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“あなた”に伝える方法(『差し出し方の教室』)

差し出し方の教室

昨年の夏、「ウヨンウ弁護士は天才肌」を各界隈の友人に一斉に勧められたが見る気が起きずにいたら結局1ヶ月遅れて見始めてハマり、今度は自分が周りに布教をしまくる側に立つことになった。

 布教のターゲットは母だった。母にネットフリックスで観れるからと8月から勧めて結局母が見たのは今年の3月だった。もともと自分が見たいドラマを見るのに必死の母に、そこから時間を割いて見てもらうというのは大きな壁だった。ドラマという1時間×16エピソード=16時間をかけてその世界に没入する必要のあるメディアはその壁はとても高くなる。


「差し出し方の教室」は、ブックディレクターとして活躍している幅允孝さんがどのように「差し出して」相手に伝えていくかということについて多様な分野の「差し出し方」のプロとの対談、そして幅さんの体験を通して考えていく一冊だ。

ブックディレクターという名前は聞きなれない言葉なので著者紹介の欄を見てみるとこのように説明されている。

「人と本の距離を縮めるため、公共図書館や病院、学校、ホテル、オフィスなどの様々な場所でライブラリーの制作をしている。」

本書、巻末より

やはりよくわからないので、もう少し読み進めると以下のように書いていた。

書店と聞いて次に来る言葉は「不況」と来るように書店不況、本が売れない時代と呼ばれて久しい。今はスマホ、Netflix等のサブスクで見られる映画、ドラマの数も格段に増え「本」はその時間競争の中で苦しい戦いを強いられている。
そのためブックディレクターの幅さんは今人と本の距離がどんどん遠くなっている中で、本を誰かに届けるために今までに本がなかった病院やホテル、オフィス等に本を配架(置く本の選定、そして並べ方)から、「気づいていたら読んでいた」というような場所の居心地を実現させるための空間・家具計画といった空間全体のプロデュース、コミュニケーションを促すためのロゴ、アイコンを作るアートディレクション計画を行っています。これを本の「差し出す」方法を考え提供するのが幅さんのお仕事ということだ。

幅さんは最初にこのように書いている。

「そんな僕が、近頃気づいたことがあります。それは、
何を選ぶかも重要ですが、選んだ「それ」をどう差し出すのか?が、
より大切な時代になってきている。
また、同じ「もの」や「こと」でも
差し出し方によって
相手の伝わり方が異なる
ということです
(中略)
もっと言うなら、僕が本を届けるときに最良だと思える状況は「読め、読め」と圧力や切迫を感じさせて読んでもらうのではなく、「気づいたら読んでいた」という状況をつくることです。」

本書p5,l7-p6,l4

そんな差し出し方について「国立博物館の照明のプロとしての差し出し方」「上野動物園での差し出し方」「Webディレクターとしての差し出し方」「ワインバーの差し出し方」と各プロにそれぞれ差し出す哲学について対談を通して考えていく。

さて、ドラマ、ウヨンウの話に戻そう。
私は母に会うたびに「ウヨンウを見ようよ」「ウヨンウいいよ」といってきたがドラマを見るという行為に至らなかった。
そんな母が実際に興味を引き起こした取り組みが2つほどあったと思っている。
1つは、母の立場に立ってどうして見て欲しいと思うかについて言語化して伝えることだ。
ドラマの主人公、ウヨンウは自閉症スペクトラムを持っており、その自閉症スペクトラムをもつウヨンウと、そしてウヨンウを中心にした周りの人たちとどのような関係を持って生きていくかということを描く作品だ。

私も軽度の発達障害の傾向があると小学5年生に診断を受けており、全く無関係ではない。ましては母は、小学生時代私の行動を見て検査を受けさせることを決意したということはある程度悩み、検討した時間を持っているのだ。

その経験を持っている母がどのようにこのドラマを捉えるのか、どのように感じるのか気になると伝えたとき、「それなら見てみようかな」と動かなかった石が動いたような感触を得た。

そして2つめは、これはもとも子もない方法だが直接一緒に見た。ドラマは本同様没入感を要するメディアであり、ましてや全て見るには時間がかなりかかるという部分においてはかなり一歩を踏み出すのに時間のかかるメディアと言っていい。しかし1話を見てしまえば「全て見るのに16時間かかる」と言う認識から「次が気になる」と言う視点を変えることができる。

結果的に母は「ウヨンウ」に満足し、ウヨンウを基盤として議論ができるようになった。母の人生にウヨンウという世界が入り込み新しく物事を考える言葉を手に入れたのではないかと思う。
「差し出す」ということは成功する確率が少ない。思ったより私たちの頭のなかは保守的で新しいものに対して拒絶をしやすい。けれど逆に言えばその壁を乗り越えて入ってきたものはその人に対して大きな影響を与える力を持っているということを自身の経験を持ってある程度重さのある真実味がある。

まるでウヨンウがひらめいた時必ず鯨が浮かび上がるような強烈な体験と共に私たちの世界に入ってくる。

そんなきっかけを受け取ったからこそ、私も与える側になりたいと思ってきたのかもしれない。だから原書感想文を書き、今この本の感想文を書いている行動もこの「差し出し方の教室」に書いている差し出し方をある種実践しようとしているのかもしれない。


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