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 私には可愛い子どもがいる。名前は緑照りょくてる。珍しい名前かも知れないが、ちゃんとそこには意味がある。しかし今ここで話すべきではない。そう、私は迷っている。目の前には火事で今にも焼け落ちそうな家がる。必死に放水を続けているが、消える気配はまるでない。しかもまだ中には子どもが取り残されているようだ。野次馬の声では消せないその悲痛な叫び声が響き渡っている。例え耳を塞いだとしても頭の中まで聞こえてくるだろう。
 私は迷っている。もしかしたら今すぐに助けに行けば間に合うかも知れない。だが、かも知れないというだけで単独行動は許されない。私たちはチームで動いているからだ。しかし耳にこびりついた叫び声は容易に消せない。そしてそのことが私を突き動かした。
 私は防火服や酸素などの装備を瞬く間にプロらしく確かめて、文字通り”火の海”へと飛び込んだ。そして私は探した。必死に探した。その甲斐もあって見つけ出すことに成功した。手早く防火服の中に匿い出口を目指す。来た道を着実に戻る。それだけだ。
 死に物狂いで火の海から脱出して親のもとへと駆け寄る。絶望に満ちたその表情がみるみる呆然へと変わっていく。燃え盛る火の海から命懸けで子供を助けたのにだ。そしてその親はおもむろに子どもを私に投げつけた。もちろん痛さなんて感じない。親が子どもを投げつけるとは驚いた。今の衝撃で亡くなってしまったのではないかと恐る恐る拾い上げた。良かった。動くじゃないか。

親は私に言う。「どうしてスマホを持って来たんだ」
私は親に言う。「大切な子どもだろ」
親は吐き捨てるように返す。「本物の子どもだ」

 私は驚いた。このデジタルの時代で本物の人間の子どもを育てる親がいることに。そもそも私は本物の人間の子どもを見たことがない。私と親が言い争いをしている間に隊長は”本物の子ども”を救助していた。親はようやく安堵の表情を浮かべた。同時に私に軽蔑のまなざしを向けてきた。
仕方ないことだ。

私は失意のなか車に戻りスマホを取り出す。燃え盛る家の赤い火に照らされたスマホの中には、緑色の肌をした仮想空間で生きる可愛い我が子がいた。私もようやく安堵した。火の中でも見つけやすいように肌の色を緑にしたのが誇らしかった。

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