「主体的」に「やらされる」ことを選んだ独立リーグ時代

大学時代、野球をまだ続けていきたいと考えていた私は、社会人野球の門を叩いたが、採用までには至らず。

大学のトレーナーのツテもあって、独立リーグでプレーする道を選んだ。

独立リーグとは、NPB(日本プロ野球機構。いわゆる巨人やソフトバンクなど)に選手を送り込むことを目的としたプロ野球リーグである。

NPBと違って、給料はシーズン中しか出ず、その金額も生活ギリギリ。

歩合制で、活躍の度合いによって給料は変わる。試合に出なければ、給料はどんどん下がっていく。

オフシーズンは球団から給料が出ないため、スポンサーの企業で働かせてもらい、仕事のない日に練習をしていた。

上のレベルにチャレンジしていきたいと考えていたので、生活は苦しかったが、嫌になったことはなかった。

独立リーグで長く現役を続けるつもりはなかったので、3年やって芽が出なかったら諦めようと決めて臨んだ。

当時のトレーニング内容

最近、当時の野球ノートを見返してみた。

トレーニング内容を毎日記録していたのだが、それを今見ると「よくこんなのやってたな…」と思うほど恐ろしい内容だった。

11月2日
800m×5
60秒インターバル×5×3set rest120秒
ランジ
スクワットジャンプ
腕立て
バットリスト
懸垂
体幹5種
スタビ
ネットピッチング170球
ランニング25分
2月23日
ランニング
ストレッチ
600m×9+特守
体幹
キャッチボール50球
ピッチング57球
チューブジャンプ横、前、くぐり20×3
腕巻き2往復×1
指握り×100
サイド股関節50×3
野手捕り30×3
股歩き20m×3往復
二重跳び100
メディシンスロー
腕立てスロー ノーマル ナロー 5秒×10
背筋キープ10秒×10×1
股関節強化メニュー
ランニング10分
ウエイト下半身
スクワットワイド100Kg×12×2
スクワットナロー100Kg×12×2
スクワットキープ90Kg×7×2
レッグエクステンション86Kg×12×3+追込
レッグプレス206Kg×5×3
カーフレイズ178Kg×7×2
コーチ特別腹筋
ストレッチ
体重→82.0Kg

一例としてあげてみた。

ノートの原文そのままである。読み返してみると恐ろしい。気持ち悪くなって吐き気がする。

1日でこの量である。ほかにも400×10と5000×2を1日でやっている日もあった。

今陸上部顧問をしているが、陸上部でもこんなに走らない。100%怪我人が出る。

当時考えていたことは、タイトルにもあった「主体的」に「やらされる」練習。

自分1人でこんな量やれっこない。コーチに組んでもらったものを毎日こなしていった。

望んで独立リーグに挑戦し、さらに上のステージにいくためにはひたすら練習するしかないと考えていたので、辛かったが、練習が嫌で辞めたいと思ったことは一度もなかった。

納得して練習していたし、後悔はない。

今やれって言われたら間違いなく逃げ出す。断言できる。学生時代のトレーニングが比にならないほど辛かった。

それでも3年やって目覚しい結果は出なかった。

引退して思うのは、もっと体の使い方や体の構成について勉強する必要があったのかもしれないということ。

がむしゃらにやるだけではダメで、そのトレーニングがどのような効果をもたらすのか。

当時は考えていたつもりだったが、浅かったように思う。私にはその思考が足りなかった。

これだけやったんだから仕方ないという思いで精神的には納得しているが、もっと理論的な部分を学んで体の使い方に活かすことが必要だったかもしれないと思う。

「主体的」に「やらされる」練習に加えて、自分自身の考えや自分に合った体の使い方を学んで上手にアレンジしていけると、野球選手としてさらにレベルアップするのではないだろうか。

引退してからが本当のチャレンジ

独立リーグ時代は実に様々なことを学んだ。

野球観だけでなく、人生観を教えてもらった。

地域の子供達と野球を通して触れ合い、純粋に野球に向き合う楽しさを教えてもらった。

サポーターの方がいつも応援してくれ、力を与えてくれた。

野球以外にも様々なイベントがあり、私は人前で話す場面に駆り出されることも度々あった。

他の人がカンペを見ながら話す場面では、カンペなしで話すように心がけた。

スピードガンコンテストなるものでは、マイクを持ってMCを務め、ファンと参加者を楽しませる内容をアドリブで考えながら進行した。

新人銀行員の前で、私の生き方や考え方を講演することもあった。

こんな経験も人前で話す教員だからこそ今に生きていると言える。

独立リーグは人間として大きく成長できる。

これは断言できる。

NPBにいける人間はほんの一握りで、ほとんどの人間は野球を引退した後の人生の方が長い。

独立リーグは「野球をあきらめる場所」でもある。

社会に出てから独立リーグで学んだことを生かすことで、他の人にはできない貴重な経験値をもった人材となる。

それが育ててもらった独立リーグへの恩返しでもあると思う。

自分の生き方を無理強いすることはないが、私は教員という道を歩んでいく中で様々な挑戦をする生徒を見守っていきサポートしていきたいと考えている。

次は、この独立リーグ時代の3年目の変化について書いていきます。ありがとうございました。

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