【書評】『哲学しててもいいですか?』を読んだけど、哲学を学ぶ意義は学生じゃわからない?
信州大学で哲学(倫理学・西洋哲学)を研究・教えている三谷直澄先生の『哲学しててもいいですか?』という本を読んでみた。
文系学部、特に哲学など人文系学部不要論に対して国立大学や教授・学生たち、社会の現状、そしてそれを踏まえて哲学を学ぶ意義も併せて書いてある。
久々にこういう類の本を読んだな。なかなか考えさせる良書だった。
ちなみに、この本はアマゾンレビューを読むだけでもすごい勉強になるよ。買うのはちょっと…って人もぜひレビューだけでも読んで考える練習をしてみてほしい。
哲学を学ぶ意義のないと思う学生・大人たち
筆者の三谷さんは信州大学で研究者として勤務している。
私の父の実家や友人が住んでいるということで少し知ってるけど、長野県といえば教育県でかなり故郷愛が強いイメージがある。そして大学時代から将来のことを考えている人も多いのかなと思う。(学問に対してだけでなく将来のビジョンを強く考える人が多い印象)
彼ら学生たちはあまり悪い道には進まず言われたことを堅実にやる。いわゆる悟り世代、というか「いい子」なのである。
しかし「当たり前」の世の中で生きていれば何とかなるから自分からは口出しも行動しない。何より、自分の役に立つことしかやりたくない、という傾向にある。哲学は就活に何の役に立たないからもっと役立つことをしたいとか、授業を聞くいい子にしてれば単位は取れるよね、とか。
しかし、当たり前が崩れかけている世の中では悟りというより甘えである。何なら自分よがりで他人に目を向けないので危険である。
そんな世の中だからこそ、三谷先生は哲学が必要だという。
哲学は役に立たないと思われるかもしれないが、哲学を通して他の人の意見も見るわけだから、自分以外の人目線で物事を見ることができる。それの最大のメリットは自分の中で完結する世界、「箱」の外に出ることができる。
わからないことも出てくるし、何時間何日も考えたり議論したところで答えが出るどころか、ますますわからなくなったり新しい問いが出てくる可能性だってあるわけだ。
そのことで数学のような確実な答えなんて出ないという現実を見ることになる。
そんな環境の中で問いを立てる勇気、さらには間違っても大丈夫という思考につながる。さらには「箱」の外に出ることで、自分の中の小さな世界だけでなく他人の思考や別の世界を見て、当たり前のことに問いを立てることができる。
このように三谷さんは主張している。
この理想をめざすことで(しかも本気でやればほぼ確実にできる)成功経験を得られて勇気、自信もつくだろう。留学などもなんとなく近いものなのかもしれない。
悟り世代でいいじゃない
私も「問いを立てる」必要性には共感するものがあるが、だからと言ってこの作品のすべてに肯定するかと言えば、そうではない。
学生たちは「箱」という自分の中で完結する社会に閉じこもっている、といってるけど、外の世界に出たところで変わることが少ないのも事実だ。
私は東北に単身NPO活動に行ったり、サークルでコロナ禍で引きこもりになったお世話になっていた老人の方々に何か自分たちにできることはないか考え行動するなど、自分なりに色々行動してきたからわかるが、何もしない方がはるかに居心地いい。
さらにいえば、行動したからって自分以外の人や社会で何か大きく変わった点などはっきり言って少ない。周りの人に変化をさせたことはあったけれど、その変化したいい方向を今後も続けていく自信なんて全くなかった。
単純に私が捻くれているから実感できていないだけなのかもしれないし、それを人生の目標にしている友人もいるのであまり大きなことは言えないが、自分自身が変わり、相手の社会も変えて、ではこれから何を起こしていくんだろう。
ぶっちゃけ、誰かにやれと言われてやったわけでもないので、なぜこんなことしたんだ?と思われてしまうと思う。自分でも時々こんなことして何になるんだと思う時もあった。
他人が後から見返せばすごいことしてると思われているのかもしれないけど、自分の中では何のために続けているかよくわからなくなりかけていたし、もっと本気で取り組んで多くの人を巻き込んでビジネスにつなげてしまう人もいる。そんな中で私は何してたんだか。
(まあ上には上がいる一方で下にはもっと下もたくさんいるということも、あえて付け加えておく)
何はともあれ、「考えてみる」ってことに一番意義がある
おそらくこういう本はウケない。
明確な答えは書かれていないし、答えといえば哲学をやる意義は学生じゃわからないけど大人になれば役立つって感じだ。
おそらくこれを大学入学したばかりの1年生が読んでも、よくわからないだろう。今まで受験では答えを出せといわれていたのが、突然答えがないから自分で考えろってことだし。
でも、だからこそ、何のためにあなたは若者をやっているのか、と考えてほしい。
前述のとおり、問いを立てることは哲学だけでなくすべてのことに役に立つ。
それであなたなりに考えても何も思いつかなかったとしても、それでも何もわからないということに気づけたんだから、立派だし素晴らしい。探求する対象が哲学じゃなくても、考えること、自分の外の思考を得ることは必要だと思う。
本やnoteなど文章を読むことでも、人の話を聞くことでも、映画でもなんでも、いろいろな人の思考を考えてみよう。必ず何か得るものがあるはずだ。
といっても、「考える方法」という本は意外と読んだことないから読んでみたいな。
哲学を学ぶ意義は大人にならないとわからない
正直この本を読んでも哲学を学ぶ意義は何となくしかわからなかった。
三谷さんも書いていたし私もうすうす感づいていたけど、人文学系の学問は後から役に立つからおそらく大人にならないとわからないということだろう。
こういう類の本は時々読んでいるし学部柄哲学を学ぶ意義とかは考えているが、どの本にも哲学は目先の役には立たないと書かれている。けれど必ず将来に役に立つ、自分の役に立たないと思うことも学ぶ意義は必ずあるとも示唆できる。
だから私が大学を卒業後に再読したらまた変わっていると思う。いや、むしろ卒業後に読んでこその本かもしれない。大学時代に学んだ哲学が何に役立ったか、その答え合わせじゃないけど、きっと視点が変わっていると思う。再読してまた記事を書きたいな。
哲学は不要といわれるのは仕方ないかもしれないけれど。
哲学は多くの人にとって不要だろう。目先の利益にとらわれるなという意見があっても、哲学を学んだところで将来的に何か役立つかといわれたらあまりそういうこともないんじゃないかなとも思っている。
だけど、そもそも「学ぶ」ことは本来贅沢なことだし、学ぶことで誰か自身を助ける道しるべになる。
ちょうど身の回りで不幸があったり、大学入試に失敗して精神を病んでしまった自分を哲学の探求心が救ってくれたように。もしかしたら自殺願望がある人に哲学の手を差し伸べたら救われる人もいるかもしれない。
一人一人異なる道しるべを作るのが哲学など人文学で、異なる道しるべをより細かく作っていくのが研究者じゃないかな。(哲学が私に何をもたらしたかはいずれ書こうと思う)
だから万人向けの科目ではないかもしれない。でも、哲学・人文学は色々な視点から誰かを必ず救うことができる。そう信じている。
これが、私なりの、哲学を学ぶ意義。
皆様ももし何か意見などありましたら、ぜひコメントお待ちしております。
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