#1 言葉なんて意味がない?言葉だけじゃわからない真意を把握しよう【漢文から学ぶ】
昔けんか別れした元カノ(黒歴史)に「こういうことを言わなくても、私のことを理解してほしかった」といわれたことがある。
これよく別れ話で言われるセリフかと思うけど、たとえば実はこの行動をやめてほしいとか、プロポーズしてほしいとか、暗に示されたとしても、
「実際にそれ言わなきゃわからないだろ!」と思う方が大部分だと思う。
ということで皆さんやめましょうね。恋人や親友だからって、完璧な以心伝心なんて超能力者じゃないと無理なんで。
ところが、漢詩になると話が変わってくる。
わずかな言葉だけで別の真意をくみ取ることができる。というか、くみ取らないといけない。
言葉なんて意味がないとすら思えてきてしまう。読み手の自由な解釈といえばそうなんだけど、そこまで読み取ろうとしないと詩の鑑賞としては不十分になってしまう。
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たとえば、杜甫の「春望」という有名な詩では、
国破れて山河在り 城春にして草木深し(國破山河在 城春草木深)
という一節がある。
高校でもやるような有名な漢詩なのでご存知でしょうか。
この2句だけとりあげる。
ここでは国の都の長安が戦乱で破壊されてしまい草木が生い茂っているばかりの様子を描いているが、杜甫は別に山河があることや草木が生い茂っていることについて言いたいわけではない。
この1節には、国都長安の立派な都市の姿がすっかりなくなって山河や草木が生い茂るばかりばかりになってしまい、あんなにたくさんの人が住んでいて美しかった都が失われたという深い悲しみが込められている。悲しみだけでなく怒りや悔しさ、虚無感などもあるかもしれないが。
いずれにせよ、杜甫の感情は「山河在」「草木深」というたった3文字で表している。いや、というよりもその3文字の言葉の外で意味を創り出しているといえる。
だってただ「山河在り」って言われたって、言ってしまえばどこにでも山や川くらいあるからね。その何とも言えない感情をグダグダとは書かず、「山河」や「草木」という言葉に合わせて表している。
ちなみに「鳥驚心」や「抵萬金」も似たような響きがある。
古池や かはず飛びこむ 水の音
これは松尾芭蕉の俳句だけど、池に蛙が飛びこんだ!ということを言いたいのではなく、その飛びこむ際の小さな音が聞こえるほど静かということを強調したかったのだろう。
この句には対照から新たなものを作り出すという考え方も含まれていて(これはまた改めて紹介するけど)、別な解釈もある。
いずれにせよ、表面上の言葉だけではなく言葉の裏にある作者の意図を捕らえることができると、グーンと鑑賞力が伸びる。このような例は数多く存在する。
個人個人の考えに正解間違いはないはずだけど、高校国語でよくやる"正しい"解釈は専門家が考える通釈例からは間違っている。
個人的には、もしかしたら文系学生含めて国語が苦手な人は、この表面上の言葉にこだわってしまい、外の真意をつかむのが苦手なのではないかと考えている。
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この記事でも書いたけど、自分の直観的な感情や思いを言葉で表すのは非常に困難である。
だが、文学として言葉に託す際は、ただ話すよりも鑑賞・解釈ということができる。だから表面の言葉というのは核心的な意味を持たない。
村上春樹のような難解な小説家の作品はそういう技法がふんだんに組み込まれているだろうし、漢詩や俳句のような短いものでは名詩人と呼ばれる所以になる。
老荘思想が文学的にはもたらした功績は大きい。(杜甫は比較的儒教思想ってのをどこかで読んだ記憶があるけど)
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以上を踏まえるとある意味悲観的な考えではあるが、こういう風にわかりにくく書いたのは読み手へのいやがらせではなく、新しい考え方を今ある言葉で表現するのが難しいから、仕方なくやっているような面もあるかもしれない。
特に陶淵明や杜甫はその考え方が顕著だ。このことはまた機会があればじっくり書くことにしよう。
さて、時が流れて今では21世紀。人工知能(AI)のような科学技術も発展した。
今後も決して詩の魅力が廃れることはないが、私たちが頭の中で考えていることを、人工知能が分析して言語化するようになるとか将来予想されているらしい。
いろいろな文学の専門家の評論を見まくってる文系人としてはありえないだろと思うけど、もし可能になれば、この壁を崩した先に新しい鑑賞ができるようになるだろうから楽しみだ。
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…最後に、本当にどうでもいいトリビアなんだけど、自然飲料メーカーの「サンガリア」社の社名の由来はこの「山河在り」という言葉が由来らしい。
杜甫の「山河在」という3文字が、21世紀の現代になっても会社名という新たなものを創ってしまったのだから、漢詩はやっぱり偉大だなと感じるよね。(というよりも、漢詩を取り入れちゃうサンガリアの創業者が変態な気もするけど)
企業の公式サイトを下に張り付けておきますね。
https://www.sangaria.co.jp/com/com-index.html
ちなみに、冒頭の彼女はそういう類の言葉を一言も発することなく、突然「言わなくてもわかってほしかった」とか言ってきて別れたということも、言い訳として最後に追記しておく。
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今回の「漢文から学ぶ」シリーズ、皆様いかがでしたか。
次回やるかはわかりませんが、面白かったら(感想・反論・議論などの)コメントやスキをお願いいたします。好評だったらまた何か書いてみます。
参考文献
・斯波六郎『中国文学における孤独感』1990年 岩波文庫出版
この本、孤独がテーマではあるが、感情を吐露する文学としては心の奥底にあったと思われる。14の有名な詩人が描かれている。
文学は孤独のような感情がつきものである。その感情を詩から読み取って詩人の感情を考察する本だ。杜甫だけではなく、李白や屈原、王義之など、様々な詩人の詩と解釈が紹介されている。
巷ではありがちな、漢文を書き下しと和訳しただけではないので、漢詩の入門書としてもお勧めできる。少し漢詩をかじっていて興味があるという方は、是非読んでみてください。
・『映像を見て感じた内容を脳から言語化する脳情報デコーディング技術を開発』2017年11月20日 MONOist(2020年9月7日閲覧)
https://monoist.atmarkit.co.jp/mn/articles/1711/20/news048.html
映像を見た際の脳活動を研究解読して、名詞・動詞、さらには形容詞も交えた1万語の中から合致する言葉を表現する技術を開発したという。何となく新聞かテレビで見た記憶がある。この研究今どうなってんだろう?
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