。

ああ、楽しかった

今日一日、そう言えればいい。
特別なことなんてなくていい。

病に限らず、事件、事故、災害。
その日は突然やってくる。
それは恐らく、誰にも平等だ。

ああ、楽しかった

そう言って、眠りにつく。
明日は新しい命の始まりだ。

追伸
横浜こどもホスピス「うみとそらのおうち」は、一看護師の遺産1億5000万円の寄付を機に設立されたという。志のある方はひっそりと息をしていて目立たない。SNSやマスメディアに惑わされるな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?