私たちは共感の言葉を使う(エトセトラブックスBOOKSHOP訪問記)
「本屋がなぜそんなに好きなのか?」
そう聞かれると答えるのに詰まる。
「留学先の韓国で160ヶ所の本屋を訪問した」という点をアピールポイントにして就活をしていたときに必ず聞かれた質問だ。その時は嘘でもないけれど就活のコードに合わせたそれらしい回答を準備した。
「本当にどうして好きなのか?」と自分でもよくわからない。
小さい頃からの本の虫でもないし、今でも本は嫌いではないがそんなに多くは読まない。
うんうんと頭の中の答えらしいものを探そうとしていると、本棚を見るのがただ好きという答えにぶつかった。
何かを知りたいとき一番最初にすることは「ググる」だ。
インターネットで何かを検索したら数百万件もの結果で教えてくれるが、あまりにの量と刺激に溺れてしまう。私の好みに合わせられたアルゴリズムから外れたものに出会うのも一苦労だ。
本棚は誰かが考えたこと、それを考えた時間までもが詰まった本たち。それを選別・陳列の過程でまた人の手を通って完成される。その本の並び自体を見ているだけで今の世の中の流れ、ある分野の知識を肌感覚として理解できる。まるで雑誌のグラフィックページのような一覧性だ。
関心が行き着くまま本を手に取って、戻して、目次を呼んで、自分の世界と連結させて。そうやって本棚と対峙する時間を与えてくれる空間が本屋だ。
その強みは、「猫」とか「美術」とかテーマが限定されるとより強さが発揮される。そのテーマ、分野がどんな領域まで影響力を与えているのか、その言葉自体がどんな意味を持っているのか。
本の配置を見ると一目で明確に自分で把握することができる。
2021年、東京の世田谷にオープンしたフェミニズム専門の本屋だ。エトセトラブックスというフェミニズム専門出版社が運営している。家から行くのも一苦労な上に木、金、土だけしか営業していないためずっと行けていなかったが、友達のおかげでようやく行くことができた。
店に足を踏み入れるとフェミニズムという単語一つにこれだけ多くの本を集めることができるのかと驚きと感嘆が混在した感覚が体内を駆け巡った。幼い時から慣れ親しんだ絵本から、英語、中国語、日本語の海を渡ってきた本たち、絵本、エッセイ、小説、研究書、ZINE、雑誌。テーマも同様だった。伝記や性教育を含んだ教育、戦争、差別、労働、賃金…….。「差別」一つとっても、差別がどのように起きているかについての本があれば、日常生活で差別が起きた時の反応の仕方について書かれた本もあった。
そのテーマ、形態、言語の多様さを目の前にしながら、この本たちが「フェミニズム」という言葉によってここに集められた事実を何度も何度も噛み締めながらぼぉっと本棚の前でぼんやりしていた。
一緒にこの本屋に訪れた友人とは、「これも縁だね。人の縁って不思議だね」という母の言葉が思い起こされるほど不思議なきっかけで出会った。同じ大学ではあるもののそれ以外に共通点は何もない。いくつかの偶然の間をフェミニズムが埋めてくれた。そんな友人と一緒に本棚の前でああだこうだといいながらお互いを知っていく時間を共有していること自体が妙な光景だった。
aespa"Girls”という曲にこんな歌詞がある。
フェミニズムという言葉で世界を見つめ、立ち向かって、歩いていく。
経験し、考え、思索し研究して積み上げられた先人たちの言葉、それを集めた本たち、そしてその本を集め、陳列した本棚とその空間。そしてその空間の中で私たち2人が触れ合う時間。
フェミニズムという言葉が時代や国が違う私たちをつなげ連帯してくれるという事実を、この本屋に滞在する体験を通して教えられた。
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