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うさぎごと 第9回「誰かが間違った行動をしたとして、それを伝えるべきか」

 誰かが何かを間違えたとき、どうしますか?

 学校の授業で先生が黒板に書いた漢字とか、家族が買い物でほしい食品を違う売り場に探しに行ったりとか、個別会計できない店での割り勘の金額とか……私はその場で「間違えてますよ〜」って言ってしまうタイプです。

 でもそれって、本当にいいのでしょうか。

 誰かが間違えたとして、それを伝えるべきなのでしょうか。

 今日は「誰かが間違った行動をしたとして、それを伝えるべきか」を考えていきます。

 私の考えを率直に書いてしまうと「信頼関係がある人が相手で、明確な正しい答えが決まっている物事については、間違いを指摘した方がいい」と思っています。逆に言うと、それ以外のパターンでは、間違っていたとしてもそのままにしておく方がいいことが多いと思っています。ひとつずつ説明していきます。

 「信頼関係がある人」とは、必ずしも「家族や仲がいい人だから信頼できるというわけではない!」のが重要です。家族でも信頼関係ができていない場合はあります。良好な家庭に育った方は想像がつかないかもしれませんが、世の中には家が落ち着かない環境の人もいます。また、どんなに知っている人でもすぐ機嫌が悪くなる人とは信頼関係が築けないです。反対に、あまり知らない人でも、行きつけだったり接客が丁寧な店の店員さんは信頼できる時とかもあります。仲がいいか悪いか、距離が近いかどうかではなく「信頼関係があるかどうか」です。

 「明確な正しい答えが決まっている物事」というのは、数字だったり、漢字だったり、道順だったり正誤をハッキリできることです。
 正誤がハッキリしていないこと、言い換えると「人によって基準や答えが違う物事」については、絶対に指摘しない方がいいと思っています。

 じゃあ人によって基準が違うもの、具体的になんだろう?と思う方もいると思います。無限にあります。よくある例だと「発言」「態度」「喧嘩」「酒」「タバコ」「ギャンブル」「浮気」とかです。

 「発言」を掘り下げると、「あの発言よくなかったよね」「その言い方は間違っていたんじゃない」など、言う人がいると思います。たいていは相手のことを思って言うのですが、この間違いの指摘はトラブルになることが多いです。どうしてトラブルになるかというと、本人も悪かった自覚がある上に正解がないからです。言われた側も「もっといい言い方があったな」と心の中で反省していることが多いのです。そこに畳み掛けるように間違いを指摘してしまうと、相手の悲しさや後悔を増長させる方に進んでしまいます。「じゃあどうすればよかったんだ」と怒りに転じる場合もあります。やるせなさの矛先が、間違いを指摘した人に向かうのです。

 喧嘩もタバコも酒もギャンブルも浮気も、本人はどこかで後ろめたい気持ちがあります。ただ、明確な犯罪ではないですし、本人の責任において実行する分には間違いではないのです(浮気や不倫は民法に違反する行為(「不法行為」)として、慰謝料の支払い義務を負う可能性がありますが、浮気自体を罰する法令はなく、犯罪ではないです。気になる方は調べてみてください)。なので、よほど自分の近しい人や大切な人でない限りは、注意したり指摘しません。それがお互いのためだと思います。

 じゃあ、自分の身近な人や大切な人が「それは間違いだよ」と思ってしまうくらいの言動をしたり、何かに依存したりしていたらどうしたらいいか。

 答えはないのですが、私は「自分がどう感じたか」を伝えるようにしています。

 誰かが間違っていることをしているなと思ったら「悲しいです」と言う。私からの「悲しい」を聞いた上で、どう行動をするかは相手に委ねる。それも何度も言うのではなく、本当に伝えようと思ったタイミングで、1度だけ言うようにしています。あとは信じて待つ。

 そして悲しいことだけではなくて、誰かが素敵なことをしてくれたら「嬉しいです」と言う。これは沢山言っていってください。嬉しいことを伝えると、お互い嬉しいことをしたいと思います。「悲しいからやめてほしい」だけではなくて「嬉しいからもっと!」を増やしていく。そうすると、自然と悲しいことよりも嬉しいことが増えて、どんどんいい流れができていきます。

 他人を変えようと思わない。ただ、自分がどう感じたかは伝える。もし「間違ってる人を指摘しがちだな」と思った方は、「嬉しいをたくさん伝える」をちょっとずつ試してみてください。そして、大切な人が間違っていることをしていたとしても、いつか伝わると信じてほしいと思います。たくさん間違ったことをしてきた人より。

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