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装鬼 第1話「黒百合騎士」 #1

 「スティールマン・セキュリティの須藤です。貴女が通報者の春山さんですか?」
「はい」
「突然の事でショックを受けていらっしゃるでしょうが、通報時の状況について詳しくお伺いしても宜しいでしょうか?」
 玄関先で質問しているのは、民間警備・治安維持会社『スティールマン・セキュリティ』の社員だ。その視線の先にいるのは、5分ほど前に同社へ通報した春山という若い女性だ。その傍らには、未だに恐怖で肩を震わせている彼女を支える、春山より一回り背の高い女性の姿があった。
「……はい。私は先ほどまで、近くのスーパーへ買い物に行っていたのですが、スーパーから出ると道路の向かい側から怒鳴り声が聞こえてきて……」
 鮮明に蘇りつつある恐怖に顔をしかめながらも、春山は必死に言葉を続ける。
「そうしたら突然……向かい側にいた人たちが……たくさん血を流して……っ!」
 とうとう惨状を目撃した恐怖が完全にフラッシュバックし、春山の震えは一層激しくなり、顔色は青ざめ、目には涙を浮かべていた。彼女に寄り添っている女性の肩を抱く手にも力が入る。
「思い出させてしまい申し訳ありません」
 多少気を遣うような素振りを見せた後、
「しかしご安心ください! 既にわが社の保安部が現場に到着しております。この地域の安全は我々がお守り致します!」
 須藤は自信に満ちた声を掛けた。わが社なら問題なく犯人を無力化できる、当時の彼はそう確信していたからだ。



 2050年5月8日、旧日本国・北海道札幌市清田区。先ほどまで愚連隊『清田決死隊』構成員の青年らの喧騒が響いていたであろう彼らのアジトは、今や物音ひとつ立てる者もなく静まり返っていた。
「「オ騒ガセシテオリマス『スティールマン・セキュリティ』デゴザイマス。只今、コノ区域デ殺人事件ガ発生致シマシタ。危険デスノデ、周辺地域ニオ住マイノ皆様ハ窓カラ離レ、屋内ニ待機シテ下サイ」」
 静寂はスティールマン・セキュリティ社街宣車両の電子音声によって破られ、現場周辺は同社の装甲車や社員らによって包囲されつつあった。
 かつて小型の生活雑貨・食料品店だったこの建物は先月に清田決死隊の襲撃を受けて以来、販売していたあらゆる物品は彼らに無償提供させられ、駐車場は傘下の暴走族の単車で溢れかえり、愚連隊の関係者以外寄り付かない、彼らのアジトそのものとなっていた。今や無法者どもの息する音は聞こえないが、駐車場の惨状からはこの地が再び商業利用されるには長い時間が必要だろうと感じさせられた。

 「お疲れ様です。機装係、只今到着致しました」
 血肉の海と化した駐車場で、検死担当社員に声を掛ける男がいた。スティールマン・セキュリティ社、保安部暴力組織対策課機装係の清嶋係長だ。水泳選手を彷彿とさせる逆三角形の肉体を持つ美丈夫である。彼を含む機装係の社員は皆がコンバットスーツを着用しており、この地獄めいた現場において一際物々しい雰囲気を醸し出していた。
「係長、機装係の皆さん、お疲れ様です。指示通りまだ建物内部の調査は行っていませんが、ここにあるホトケの状態はどれも酷いもんですよ」
 清嶋係長ら機装係の面々はまず、眼前に広がる遺体の群れに向かって合掌した。無法者とて死なば仏。国家が崩界し、公務員組織も機能不全に陥り、あらゆる事件解決が警察から企業や自警団の手に委ねられた現代において、少なくともスティールマン・セキュリティ社はその姿勢を受け継いでいた。清嶋係長は合掌を終えると、検死担当社員が見ていた遺体をすぐさま確認した。
「失礼、なるほど……確かに酷く惨たらしい。しかし……」
「切り口があまりになめらかすぎる。人間業とはとても思えません。骨ごとここまで綺麗に切断するなんて、生身の人間にはとても……」

 「生身じゃない人間が殺ったからじゃないッスか」
 遺体を観察していた彼らから少し離れた位置で、不意に声がした。その声の主は機装係の社員、茨木 頼(イバラキ ライ)だ。彼はその場にしゃがみ、足元に転がっていた遺体の胸倉を掴んで持ち上げた。
「コイツの頭、見てくださいよ」
「あっ! ちょっと君!!」
 茨木は検死担当社員の咎める声を無視して続ける。
「コイツ、頭に手形が付いてるんスよ。脳ミソ握りつぶされて死んだって一目で分かるくらいに」
 清嶋係長は近寄って確認し、頭蓋骨にはっきりと刻まれた指の痕に思わず唸った。
 「確かに……生身の人間の握力では不可能なやり方だ」
 「腕をサイバネ化してるヤツの犯行ッスね」
 「だろうな……」
 肉体の機械化や電脳の埋め込みといったサイバネティクス技術は、先の大戦で実用化された技術であったが、既に民間人の手にも届く技術と化していた。猟奇殺人犯がサイバネ装備者だったとしても何ら不思議ではないのだ。実際、彼ら機装係も対サイバネ装備者を専門とする部署であり、彼ら自身もサイバネ犯罪者に対抗すべくその身体を改造した者たちであった。

 「そろそろ建物の中、調べるんスよね?」
 立ち上がった茨木の両脚は、かつて某国陸軍で使用されていた、その機能性とは裏腹に重々しく無骨なデザインの戦闘用サイバネレッグだ。
「ああ。まだ犯人が建物内に潜伏している可能性も高い。細心の注意を払って調査しよう」
 清嶋係長は部下を率い、正面出入口へ向かって歩き出した。彼のコンバットスーツは胸元がはだけたような特殊デザインであり、そこから露出した特殊合金製の胸板は沈みゆく陽の光に照らされていた。



 正面出入口へ近づくにつれ、機装係全員の緊張感が高まる。無理もない。駐車場内だけでもこれだけの人間を殺しておいて、通報から現在に至るまで逃走の痕跡も目撃情報も無いとなると、いよいよ犯人の潜む場所は絞れてくる。そして彼らは、今まさにその場所へ向かっているのだ。

 犯人の奇襲を防ぐべく、隊の先頭に立ちサーモグラフィーや超音波探知などを駆使して調査及び索敵を行う男がいた。機装係の池下である。彼は脳を除く頭部を全てサイバネ化しており、先ほどの特殊カメラは全て彼の頭部に内蔵された機能のひとつである。彼が出入口周辺の安全を確認すると、残りの社員たちも出入口へと集まった。

 出入口の状況は駐車場のそれにも増して異常だった。本来なら閉店時に下ろされる格子状のシャッターが下ろされており、そこになだれ込むように建物の内側から遺体が積み重なっていた。それらには駐車場にあった遺体と同様の裂傷が刻まれていた。
「どういうこった、こりゃあ……」
 茨木が呆気にとられたような声で呟いた。
「犯人が集団なら、内部を侵攻する者と外部で逃走者を待ち構える者の二手に分かれていて、逃走を妨げるために外部からシャッターを閉めた……とか考えられますけど……」
 池下はそう言ってはみたものの、それが誤った推理であることを理解していた。

 本件は、単独犯によって発生した事件である。

 それがスティールマン・セキュリティ社としての見解だった。得られた目撃情報はどれも、一人の黒ずくめの人間がアジト周辺の人間を次々に斬殺していくというものだった。犯人が建物内に侵入した瞬間を目撃したという地域住民の証言からも、それ以降に不審な人物の往来は確認できなかった。ほぼ全ての遺体の損傷に一貫性が認められ、協力者がいたという状況証拠すら見つからない現状では、一人の強力無比なサイバネ装備者による犯行と断定するしかなかった。

 「本件は単独犯である可能性が高いが、逃走を妨げるため、というのはあながち間違いではないかもしれないな……見なさい」
 清嶋係長はシャッター中央部の床に面した部分を指さした。シャッターを閉める際に利用する先端の曲がった鉄の棒を引っ掛けるための穴の周辺が、丸ごと建物内部の方向へ捻じ曲げられていた。
「恐らく内部へ侵入した直後に、逃走を防ぐため内側から無理やりシャッターを閉めたんだろう。そうした結果、逃げようとした彼らはここで一瞬足止めをくらい、その一瞬で殺されてしまった……」
「しっかし、何で自分の退路まで塞ぐようなコトをしたんスかね?」
「分からない。ここを塞いでも援軍を呼ぶことは防げないから、それこそ……このアジトにいる人間を全て殺す気でいたのかもしれない……」
「全て殺す、ってなんのために……完全にイカレてるぜ、そいつ……」
「そんな奴が潜んでるかもしれない所に僕たち自ら突っ込んでいくんですかあ⁈」
 大きく息を吐く茨木の横で池下が思わず声を上げた。彼が不安に駆られるのも当然だ。彼のサイバネには戦闘機能は備わっておらず、武装と言っても斥候役の彼が持っているものといえば訓練以外で撃ったことのないアサルトライフルや拳銃、後は近接格闘用のナイフぐらいのものだった。これらは相手が重サイバネ装備者だった場合は通用しない武器なのだ。
「安心しろって池下。戦うことになっても担当すんのはオレや係長みたいな戦闘要員なんだからさ」
「そうだ。犯人がどれだけ凶暴だとしても、犯人と我々ではこちらが圧倒的に数的有利な状況なんだ。皆が自分の職務を全うすれば大丈夫だ」
 茨木と清嶋係長が励ますと、池下もなんとか覚悟を決めて出入口に向き直った。

 「皆も準備はいいか?」
 そう言いながら機装係社員たちの方を振り返った後、清嶋係長は本社へ連絡を飛ばした。
「こちら機装係の清嶋です。これより建物内部の調査を開始します」
 他の機装係社員によってシャッターが持ち上げられ、彼らは積み上げられた遺体の横から、照明の消された建物内部へ歩き出した。



【続く】

Photo by Dawid Łabno on Unsplash

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