陽だまり

yahooニュースだったか

ル・クプルのその後、、みたいな記事を見た

”陽だまりの詩”は当時好きな曲で

私はほぼ邦楽音痴なのに彼女の声が好きで

耳に残っていたなあ

「 あなた愛してくれた

  全て包んでくれた

  まるで陽だまりでした 」

どんな声だったかな、と検索して聞いてみました

「会えなくなってどれくれい立つのでしょう」

「どんなに言葉にしても足りないくらい」

「あなた残してくれた

 全て忘れないで

 誰かを愛せるように

 広い空の下

 二度と会えなくても生きていくの

 こんな私のこと心から

 あなた愛しててくれた

 全て包んでくれた

 まるで陽だまりでした 」


恋愛の歌ですね。素敵な曲です。


私は今年1月に父を亡くしました。

私の父は自由な人で

田舎の出身でした。

東京オリンピックの時

自分でテレビを組み立てて見た人です。

その世代ならわかるのかなあ

戦後の平和な時代に育ちましたが

所々

明るさと暗さが入り混じってる

そんな世代です。

そんな父は高校生で

下宿先で出会う後々の祖父に男惚れしてしまいます。

船の船長をしていたロマンあふれる

男気のある祖父に強く憧れを抱きます。

カッコよく、沢山の荒くれ船乗りをひとまとめに可愛がり

とても尊敬されていた、そんな祖父です。

父はその祖父の娘と結婚をします。

そして私が生まれるわずか1ヶ月前に祖父は事故で他界します。

祖父の葬式には真っ黒でガタイのいい船乗りや寡黙な漁労長までもが

人目をはばからず大声で泣いて惜しんでくれたと聞いています。

祖父の他界のあと私は生まれ12歳まで円満な夫婦の中で育ちます。

そしてそんな父母ににもいろんなことが起き離婚してしまいます。

13歳の時です。

離婚の際

どうしても娘は手放せないと

私と妹を手放さず育ててくれたのは父でした。

釣りや海がすきで

手が器用で裁縫から料理

車の整備から家の手入れ

私のリクエストで当時の自作ゲームのプログラミングもこなして

全てにおいて魔法使いのように自分でこなす父でした

今思えばその頃父はかなり女性にはモテてたなあ。

「プロができることは

プロも初めからプロではない、プロ級までとは

行かなくてもまずは

自分でやってみようと思うことが大事なんだ

仕組みを知ることでその先が見えるんだ」

と、そう教えられました

技や教えは時には盗んでもいい

自分でモノにしろ、と

ルールも時には破っていい

ただ責任は自分に降りかかる

辛くなるからあまり無茶はするな、と




父が去ってもう9ヶ月近いのに

実感が湧かず、、今に至ってます。

闘病でやせ細り

長い入院で疲れきり、せん妄もひどく精神科に入院することも。

あのたくましく筋肉隆々で丸太を軽々と抱え

路上で困っている車を見つけては整備士のように助け

釣り仲間と飲めば竿と盃を持った母里太兵衛と例えられる酒豪で

私のワンピースなどさらりとミシンで作って着せてくれてた

町内で困った人はうちに助けを求めてきて

蛇退治から雨漏り、電球換え、夫婦喧嘩の仲裁なんてのもやってたなあ

そんな父の思い出ばかりが蘇ります

車と女性は丁寧に丁寧に声を聞くことが大事だって言っていた父

海釣りでブーンと遠くまで竿を振る父

楽しそうに魚をさばいて庭の南天を飾って振る舞う父

家出をした私をレーダー探知機のように探し当てる父

大丈夫か

一人で苦しんでないか

お金に困ってないか

死ぬが死ぬまで本当に心配してくれて

世界一のこの世で一番の味方でした

失って

ただたださみしい。

正直大病でも死ぬなんて思ってなかったから

父が当たり前に与えてくれた

陽だまりはもうない

頭の中に大丈夫か?と声が聞こえて来るけど

声も忘れそうで怖い


私はカウンセラーで

親子間の健全性は勉強はしてはいるけど

でもね

でも

健全さ、とういうのは学問だけで計れない

健全さで言えば

父は過剰な愛情だったと思う

そのせいで私が生きにくさを感じることも大いにあったから

健全でなくてもいい


お父さん

あなたは私に与えてくれた

残してくれた

自分と向き合うことの大切さ

自分を信じることの尊さ

怠けてもズルしてもいい

なんでもいいから

幸せになれ、それだけだと

私を許してくれた

これ以上の愛情なんてきっと存在しないんだなあ

なんて思うことはちょっと不幸です(笑)

でも思う

私は父と同じように与える側でいたい

それほどまでに人を愛していたい

たくさんは無理だけどね(笑)



父と最後に会話したのは

「コウイチロウ(私の息子)を早く迎えにいってやれ

 あの子は本当に可愛い。本当に目に入れても痛くないってこのことよ

 早く帰り」

そういって、

じゃまた来るね、と私は病室を後にした。

手をさすり足をさすり、それが最後でした。

なぜハグしなかったんだろう

なぜもっと傍にいなかったんだろうって

後悔は相当しましたが

父はきっと「いいとよ、それで、お父さんは大丈夫」って言うはず

父の話は今まであまり話したくなくて

自分でもそんなに気にしていなかったけど

ル・クプルさんの記事みて、なんていうか

どっと感情が押し寄せてきました、

父を失い自分が思う以上の喪失感を堪えて来ていたんだなあと実感しました。

父が目に入れても痛くない私の息子の

「陽だまり」でいたい、そう思います

父が与えてくれた信じられないほどの愛情を

どう健全に息子に伝えて行けるか??とは思うけど

私に絶対の自信を与えてくれた

そこだけはしっかり受け継ぎたいと思います。

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