申し訳ないのはこっちです
1.
どんなに超絶急いでいても、駅の改札は開かない時は開かない。特にsuicaにお金が入っていない時はなおさらだ。でも人は焦れば焦るほど、当たり前の事実から目を背けがちになる。何かの間違いでは?となんどもセンサーにカードを叩きつけ、貴重な数秒が流れていった。
この日はイラスト持ち込みの営業の日で、時間が迫っていた。その会社はなんども電話してようやくアポの取れたセンスのいい憧れの会社だった。前日から絶対遅刻しないぞと意気込んでいたが、そんな時に限ってなぜか寝坊する。自動発券機の前に立った僕は時計を見る。あと5分。なんとか間に合いそうだ。僕は息を整えて自動発券機の挿し込み口にsuicaカードを挿し込み、普段よりお金を多く入れておこうと思って1万円札をねじ込む。
ところが次の瞬間ピーっとという音が鳴り響いた。
画面にエラー発生という文字が表示される。なんだこれは。
僕は取り消しボタンを押す。なんの反応もない。自動発券機についている、ありとあらゆるボタンを押してみたが、うんともすんとも言わない。
僕は軽くパニックになりながら、必死で呼び出しボタンを連打する。
すると突然、視界の斜め上にある何かが、文字通りパカッと開いた。
それは小さい小窓だった。窓の向こうは事務所になっているらしい。
中からメガネをかけた、ロボットのような硬い微笑を顔面に貼り付けたお兄さんがこちらをじっと見ていた。突然の事に一瞬心臓が跳ね上がった。
「suicaカードのことですよね?」
「えっ?」まだドキドキしている。
「suicaカードのことですよね?」
「そうです。」
「お手数ですが、隣の窓口まで来てください」
すると今度は心臓が重くなって沈んだ。
「なんでですか」
「実は中からカードを取り出したあと、少し説明しなきゃいけなくなりまして」
時計をみるとすでに2分が経過していた。迷ってる暇はない。
自動ドアをくぐり抜け、窓口に入ると、カウンターの向こうにお兄さんが立っていた。
「自動発券機が壊れてしまったみたいです。ご不便をおかけし申し訳ありません。」
メガネで痩せた背の高めのお兄さんだった。少し早口気味。
「それよりカードありますか」
「こちらです」
駅員さんがカードを机の向こうから取り出した。
確かに僕のカードだ。
僕はそれを受け取ろうと手を伸ばす。
「申し訳ありません、そのカード、発券機の故障に巻き込まれて、壊れてしまったみたいなんです。そのため新しいsuicaカードを発行していただかなければいけません」
えっ?
思いもよらぬことで、一瞬事態が飲み込めなかった。
「えっ、これ使えないんですか?」
「はい、壊れました」
それなら「どうぞ受け取ってください」って感じで見せるなよ・・・。
「じゃあ、新しいカードもらえますか?」
「それが、明日にならないと、お渡しできないんです」
えっ?
じゃあ今日はカードは使えないってこと?
これから行く途中の複雑な乗り換えも、全部切符でやらなきゃいけないってこと?とその時、チャージ用に一万円入れたのを思い出した。
「じゃあ一万円返してもらえますか?チャージするために入れたんですけど」
ところが、衝撃的な答えが返ってきた。
「実はカード、壊れる前にチャージできたのかどうかがわからなくて、今お金をお渡しすることができないんです」
なんだと・・・。
「そしたらいつ渡していただけるんですか」
「明日にはチャージできたかわかるので、明日もう一度お越しください。新しいカードと一緒に一万円もお返ししますので。とりあえず古いsuisuiカードをー・・・」
話の途中、ちらっと時計を見た瞬間、全身の血が急激に頭に上ぼり、世界から音が消えた。残り1分30秒を切っていたのだ。
もう無理。いかなければ。
「明日また来ます」
僕は自動ドアに向かって早歩きで歩き出した。
振り返ると店員さんがカウンターに一枚の紙を差し出した。
「申し訳ありません、新しいsuicaカードを受け取るために、こちらに連絡先を書いていただく必要があります」
なっ・・・先に言えよ!
僕はパニックになるのを抑え、住所と電話番号を書く。もう一刻も猶予がない。時計を見る。1分を切っている。
僕は出口にダッシュした。もう全速力じゃないと間に合わない。
なんだよもう!
「この古いsuicaカード、お持ち帰りください」
なんでだよ!そっちで処分してよ!!
僕は全力でそう言いたかったが、それも時間の無駄になりそうだったので、受け取る。
ここで注目!
ここではっきり宣言しておくけど、窓口で何かを受け取ったのは、この時の一回のみ。このことを頭において、読み進めて欲しい。
僕はもらったカードを、大きい手提げバックに放り込み、全力で走った。
2.
翌日、僕はまたあの窓口にいた。この日も持ち込み営業のアポを入れいていたが、電車の発車の40分前には窓口についていた。自動ドアをくぐってカウンターを見ると、昨日のあの駅員はいなかった。代わりに中年の駅員さんがぼんやり視線を空中にだだよわせ、カウンターの向こうに置物のようにちょこんと座っていた。
その向かって右側には、若手の駅員さんが見事なパーマをかけた中年女性に熱心に何かを説明していた。
僕は中年の駅員さんに声をかけた。
「すいません、昨日suicaカードが壊れてしまった者です。新しいカードを受け取りにきたのですが」
「ああ、えっと・・・お名前は?」
「山里です。」
「やまざと・・・やまざと・・・あ、これだね」
駅員さんはカウンターの奥から、クリアファイルを一つ取り出した。中に、昨日僕が名前と連絡先を書いた紙と、真新しいsuicaカードが挟まれていた。
「これです」
「それじゃあ引換券をください」
引換券・・・?
「引換券ってなんですか?」
「何って・・・引き換えする券ですよ」
いや、それはわかるけどさ。
そんなものをもらった覚えはない。
「使えなくなった古いカードならありますけど、それですか?」
「いや、そうじゃなくて、引換券ですよ。こういうの、もらったでしょ?」
駅員は、カウンターの裏から細長い券を取り出した。
もちろん僕には見覚えがない。
「僕もらってないですよ」
するとおっさんは「そうですか」といい、椅子の背もたれに深く寄りかかると、一つ深い呼吸をして、ぼんやりした目で僕を見つめて言った。
「それじゃあ新しいカードお渡しできませんね」
・・・いやいやいや。
ちょっと待て。
もらってないものに対してそんなこと言われても。
ふと、先ほど駅員が取り出したクリアファイルに挟まれた、僕の連絡先が目に入った。
「その紙に書かれた連絡先、僕のですよ、運転免許証見せましょうか?」
僕は免許証を中年の駅員に手渡した。
駅員は、免許証と僕の連絡先を見比べた。
「確かにあなたのカードですね」
「じゃあ新しいカードいただいてもいいですよね?」
「いや、ダメですね、お渡しする際には引換券が必要です」
「・・・・・・ってことは、そのカードが間違いなく僕のだと証明できても、引換券がないと絶対受け取れないってことですか?」
「そういうことです」
・・・なんだこのおっさん・・・。
絵に描いたようなマニュアル人間とはこういう顔なのかと思った。
「じ、じゃあ、100歩譲って、僕が引換券無くしたとしますね。その場合、新しいsuicaはどうやってもらえますか?」
「その場合はえーっと・・・。この引換券は14日間有効です。なので、14日後、この引換券が失効した後に、再度引換券を発行してもらい、新しいsuicaと交換ということになります」
おい。
おいおいおいおい。
ちょっとマジでふざけんなよ。
「すいません、昨日の担当者呼んでください」
するとおっさんはちらっと連絡先の紙に書いてあった担当者名に目をやって
「すいませんねえ、この担当のものは今日は休みを取っていて」
マジかよ今日平日だぞ
「じゃあ電話してもらっていいですか?」
「・・・電話ですか?」
「少々お待ちください」
おっさんは奥に引っ込んでいった。
僕は椅子に座って呆然としていた。ここ数年経験したことがないぐらいに煮えたぎっていた。
なんなんだこの理不尽さは。
1.自動券売機が突然ぶっこわれ、僕のsuicaも巻き込まれて一緒に壊れる(理不尽)
2.10000円も戻ってこない(理不尽)
3.翌日新しいスイカを取りに行くと、もらってもいない引換券を要求される(理不尽)
4.新しいsuicaが僕のものだとどんなに証明できても、引換券がないともらえない(超理不尽)
そして何より一番腹が立つのは、僕が「困ったお客」のような扱いを受けていることだった。あのおっさんの目は「何自分で勝手に引換券無くしておいて、イライラしてんだよ」と言っているような目だった。その目が頭に浮かぶとはらわたが煮え繰りかえった。
しかし、ここは正念場。できるだけ冷静になって、もらっていないことをちゃんと主張しないと、どんどん面倒な立場に置かれてしまう。とりあえず昨日の担当者に電話をかける運びになってよかった。ちゃんと正しく対処すれば、全てが穏便に解決するのだ。
ところが中年の駅員が戻ってきてこういった。
「確認したんですがね、確実にあなたに渡したそうです。」
えっ・・・
「本当にそう言ったんですか?」
「はい。だからあなた持っているはずですけどねぇ」
はあ?えっ?嘘だろ?
確実に古いsuicaしかわたしてないじゃねーか
「えっ本当に電話したんですか?」
「しましたよ、確実にしました。そして渡したと言ってるんです」
でも一方で、正直ここまで『確実にわたした』とはっきり言われるとは思っていなかったので、その衝撃はでかかった。自信がかなりぐらついた。僕の中で疑念が湧き出した。
僕は本当に引換券をもらってないんだろうか?
考えてみれば、時間に気を取られて話を上の空で聞いていた部分はある。もしかして、僕は引換券を受け取っていて、それを忘れているだけなんじゃないだろうか?
でも、引換券の実物を見ても思い出せないほど、受け取った記憶が全くないってことってあるんだろうか。古いカードを受け取った記憶は確実にあるのに。
僕は大きな手提げバッグを覗いてみる
ポートフォリオを試しに開いてみたが、引換券は出てこなかった。ついでに財布も、ズボンのポケットも(昨日と同じズボンを履いていた)も調べてみたが、もちろんない。
僕には記憶もないし、受け取った証拠もない。だから僕は自分を信じるしかなかった。
「僕は受け取ってないです」
おっさんは少し眉を動かし、視線を僕に向けたまま背もたれにもたれかかった。
「困りましたね」
僕はまた怒りが湧いてきた。
「いや、困っているのはこっちですよ。本当に、確実に渡したと言っていたんですか?曖昧に言っていたんじゃないですか?」
「それが言っていたんですよねぇ」
「それなら、正直に言いますよ、僕には昨日の担当者が嘘をついているようにしか思えないです」
おっさんの顔に困惑の色が広がった。ついに言ってしまった。
おっさんは僕がすぐ折れて帰るとでもと思っていたのかもしれない。でも僕は言ってしまったことでアドレナリンがドバッと吹き出し、さっきまで我慢していたことが堰を切ったように口から溢れ出てきた。
「そもそも、僕がここにいるのは、あなた方の機械の故障に僕のカードが巻き込まれて壊れたからですよ。引換券も渡されていないのに出せと言われ、もらっていないというと嘘つきを見る目で見られる。ひどすぎです!何も証明するものがないですが、僕はもらってないんです。もう一度言いますよ。引換券は、もらってないです!!」
隣で若い駅員の説明を聞いていたおばちゃんが立ち上がり、「ありがとう」と言い、そそくさと去っていった。窓口の中の客は僕だけになり、シーンと静まり返った。
中年のおっさんは僕を見て黙っていた。
なんとなくだけど、僕が嘘をついていないっていうことが伝わったような気がした。僕の目に後ろめたさが全くなく、真剣だったからかもしれない。
中年の駅員は少し黙った後、「申し訳ありません、もう一度確認します」と言い、席を立った。
僕は椅子にへたり込んでしまった。こうやって人に怒りをぶつけるのは本当に気分がいいものではない。なんだかよくわからない複雑な気分になって、今までのやりとりを頭の中で反芻する。
でも、やっぱりあれは言わなければいけないのだと思い直した。
泣き寝入りは絶対したくない。
そう、泣き寝入りなんて本当に絶対にごめんだ。
次にあのおっさんが「渡した」と言ってきたらどうしよう?
今のうちにその対策を考えておかねば。
ふと、またなんとなくカバンの中を見る。
カバンの底に、昨日もらった古いカードが転がっている。
・・・・・・・おや・・・・・?
なんかこのカード・・・なんか・・・・・
しばらく眺めて、その違和感の正体に気がついた。
カードの端に、セロファンテープが貼り付けられている・・・。
俺こんなセロファンテープつけたっけ?
なっ・・・・
僕は薄々疑問に思ってたんだ。なんで、古いカードを返すのか。駅員がその場で処分すればいいのに。
でもそれは、裏面に引換券を貼り付けたためだったのだ。
薄々感じていたいろんな疑問が一気に氷解した。
僕が時間に気を取られて上の空になっている時、あのロボットスマイルの駅員さんが、引換券をセロテープで止めたんだ。
わざわざ、僕が無くさないようにするために!
僕は謝らなきゃと思った。でも、明らかに悪いのは僕だけど、あのおっさんの対応を受けて、素直に謝れるほど僕は器は大きくなかった。
じゃあ、もらっていないってシラを切り続ける?
いやそんなの無理だ、僕はすぐに顔に出る。
じゃあどうする?
僕は立ち上がって踵を返し、あたかも怒り心頭のように振る舞いながら、自動ドアに向かって突き進んだ。
その時だった。
えっ・・・彼は、隣で中年女性を接客していたお兄さん・・・!
僕はうつむき加減で足早に窓口を出た。
何も言えない。言えることなんてない。
でも本当はものすごく叫びたい。
「申し訳ないのはこっちです」と。
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