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うさぎごと 第8回「病気をアイデンティティにしてもいいのか?」

 「統合失調症のウサギ」という名前で活動を始めてから3年ほど経ちました。今は「統合ウサギ」です。由来はもちろん、統合失調症からきています。名前をつける時に悩んだこと、それは「病気をアイデンティティにしてもいいのか?」ということでした。

 結論から言うと「一時的にはアリ!」だと思っています。ある程度回復するまで、寛解するまで、気持ちの整理がつくまで、私は統合失調症であるということがしっくりくるまで……人によって区切りはさまざまです。なぜ一時的かというと「一時的」をつけないと、ずっとその「統合失調症」という個性に甘えて、他になにもしなくなってしまうから。他になにもなくなる、ということが一番怖いことです。

 私は実は、X(旧Twitter)のアカウントを3つ持っています。ひとつは統合失調症の闘病アカウントで統合ウサギ、ひとつは地元で会う人との交流用、もうひとつはオタク用…みたいな感じです。統合ウサギ以外のアカウントはほとんど個別にメッセージをするくらいで、つぶやいてはいません。ただ、この3つは自分にとって「居場所」になっています。行きつけのカフェが3つある感覚です。今日はあそこには行く気分じゃないけど、こっちの店長や常連さんと話したいな…みたいな。ですので、SNSをやるときにアカウントは2つ以上あるといいと思います。

 もし統合失調症が治る病気だったとして、治ったとき他に関わる場所があるということは、安心します。実際、私はアカウントを作成した2020年からかなり寛解しており、病気についてつぶやくことも減りました。共感すること、してもらうことは減っていき、果たして「闘病」しているのか?と思うこともあります。(私の場合は統合失調症と「闘う」というよりも「隣に座っている」という感じがします。隣に統合失調症がいる。たまに邪魔をしてくる。寄りかかれるときもある。そんな存在になってきました。)

 この文章を書いていて気がついたのは、私にとって統合失調症とは「自分」ではないです。私は私という存在で、病気は病気です。アイデンティティにするには「統合失調症」では足りない。もっともっと、他の「私」を表現していきたい。たとえばそれは大それたことではなく「カレーが好き」「本を読むことが好き」「うるさい場所や人がちょっと苦手」「色見本が好き」とか、そういったことでいいのだと思います。

 「病気をアイデンティティにしてもいいのか?」という問いへの答えは、「一時的にしてもいいけど、もっと素敵な個性や好みがたくさんあるので、そっちを掘り起こして育ててみたらいかがでしょう」になりました。自分の好きなことを私はまだ突き詰めていけていませんが、成長させていきたいですね。

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