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銀世界の峠で、悪魔を見た #パルプアドベントカレンダー2023

 このご時世に走り屋をやっている吾妻のもとに、とある違法レースの情報が舞い込んできた。
『12月18日の0時より、北海道某所の峠道で賞金制の公道レースが行われる』
 それを知ったときの吾妻の反応がこうだった。

「冬の北海道で峠を攻める、か。絶対危ねえけど、ヤバイ奴らとれそうだな!」

 吾妻が降雪地帯で高速走行をした事は一度もない。当然、彼の友人はみな一度は引き止めた。だが普通のレースすら中々行えないこの時代に賞金ありのレースが開催されるとあっては、生粋の走り屋である彼を誰も止められはしなかった。

 レース開催2日前、吾妻は愛車と共に北海道へ上陸した。現地のタイヤショップでスタッドレスタイヤを見繕い、レース開始まで僅かな時間を冬道の練習に充てた。練習量は不足していたが、走り屋として今まで培ってきた技術への自負とレース前の高揚感から、彼は不安など感じてはいなかった……スタート地点のパーキングエリアに到着するまでは。




「なんだよあのクルマ……」

 レース開始30分前、自分より一足先にパーキングエリアへ到着していた参加者のクルマを目の当たりにし、吾妻は言葉を失っていた。彼がそこにあると予想していたクルマはあくまでも「走り屋のクルマ」であり、車体のほとんどを棘付きの太いパイプで覆ったジープではなかった。

 棘付きジープの左横にいるクルマも様子がおかしかった。ソレには車体のサイズに見合わないロータリー除雪車のような装置が無理やり搭載されていた。吾妻が前を通りかかると、ソレは装置を見せつけるかのように作動させてきた。本来は雪を削り取るために使うはずの刃は人を巻き込めそうなほど巨大で、排雪孔と思しきパーツもやたらと大きい。ドライバーが何を狙っているのかが嫌でも伝わってくる設計だった。

 殺人除雪車の左横、最後の1台に関してはもはやクルマですらなかった。4人乗りサイズのホバークラフトだ。サンタクロースの乗るソリのような意匠のソレに乗るドライバーは、やはりサンタクロースのコスプレをしており、ハーレーのようなハンドルを手綱感覚で握っていた。後部座席は白い布で覆われており、吾妻からすれば何が隠されているのか気が気ではなかった。

「お前、参加者だな?」

 呆気にとられていた吾妻が声のする方へ振り向くと、質の良さそうなコートとスーツに身を包んだ強面の男が立っていた。それも一人だけではない。周りを見渡してみれば、先程の異様なクルマを取り囲むように強面の男たちが待機しており、パーキングエリアの端には複数台の白い高級車が雪に擬態するかのように駐車していた。男たちもクルマも、明らかに堅気の雰囲気ではなかった。

「これよりレースの説明を行う。あのジープの右側にクルマを駐めて、再びこっちへ来い」

 吾妻は返事もできずに言われるがまま所定の位置へ駐車し、ほとんど無意識のうちに強面の男の下へと歩いていた。地元でやっているようなレースの冬道版だろう、という認識でここに来ていた彼の頭は完全に混乱していた。

「よし、集まったな。ルールを説明するぞ」

 強面の男の声が聞こえ、我に返った吾妻は自身の横に立つ男たちに目を向けた。肥満体のパンクロッカーファッション男、血濡れの作業着と安全帽を身に着けた虚ろな目の男、やけに本格的なコスプレサンタ……峠はおろか、普通に生きていてもあまり見かけないような連中ばかりだった。

(ヤバイ奴が来るとは思っていたが、ヤバさの方向性が違えだろ……)

 心の中で毒づく吾妻をよそに、強面の男はこのレースのルール説明に入った。




「やることは簡単だ。日付が変わると同時にこのパーキングエリアを抜け、麓の町の入口付近に立っているウチのモンの前を誰よりも先に通り抜けろ」

 強面の男が顎で指した先にはガラの悪い若者がおり、オレンジ色のランプを吾妻たちに見せつけるように持っていた。参加者たちはそれがゴールの目印だと理解した。

「ゴールするまでは何をやっても構わん。ただし、このレースで起こる一切の事故に主催者は責任を負わん。助けを求めれば行ってやるが、対価は血反吐を吐いてでもキッチリ支払ってもらう……以上だ。質問はあるか?」
「おい、賞金は本当にあるんだろうなァ? 何だか潰し甲斐のねェ玩具オモチャが紛れ込んでるし、カネが出なきゃ張り合いねェぜ!」

 真っ先に質問したのはパンクロッカー風の肥満男だ。彼は質問のさなか、吾妻に嘲るような視線をチラチラと向けていた。なめ腐った態度に吾妻は舌打ちを漏らし、強面の男は不快な様子で部下と思しき若者に目配せした。程なくして、強面の男の手に帯付きの札束が数枚手渡された。彼は札束を扇状に開いてみせ、そのうちの1束を指でめくり上げ、ダミーではないということをアピールした。

「手に取って確かめたければ、まずは勝利することだ……ほかに質問は?」

 誰もが質問などせずに札束を凝視していた。その様子を見た強面の男は一度話を切り上げようとする素振りを見せたが、思い出したかのように重要なルールをひとつ付け加えた。

「……そうだ、今回お前たちにはこちら側で用意したアシスタントドライバーをそれぞれ1名付ける。全員に事故られてはレースにならないのでな。因みに人選に関する一切の異議申し立ては受け付けない」

 参加者たちは一瞬どよめいたが、強面の男は素知らぬ顔で自分のクルマに乗り込み、ゴールの目印を持った若者を含む数台のクルマと共に麓の方へと走り去ってしまった。参加者たちはただただそれを見送った後、準備のためにそれぞれ自分のクルマへと戻っていった。

「おい、ニイチャン。腕のいいアシスタントが付くといいなァ? 死なずにお家へ帰れるかもしれねェぜ!?」

 クルマへ戻る最中、パンクロッカー肥満男は先程と同じように吾妻に突っかかってきた。その腹立たしい態度は、それまで異様な光景に萎縮気味だった吾妻を苛立たせ、彼を怯ませるどころか却って本来の調子を取り戻させることとなった。

「俺は走り屋だ。お前のブタ箱みたいなクルマじゃ俺は抜かせねえし、アシスタントだって誰が付こうが関係ねえよ。」
「おお、急に威勢が良くなったなァ? 今更強がったところで意味ねェぜ?」
「さっきまでは、レースじゃなくてアマチュア相撲の大会にでも来ちまったのかって不安になってただけだ」

 吾妻は手の甲でパンクロッカー肥満男の腹を軽く叩き、そのまま顔を合わせることなくクルマへと乗り込んだ。

「てめェ……! 真っ先にスクラップにしてやるからなァ……!」

 肥満男は恨み言を吐きながら自分の棘付きジープに乗り込み、威嚇するようにエンジンを始動させた。





 吾妻は棘付きジープの鳴らす騒音を完全に無視し、後ろからやってくる人影をバックミラー越しに眺めていた。

「あいつらがアシスタントか……」

 吾妻は思わず顔をしかめた。彼らは皆一様に安っぽいダウンジャケットに身を包み、背中は頼りなく縮こまっていた。これから勝負に臨む人間とは到底思えない様子だった。バックミラーに映るその人影は3人だけで、全員が自分のいる方向とは別のクルマへと向かっているようだった。

「ん? 数が足りねえな? 俺のアシスタントは誰が……」

 バックミラーに気を取られていると、不意に助手席側からノックの音が聞こえた。そこには吾妻担当のアシスタントドライバーと思しき男が立っていた。

「入れてくれない?」
「……開いてるよ」

 助手席のドアが開かれ、外で立っていた男がシートに腰を下ろした。若く、吾妻と歳が近そうな、感情の読めない細い目をした男だった。彼は毛皮のコートを羽織り、艶やかな光沢を放つ靴を履いていた。吾妻の目には、後ろから来ていた連中とは明らかに違う、言うなれば、先程までルール説明をしていた強面の男側の人間に映っていた。

「喜多山だよ。よろしくね」
「吾妻だ。こちらこそよろしく。シケた野郎を乗せずに済んで安心してるぜ」
「それは良かった。しかしボクを乗せられるだなんて、キミは幸運だね。ボクの指示通り走っていれば優勝は確実だよ」

 喜多山と名乗る男からはただならぬ気配が放たれてはいたが、指示通り走っていれば、という言葉が吾妻の走り屋としてのプライドに引っかかってしまった。

「幸運なのはお互い様だ。俺に任せておけば、指示なんかせずとも勝って帰れるぜ」
「……やっぱり走り屋はそうでなきゃ。じゃあ、ボクは楽しませてもらうね」

 吾妻はつい食って掛かってしまったが、喜多山の反応はむしろそれを望んでいるかのようだった。喜多山の目からは相変わらず感情を汲み取ることができなかったが、彼の瞳の奥に危険な輝きを見たような気がして、吾妻の腕には一瞬だけ鳥肌が立った。




 車内のデジタル時計には『23:59』と表示されている。レース開始まで残り1分を切った。全車両からエンジンをふかす音が鳴り響き、前方ではキャバ嬢風の女がスタートの合図を送るべく位置についていた。クルマのライトとドライバーたちの視線が女に向かって注がれる。数秒経過したのち、女は両手を挙げて指を伸ばし、1秒ごとに指を折っていった。

「出口でつっかえてリタイア、なんてのはナシだよ」
「そんなヘマしねえよ。横のデブジープじゃあるまいし」

 喜多山と吾妻は軽口を叩きながら、スタートの瞬間を待った。3、2、1……0カウントと同時に、女の両手が振り下ろされた! 全車両が一斉に急発進し、1車線分しかスペースのない出口に向かって突っ込んでいく! 出口は彼らから見て左側にあり、吾妻たちは最も遠い位置にいるため、順当に進めば最下位からのスタートとなってしまうだろう。

「デブのケツ見ながら走るのは御免だぜ!」

 吾妻は僅かな距離で一気に加速して棘付きジープを追い抜いた! 先頭はホバークラフト、次いで殺人除雪車の順でパーキングエリアを抜け、吾妻もそれに続いて出口を飛び出した!

「これ曲がりきれるの?」
「任せとけ!」

 吾妻はすぐさまドリフトをかけ、対向車線のガードレールに車体を擦らせながら道路に躍り出た。しかし慌てることなく凍結した路面で滑るのに任せて時を待ち、然るべきタイミングでカウンターを当てて体勢を持ち直した。

「キミ、イイね。すっごくスリリングだよ!」
「これからもっと楽しくなるぜ!」

 勢いづく吾妻は、ふとバックミラーに目を遣った。棘付きジープの様子を確かめるためだ。いきなり追い抜かれたせいで対抗心を燃やしているのか、どうやら吾妻と同じ方法で出てくるつもりのようだった。

「それくらい、俺にもできらァーーッ!」

 棘付きジープは道路へ進入すると共にドリフトし、カウンターを当てようとしたが、それは叶わなかった。勢いのまま凍結路面を滑り吾妻と同じようにガードレールに車体を擦らせてしまった結果、車体に取り付けられた棘がガードレールを引き裂いてしまったのだ。棘付きジープはそのまま勢いを殺しきれず、ガードレールのポールに突っ込んでしまった。

「うわああァッ……」

 棘付きジープは横転しながら宙を舞い、ひっくり返った状態で道路脇の雪に埋もれて動かなくなった。その間抜けなさまは吾妻たちにしっかり見られていた。

「アハハ、派手に転んだね~」
「挑発してくる奴なんて所詮はあんなモンさ」

 棘付きジープはそれ以上誰にも顧みられることはなく、レースは何事も無かったかのように続くこととなった。




 参加者が3名になってから、レースは順位が変動することなく続いていた。サンタのコスプレ男が乗ったホバークラフトが首位を独走し、そこから少し離れた位置を殺人除雪車が走っている。吾妻はそれを訝しげに睨みながら後を追っていた。

「ホバークラフトがかっ飛ばせるのはまあ分かる。路面状況なんてお構いなしだろうからな。だけどあの除雪車、追い越せるような隙を見せない割には速度が遅すぎる。レースのスピードじゃねえ」
「あくまで冬道だし、無理したくないのかな? それとも……」

 喜多山が喋っている途中、目の前に長いストレートが見えてきた。そこに差し掛かった途端、殺人除雪車は道を譲るように道路の左端に寄り、更に減速しはじめた。

「……このストレートを待ってたのかもね。あのロータリーでボクらをミンチにできるチャンスを」
「悪趣味すぎるぜ……」

 悪意の塊のような改造車にわざわざ追いかけられに行くことが危険なのは百も承知だったが、いつまでも最下位に甘んじているわけにもいかなかった。吾妻は殺人除雪車の様子を探りつつ横に並び、一気に加速して追い越した。そして距離を取ろうとさらに加速する吾妻たちの後ろで、遂に殺人除雪車のロータリー装置が唸り声を上げた!

「さあ、このまま振り切るぞ! 掴まってろ!」
「頼むよ! このままだとグチャグチャにされそうだから!」

 内容とは裏腹に、喜多山の場違いに弾んだ声を訝しんだ吾妻は、ミラー越しに殺人除雪車の位置を確認した。追い抜いた直後より車間距離が詰まっている!

「くそっ! ちゃんと速く走れるじゃねえか!」

 吾妻はギアを最大まで上げて冬の危険なストレートを突き抜ける! 殺人除雪車も負けじと加速し、タイヤとロータリー装置の重厚な二重奏を奏でながら吾妻たちに迫る!
 その間、吾妻は殺人除雪車を様子を観察した。ロータリー装置の悍ましい駆動音、本能的に危機感を煽る黄色のパトランプ、スタート地点では虚ろだったドライバーの目は見開かれ、ぶつぶつと呟きながら車内の吾妻たちを凝視している。

「あれは事故だったんだ。でも僕は許されないんだ。どうせ許されないなら、同じように誰かをったって……イヒヒ、ヒヒ、ヒヒヒヒヒーーーッ!」

 バックミラー越しでも分かるほどに歪んだ笑みを浮かべる血濡れの作業着男を見てしまい、吾妻は戦慄した。彼は一刻も早く安全圏まで逃げ切りたいと願ったが、間もなくストレートは終わりを迎え、その先にはS字カーブが待ち構えていた。スタート時と今では出しているスピードが違う。このままカーブに突入すれば何をしようが大事故は避けられない。減速は必須だった。

「突っ込んでも日和ってもあの世行きか……なら!」

 吾妻は緩やかに減速し始めた。殺人除雪車が迫る。S字カーブが近づく。吾妻は最初の左カーブに……ドリフトで進入した! スリップ同然の状態でも諦めず、真横から迫りくる殺人除雪車の圧力にも屈することなく右カーブに差し掛かる!

「間に合えっ!」

 当初、吾妻は右カーブもドリフトで切り抜けようと考えていた。しかし前を走るホバークラフトの車体を照らす前方からの光を見て、即座にグリップ走行へ切り替えた。中央から右へはみ出ないよう更に減速したため、殺人除雪車との距離が更に縮まってしまう!

「あと少し……あと少しでれる!」

 これを好機と捉えた殺人除雪車は、車線などお構いなしに真っすぐ吾妻たちへ向かってきた! しかしそれが仇となり、前方からの光源……すなわち対向車に正面衝突することとなってしまった。
 ロータリーの刃は対向車に容赦なく食らいつきながらも、衝突の衝撃でその一部が弾け飛び、吾妻たちの眼前をかすめていった。

「や、やりやがった……関係ないクルマを巻き込んで……」

 吾妻の表情は青ざめ、ハンドルを握る手は震えていた。今まで彼は『命がけのレース』と言えるようなものを経験したことはあっても、実際に命を奪うつもりでクルマを走らせる相手と戦ったことなどなかった。脅しではない本物の殺意のなれの果てを目の当たりにしてしまい、彼は心の底から恐怖していた。だが彼の隣に座る喜多山の口元には、笑みすら浮かんでいた。

「いやあ、ドキドキしたね! あのロータリーもこけおどしじゃなかったみたいで、運転席に深々と……」
「やめろ! 聞きたくない! 喜多山お前、ありゃ間違いなく人が死んでるだろ! 何をそんなに嬉しそうに!」

 吾妻は恐怖と怒りがない交ぜになった怒鳴り声を上げたが、喜多山は一切悪びれることもなくこう言い放った。

「そりゃあ嬉しいさ。このレースは彼らに事故ってもらうためのものなんだから」




 事故を起こさせるためのレース。吾妻の脳は理解を拒み思考停止していたが、喜多山はお構いなしに語り始めた。

「1つめの目的は保険金だよ。始まる前に、他のクルマにはアシスタントドライバーが乗せられてたでしょ? あいつらはウチの組がやってる『消費者金融』で首が回らなくなったクズ共さ。掛けられるだけの保険を掛けて命がけで支払ってもらおうっていう、よくある話」
「ウチの組、ってことはやっぱり……」
「ボクもレースの主催者も、みーんなヤクザだよ! 因みに組長はボクの父親ね」

 一介の走り屋にはどうすることもできない事態に巻き込まれたことを理解した吾妻は、深いため息を吐くばかりだった。

「2つ目の目的は示談金さ。車検なんて絶対通らないようなクルマに人を乗せて事故ってくれたなら、債務者の親族にドライバー側を訴えさせれば勝利は確実だからね。搾り取れるだけ搾らせて、利息がどうとか理由を付けて横から全額ぶん取ればいい稼ぎになるんだよね」
「……今回は上手くいったんだろうが、毎回都合よく事故ってくれることなんてないだろう」
「そうでもないよ? ドライバーの人選は毎回ちゃんと考えてるからね。例えば、路上での犯罪歴がある奴、違法改造に狂ってる奴……冬道を知らないクセに自信過剰な奴とか」

 そう言いながら自身を見つめる喜多山から、獲物を弄ぶ捕食者の眼光を感じた吾妻は、背中を突き刺されたかのような冷たい感覚を味わうこととなった。そして吾妻は恐怖に顔を強張らせながらも、今の話を聞いて頭に浮かんだ疑問を口にした。

「そうやって……そうやって選んだなら何故、お前は俺のクルマに乗ってるんだ!?」
「スリルが欲しかったんだよ」
「……はあ!?」
「ボクは組長の息子だからね~。みんなボクを危険から遠ざけようと躍起になるから、ヤクザなのに毎日刺激が無くてつまんないんだよね~。だからレースをやるときは、たまーにこうして良さげなクルマに乗って楽しんでるってワケ」

 レースの目的も、喜多山の行動の理由も、吾妻には到底受け入れがたいものだった。

「イカれてやがる……! 悪魔そのものだぜ、お前は!」
「イカれてるのも悪魔なのも当然でしょ? ヤクザなんだから」

 徹頭徹尾、何が起ころうと、何を言われようと、喜多山が動じる様子は微塵もなかった。

「それとキミ、まだレースの途中だからね。変なことは考えちゃダメだよ。組長の息子に傷を付けても、負けて恥をかかせても、キミやキミの親族は無事じゃいられないよ?」
「ちっ……ちくしょう、畜生めが!」

 吾妻は隣に座る悪魔のにやけ面に怒声を吐き捨てながら、前を走り続けるコスプレサンタのホバークラフトを捉え、距離を詰めはじめた。




 麓の町は近い。この先にある谷を跨ぐ橋を通り過ぎてしまえば相手を追い越せるような場所はなく、ここが最後の勝負所だ。コスプレサンタもそれは承知しているようで、橋に差し掛かるや否やホバークラフトの後部座席に掛けられていた白い布を取り外し、奥の手を露わにした。

「あれは……スラスター?」

 コスプレサンタは後部座席に無理矢理押し込められるように積まれていたスラスターを起動させ背部4方向に展開、スラスターからのジェット噴射により後傾姿勢になりながらトップスピードに乗った!

「あれを追い越す手立てはある?」
「冬道で使うつもりはなかったが、ある……」

 そう言うと吾妻はハンドル横にある不自然に取り付けられたスイッチに手を伸ばした。ニトロの起動スイッチだ。レースの真実を知ってしまった今の吾妻に闘志はなく、本心ではこんな日に奥の手を使いたくはなかった。だが今更レースを降りことも叶わないので、吾妻は起動スイッチを押した。

「抵抗するな……道を開けろおおっ!」

 マフラーから青い炎を噴き出し、吾妻のクルマは速度の限界を超える! 急激な加速によるGで身体をシートに押し付けられながら、吾妻はホバークラフトと並走できるまでに接近した! それに気付いたコスプレサンタは進路妨害を試みるが、既に両者は完全に横並びだ!

「やめろ! こんなスピードでぶつかったら……!」

 吾妻の制止する声が聞こえるはずもなく、喜多山の向ける期待の眼差しに気付けるはずもなく、吾妻のクルマにぶつかりに行ったホバークラフトは弾き返され、地面の摩擦を受けられないが為に橋の外へと放り出されてしまった。
 コスプレサンタが落ちていく橋の下は木も山肌もすっかり雪に覆われた、美しい白銀の世界だった。もしもサンタがそりのようなホバークラフトと宙を舞うこの光景が人身事故によるものでなかったのなら、さぞ幻想的な景色だったのだろう。

 しかし吾妻たちには、コスプレサンタが空を飛んでいる瞬間を見送る暇など存在しなかった。ホバークラフトに衝突された衝撃でクルマは橋の手すりに何度も衝突し、めちゃくちゃにスピンしながら完全にコントロールを失っているのだ!

「うおおおーーーっっ!!!」

 吾妻はハンドルを切り軌道修正を試みていた。悪あがきにしかならないことは分かっていたが、やらずにはいられなかった。その隣で喜多山は……大口を開けて笑っていた。いつ橋から落下してもおかしくないこの状況で。吾妻は心の底から恐怖を覚えながら、ただひたすらに祈った。どうか命だけは助けてくれと。
 衝突のたびに脳が揺れ、身体が左右に振り回された。吾妻は意識を保つのがやっとという状態だった。彼は信心深いわけではないが、今だけは助けてくれと願い続けた……そして願いが通じたのか、段々とスピンする速度が緩み、橋の手すりとの衝突頻度も落ちていくのを感じ取っていた。

「ハア……ハア……俺は、生きてるのか……?」

 車体のほぼすべてが凹み、傷だらけになっていたが、いつしかクルマは橋を渡り切り、完全に停止していた。




 車体のあらゆる箇所から今にも壊れそうな音を上げながら、吾妻のクルマはゴールの目印であるオレンジ色のランプの下へと辿り着いた。
 到着するや否や、強面の男たちが一斉に助手席の方へ駆け寄り喜多山に向かってお辞儀をした。

「「「お疲れ様です、若!」」」
「ご苦労さん。今日も楽しめたよ。賞金の用意は?」

 喜多山がそう言うと、一番近くにいた男が抱えていた袋から札束を取り出して喜多山に手渡した。

「はい、優勝おめでとう」

 喜多山は子分から受け取った札束を吾妻の膝の上に置いた。吾妻は今宵の戦いですっかり憔悴しきっており、虚ろな目で札束を眺めることしかできなかった。

「キミ、今日のことは他言無用だよ? その賞金はシノギの口止め料としての意味もあるんだからね」

 吾妻は言葉を返さず、ただ力なく頷いた。

「いい走りだったよ。本当に楽しかった! ……次にやるときは、賞金を今回の倍にする予定だけど、また来るかい?」
「二度と来ねえ……さっさと降りてくれ……」
「アハハ、そりゃそうか」

 吾妻は目も合わせずハンドルに寄りかかってうなだれていた。助手席のドアの開閉音と、外の高級車の群れが走り去っていくエンジン音を聞き終えてから、ようやく彼は身を起こし、膝の上の札束に触れた。クルマを買い直してなお余りある程の大金だったが、喜びは感じられなかった。

「来てはならないところに来て、挑んではならない勝負に挑んだ……」

 プライドなど欠片もない、不純に満ちたレースに加担してしまったことを、彼は後悔した。

「帰ろう……悪魔のいないところへ」

 吾妻は札束を助手席に放り投げ、ハンドルを握り直した。そして彼は港のある方角へと逃げるように走り去っていった。

【完】

 ドーモ、トウドノリアキです。
 こちらは「パルプアドベントカレンダー2023」の参加作品となります。
 小説を書いていない期間が長すぎたが為にかなりの難産となりましたが、今回のパルプアドカレをきっかけにまた字書きとしてやっていく所存です。
 前向きなあとがきの割には本編の結末がいつになくアレですが、そこら辺の勘はおいおい取り戻していくということで……

 翌日は銀星石さんの「全ては安らかな夜のため2023」です! 楽しもう!

サムネイル画像⇒Unsplashより

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