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フィクションへの人間の欲望〜「BLと中国 耽美をめぐる社会情勢と魅力」〜

『BLと中国 耽美をめぐる社会情勢と魅力』


著者:周密
出版社:ひつじ書房

丸善のあるテーマに沿った本を集めた棚(何がテーマなのかは記憶にない)に置いてあったのだが、タイトルだけ読んでも「読みたい」という欲望が刺激された。
BLを趣味として読むわけではないが、過去2年近くにわたる中国語の勉強を通して「陳情令」「山河令」をはじめとしたブロマンスのドラマが中国国外まで影響が及ぼしている一大勢力になっている現象も知っていたからだ。

中国のドラマを見るようになると国家による「検閲」制度が存在があることに最初の大きな衝撃にぶち当たり、それを受け入れた後も検閲の影響は継続的に節々で感じる。
「国家」による検閲制度は結果的に私の中国文化への没入を阻んでいることは間違いない事実だが、検閲制度の前提下でどのように「面白い」ものを作るかという中国ドラマの製作陣の努力に対して大きな興味が魅かれている部分があるのも事実だ。
BLはそのもっともな例の一つだろう。中国では同性愛に対して基本的に「検閲対象」として規制の対象になり得る。なのにも関わらずBL小説を基盤として作られたブロマンスドラマの人気、そしてそれに伴う原作作品が日本でも大きな人気を博しており翻訳版まで出版されているという事実は矛盾を感じてきた。その疑問をまさにテーマにした本が本書であり、その矛盾の中で作品を作り続けている現在の状態について考察している。
この矛盾を紐解こうとするとそこには中国の制作者による「面白いコンテンツ」に対する渇望が複雑な障壁すらなんとか乗り越えようとする姿は、人間は面白い話、物語を作りたいと思う欲望は抑圧できないと一種の安心と希望を覚えるのだ。

これに似た現象が、私は時代劇にあると思っている。
時代劇は、アイロニー的だが1番現代の価値観を表すコンテンツだと思っている。
「当時の歴史」の中にあるストーリーだが、作る人も届ける人も現代の価値観を持っている人だからこそ、歴史的な世界観を維持しうる中で現代人が許容しうる価値観のギリギリのところを攻める必要がある。
あまりにも急進的だと、舞台となった世界の現実性が薄まり視聴者が離れる原因にもなるが逆にあまりその時代を忠実的に再現しすぎると今度は視聴者を置いてきぼりにしてしまう。歴史という枷の中でどのように工夫をして現代人の価値観と迎合し得る場所を探す選択を毎回迫られる時代劇は、逆説的に現代の思想を大きく表す指標になる。

例えば、「赤い袖先のクットン(옷소매 붉은 끝통)」は韓国の時代劇でもよく扱われる正祖が主人公で、2007年にMBCで放映された同人物のドラマ「イサン(이산)」が大ヒットした経緯がある。しかし「イサン」の放映から約12年後、「イサン」では取り扱われなかったドギム(のちに)としてのイサンに愛されるというアイデンティティー以外の宮女としてのアイデンティティーを全面に描き、より女性のキャアクターの描き方が立体的になったのは時代の価値観の反映だと言える。(詳しくはリンクの記事へ)
同じ人物を主題にしていたとしても、描き方やそこにフォーカスする人物、価値観を変えていけば時代とともに進化し続けるドラマに接することができる。

中国を取り巻くBLの環境は、現在決して良いとは言えないだろう。いやBLだけではなく現在中国のドラマを見ていると検閲が文化に対して悪影響を与えることはライトに追っている人間ですら感じる程度だ。しかし、面白いコンテンツに対する欲望、それを表現しようとする欲望は、抑圧はされても完全には消えはせず残り続ける。人間の三代欲にも匹敵する自明の欲望であり、その欲望を社会は保障する義務がある。

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