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中国語日記26カ月目

中国語日記26ヶ月目

仕事をしていて今の仕事は「ない」を見つける必要があるのかもしれないとふと思った。今自分たちのサービスにないもの、足りないもの。
ある程度確立されたサービスの段階で(新人2年目が行う仕事という部分もあり)、足りないものを探すのは難しい。
あるものは見えるけれど、「ないもの」を探すことは分かりにくく見えにくい(そもそも見えないのだ)
今の場所ではないところを想像する力が必要だ。
それを育てる、もしくはその想像する楽しさを感じさせてくれるのが「言語学習」だと、日々の仕事と自分の領域がつながった瞬間だった。

「ない」を見つけることは何も大袈裟なことではない。
例えば言語学習のために、中国語の曲を聴き始めたら見つけたバンド。日本ではほとんど報道されておらず知名度はないが、私にとっては大切な出会いだ。
前回Window Escapeでも紹介した「toss」という企業も、きっと一生知らなかったサービスだったと思う。

知ろうとしなければ知らないことが溢れている広い世界を一緒に歩いてくれる大きな力になってくれている。

今月は「遊人」という本の内容の書き写しを毎朝30分行っていた。
台湾に行った際に買ったZINEで、内容は旅行記だ。
旅行記といっても、テーマがある。それは「植民地時代の記憶」である。
韓国と台湾は同じ日本の植民地支配を受けた共通の歴史があるが、現在日本では台湾を雑な括り「親日国」とよく言われる。
昨年台湾に3週間滞在した際にこの台湾に対しての印象の一つに「親日国」がある点をとても多く違和感を感じた。台湾の植民地支配をしていた歴史についての忘却に対しての怒り、そもそも国の印象を自分の国を好きかそうでないかで括ってしまう乱暴さに対しての違和感だった。

けれど日本語のフィルターは、そもそも台湾の人が植民地支配の時代についてどのように思考し表現しているかについては知るすべがない(残念ながら)。
そんな出発点からこの本を毎日書き写しながら解読をしているのだが、書く、調べる、音読する、という1つずつの動詞を繰り返し著者の思考を確認し体に染み込ませているその時間が心地がよく日々の安息地になっている。
彼らは植民地の歴史に対してどのような考えを持っているか耳を傾け、知る行為。日本語というフィルターがあり、そのフィルターにかかってしまっている情報を掬い出し新しく知ることは今のいる世界とは違う場所があるということを行為を繰り返して染み込ませる時間でもあったと思う。

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