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アヴィニヨンの偽物とマルセイユの天使たち:その6 - アヴィニヨンの庭 -

フランスの二つ星ホテルは、電話をしていい時間が限られていることがある。

大抵は朝8時頃から夕方6時、遅くても7時頃までで以降は繋がらなくなる。
玄関だって、がっつり閉められる。

それを知らず、「フロントに人がいない」とか、「遅くにホテルに着いたら玄関が閉まっていて中に入れない」とか、口コミにクレームを書き込む人がたまにいるけれど、安い二つ星ホテルなら仕方ない。

三つ星ホテルだって、最低12時間だけフロントが稼働していればいいことになっている。四つ星でも、小規模ホテルだと、12時間しかフロントを開けていないところは多い。

安い分、人件費を削って当たり前。
24時間フロントに電話をかけたければ、五つ星以上のホテルをお勧めする。

日本の家族経営の民宿なんかと同じで、遅い時間の電話は避けた方が良い。
それを知っていて、全部分かっていて、夕食時に電話をした、マナー違反のアジア人(私)。
叱られても当然なのだけれど、何せ緊急事態だったのだ。
そして、その原因の責任の半分はホテルにある。と思ってかけた電話。

あのアヴィニヨンのホテル、もう二度と日本からの予約を受けたがらないかもしれないが、その方が日本人にとってはいいのではないかと思う。
最初から感じがとても悪かった。いわゆる、アジア人嫌いのホテルだった。

予約サイトは、《人種差別設定》することができない。
どうしようもなくて受け付けているのだろう。

チェックイン時、ボストンバッグひとつでやって来た怪しいアジア人を
舐めるように上から下まで見る感じの悪いフロントマン。

渡された鍵で部屋に入ると、明らかに予約した部屋タイプとは違う部屋。
予約していた部屋よりグレードを落とした半分の広さの部屋。

すぐさまフロントへ。
「予約した部屋と違う、部屋を変えてください」と言う私に、
「広い部屋は全部満室なのよ」と言うフロントマン。
日本人は文句を言わないとでも思っている様子。

予約確認書を見せて、相手の出方を見る。

「美しい綺麗な庭が見下ろせる部屋ですっていうから、このホテルの《この部屋》を選んだんです。庭が見えないなら私にとって価値はないんですよ。今の部屋は、道路に面している上に、暗くて狭いので話が違います。
一週間も滞在する予約を入れているのに、今の部屋にいるくらいなら、今日だけ泊まって、他へ移動しますので、今日の狭い部屋分との差額分を今すぐ返金してください。
キャンセル料は、当日まではいただきませんとしっかり予約サイトに書かれていますので、明日以降のキャンセル料は払えませんし、嫌だと言うなら、あなたとホテルを訴えます」
そう言った途端に、フロントの男性は態度を変えてこう言った。

「掃除後のチェックがちゃんと終わってないけれど、空いている部屋がある。さっき見てもらった部屋を、まだ使っていないなら移動してもいい」と。

「荷物を部屋のベッドの足元に一瞬置いたけれど」と言うと、声をあげて嫌な顔をするフロントマン。

「じゃあ再度掃除の必要があるか見に来ますか? 足元に一瞬荷物を置いただけで、腰もかけずにここへ来ていますけどね」
と言うと、しぶしぶ渡された別の部屋の鍵。

その部屋は綺麗に掃除も済んでいた。中庭が見下ろせる広い部屋だ。
チェックイン時刻を直前に伝えているのだから、掃除が終わっていない訳がない。

アジア人には《うるさくて狭い、道路沿いの暗い部屋を》というのが、
この宿のスタンスなのか。一人旅なら、勝手に狭いシングルルームに変えてもいいと思っているのか。

ここのフロントマンは、素人だ。とんでもないやつだ。と思った。
あの時、全日をキャンセルするべきだった。

《自慢の中庭です》と書かれていたその庭は、手入れもされずに雑草が伸び放題の庭だった。
自然(ナチュラルガーデン)スタイルが流行っているが、それとは違う。
咲き終わった花も枯れた葉もそのままの、放置されただけの中庭。
虫が多く、外での食事は一苦労。虫嫌いの人は、きっと無理。

手入れすれば素敵な庭なのに、と毎朝残念な気持ちで朝食を食べていた。

フロントの男は、自分はフロント ”も” やっていると胸を張った。
忙しい時は対応できない時がある、夜は7時に玄関が閉まる云々を言い、
愛想も何もなかった。欧米人には、満面の笑顔。アジア人には不愛想。
何故? よほどアジア人に酷い目にあったのだろうか。

その理由が人種差別にあったのか。
文化、慣習の違いで起こった悲劇なのか。

近年の異常気象のせいで、暑すぎるフランス。
暑い時間帯は、窓も、ルーバーの外開き窓も、シャッターまでも、
閉めておかなければ熱中症でやられてしまう。

冷たい石造りの古い造りの建物は、太陽光さえ入らなければ、エアコンなしでもとても涼しいのだけれど、ルーバー窓を開け、カーテンも開けたまま外へ出かけるのはアジア人が多いらしい。

夏に窓を閉め切ると蒸し暑く耐えられない日本。反対に、窓を閉め切った方が涼しいエアコン不要のフランスの石造りの古い家。
けれどやはり窓を閉めると暗い。朝日を浴びたくて窓をつい開けてしまう。

高温になった部屋の温度を下げるには、相当の時間エアコンを回さねばならなくなる。アジア人たちだけを、日の当たらない通路側の暗い部屋に回しているのはそのせいかもしれなかった。

予約サイトを見てもアジア人だけが低評価をつけていた口コミ。
それでも、サイトの口コミを全面的に信じていたわけではなかった。

駅から歩ける距離で、城外にありながらも城内まで歩ける距離で、
アヴィニヨンの中では比較的安めのホテル。
古いホテルなのにエアコンもついている。条件にぴったりだった。

フランスまで来て大型チェーンホテルや、近代的なアメリカ式ホテルに泊まりたくなかった。
何より、《美しいガーデンで朝食を食べられる》という言葉にやられた。

ホテルの口コミに、”アジア人だけが良いコメントを記載していない、もしくは、アジア人のコメントがすべて削除されている(見当たらない)ホテルは、アジア人差別をしているホテルだと疑っていい”と聞いたことがあるが、本当だろうか。

ともかく、《美しいガーデンで朝食を》の言葉にまんまと騙された。
今度来る時は、ちゃんとお金を出して城壁内の老舗ホテルに宿泊しようと思いながら、今朝ホテルを離れたのだ。

どうやったって分かり合えない人も世の中にはいる。

そう思いながら電話を切って、受話器をフロントへ戻した。

「なんか電話の声がここまで聞こえて来てたけど、やな感じのホテルだね」
凛々しいレセプショニストが眉間にしわを寄せている。
うなだれるドライバー。

「まあね。アジア人、嫌いなんでしょ」
「だから、北の方の人間は嫌いなんだよね」
「北って言っても、アヴィニヨンだけど」
「城壁に囲まれてるから、閉鎖的なんだよ」別の男の子が言う。
「そんなことも無いと思うけど、」と言いかけ、
「安い所探して泊まったから、ぎりぎり城壁の外だったけどね」と言葉を繋ぐと、
「ああ、なるほどね」と、奥にいた背の高い女性が声を出した。
「?」
「外からやって来た奴らがさ、バカンス観光客目当てに、城外の建物を買い取ってホテルにしているんだよ。オーベルジュみたいに、腕のいいシェフがいて美味しいものを出してるわけでも無いんでしょ?
ホテル経営をやったことも無いのに、突然小さい宿のオーナーになってさ、ホスピタリティとは何かも分かっていないのに、お金欲しさに宿屋の主人になった奴とかだと思うけどね。
その場所の良さもホテルに必要なことが何かも知らない奴らがね、金目当てに経営してたりするんだ。大学でホテル経営学の勉強しながらここでバイトしてる奴らの方がよっぽどましだよ。
だから、多分すぐに潰れるか、また外から来た違うオーナーに変わるさ。
次のオーナーが良い人だったらいいけどね」

なるほど合点がいった。
若干の偏見はあるにしても、大方正しいのかもしれない。
高級ホテルのスマートさが無いのは仕方ないとしても、現地のフレンドリーさも無かった。

それとは対照的な、ユースホステルのレセプショニストの男性と、凛々しい女性。どちらも中東系の雰囲気。そして、とてもフレンドリー。

「国際電話、かけていいかな? 日本にかけたいんだけど」
「いや、流石にそれは俺たちが叱られてクビにされちゃうよ」
と、困る人たち。

そりゃそうだ。電話料金、いくらになるか分からないもの。
ここの宿泊費よりかかるかもしれない。

今日宿泊予定だったホテルには、緊急事態が発生したと告げてキャンセルすることになった。
日本から出発前に予約していて、もちろん100%クレジットカードで決済済みで、返金不可のホテルだ。
代理店が出してくれたタクシー代が消えた。何をやっているんだか。

アジア人とドライバーとレセプショニスト達が話し込んでいる隣を、
不思議そうな顔で可愛い子供達が団体で走り抜けていく。

「バス帰って来たから、ちょっとごめん」
離れるレセプショニスト達が、ちびっこと学生の団体を元気な笑顔でお出迎えしに行った。

あの二つ星ホテルより、よっぽど仕事している。
きっととても安い賃金のはずなのに。

横を見ると、宿泊客らしき高校生くらいの男子たちを捕まえて愚痴っているドライバーの姿が見えた。文句を言い続けている頭を抱えたドライバー。

何か分からないけど……バーカウンターで黄色の泡立つ液体を飲んでいる。
そして、困った顔の高校生たち。
なんか、だんだん笑けてきた。緊急事態なのに。

凛々しい顔の女性が事の次第を把握した後、テキパキと請求書を作成する。
そして、私のパスポートを金庫にしまう。

「ごめんね。信用してない訳じゃないけど、これは預かるね。約束通りお金が手に入って、明日、チェックアウトする時、返すからね」
そう言って、その紙にホテルの宿泊費用を書いた。

「タクシーの請求金額も記入した請求書を作成するので、金額を教えてください。明日費用を払えるという彼女の言葉を信じて請求書を作ってます。
彼女が逃げた時に対処できるよう、ここにいる全員が証人になりますから」と、凛々しい顔の女性が、ドライバーに声をかける。

すると、それまで大きな声で愚痴っていたドライバーの声のトーンが極小化した。

「え?」
「そんなに取るの?」
「詐欺じゃん」
「いや、もう2/3は支払ったからそれは残りの金額」と私がいった途端に、
それまでドライバーに同情的だったすべての人がブーイングを始めた。

けれど、ひるまないドライバー。
ここから、遠い家まで戻って、また明日お金を取りに来るんだからと言っているようだ。

俺は百キロ近く走ったんだと言っているに違いない。
なまったフランス語だから、よく分からないが。

そう、東京都心から箱根くらいまでの距離。
大阪から神戸を車で往復するくらいの距離だ。

やっぱりレンタカーが一番便利だった。あちこち回れるしな。
今度来るときは、素敵な相方とドライブして、三か国ぐらい回って……。

人々が声を荒げる中で、現実逃避気味に、あらぬ方向へと思考が飛ぶ。

でもどんなに高額でも、無理してタクシーに乗ってしまった私の落ち度。
気の毒。だけどこの人、日本人には懲りたはず。

「日本は景気が悪くなったのだ」と、彼は皆に広めるだろうか。
二度と日本人をカモにすることは無いと信じたい。

ユースホステルの夜は更けていく。

つづく……。





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