じぶんのクセをすきになる【2-2】「分ける」ことは「分かる」こと
「分ける」ことが「分かる」こと
みなさん、1日目のワークはどうだったでしょうか?イライラしましたか?イライラするのって、すごく居心地わるいですよね。すごくイヤな自分になってしまっているような気持ちになっちゃいますよね。でも、それでいいんです。そのまま、イヤな自分を味わってみてください。イヤな自分になっちゃいそうになったとき、イライラして居心地が悪くなったとき。そのときに、咄嗟にその感覚を排除してしまわないことです。ブラックな自分を殺菌して真っ白にしちゃわないでください。
それは、自分のクセをどんどん嫌っていく方向に走っていってしまうことです。居心地が悪くなっていることにも、理由があるんです。それは、自分の心の無意識の中心からの、自分自身へのメッセージなんです。それを素直に受け取れるようになったとき、あなたはきっとじぶんのクセが大好きになっています。そしてもっと、自分自身の自然体だけで生きれるようになっています。そして不思議なことに、周りの人にもなぜかすっごく感謝されるようになってしまいます。
ということで、そんなクセすきマスターを目指して、今日も文章を書いていきます。ついてきてくださいね。
二日目のワークは、こちらです。
【クセすきワーク二日目】一日目の連想から、自分に起こった出来事を五つ思い出してメモ帳に書き出す
どうでしょうか。ちょっと分かりづらいかと思いますので、説明していきますね。僕も一緒にワークをやりますので、一緒にやっていきましょう。
今日のワークのテーマは、「イライラの震源地を探る」ということです。
あなたの感情には、震源地があります。それがあなた自身の個性です。みんな、同じことに怒っていたり、泣いていたり、喜んでいたりするように見えているようで、実は全然違うんです。「え、そんなところで怒るの?」だったり、「嬉しくなるポイントが独特だねw」なんてこと、周りの友人とかで、遭遇しませんか?それって、その人が変わってるわけじゃないんです。あなたが変わってなくて、その人が変わっているというわけではないということです。
もちろん「普通」という概念はありますよ。「普通」とは、近い感覚が密集している地帯のことです。でもその「普通」も、誰が観測したんですかね?「ここが一番、人類で多くの人間が密集している場所だぞー」って、誰かが叫んで決めてくれたんですかね?そう、「普通」は、共同幻想なんですね。
大切なことは、「私は普通じゃない」という地点に、まず立ってみることです。「あの人は変だ」という感覚は、自分が「普通」というよく分からない誰も見たことがない共同幻想の地点にあたかも立っていてそれを観測していると思い込んでいるから、生まれてくる言葉です。
もとから、「私は普通じゃない」って思ている人は、そのままでいいです。素晴らしいと思います。「普通だ」と思い込んでいる人よりも、もしかしたら自分のクセの不可思議さについて誰よりもすでに知っているんじゃないですか?素敵すぎますね。
では「私は普通じゃない」という地点に立ったあなたには、あなたにしか持つことのできない感覚があります。それは「イライラする」「悲しい」「寂しい」「嬉しい」「喜びがある」とか、そういった感情です。すごいですよね。すごくないですか?今までも感じたことがある感覚でしょうか。でも、同じ言葉の「悲しい」でも、その悲しみ方は、あなた独特のものです。僕から言わせたら、「そんなところに悲しむの!?面白い人だな…。」って感じですよ。人間誰しもおかしいですから。他人から見た他人って、常に変なんですから。
そうです、感情の震源地には、その人の個性があるということです。そしてその個性は、他の人とは必ず異なっているということです。それは、第一章でも散々言ってきました。あのダーウィンさんまでもそういうふうに言ってるわけです。みんな絶対に異なってる存在だよ、って。だから、信頼してください。あなたの「変さ」をもっともっと信頼してあげてください。自覚が足りなすぎるんですね。自分が他の人と違うということに。違う感覚を持っているということに。
じゃあ、どうやったらその感情の震源地とやらを調べていけるの?っていうことなんですが、その足掛かりが二日目のワークです。
これまでも何度かお伝えしていますが、全ての感情の動きは枝葉であり、一つの根に繋がっています。根とはつまり、精神の無意識の部分です。それは、あなたが自覚していないあなたです。
海に浮かぶ氷山のうち、海面に浮かんでいるのはほんの1割程度で、それが意識である。沈んでいる部分が無意識である。みたいな話ですね。脳の大部分は普段は使われていないという研究があると思いますが、あれです。別にその震源地を、脳と呼んでもらってもいいし、DNAと呼んでもらってもいいし、コア(核)と呼んでもらってもいいし、魂と呼んでもらってもいいし、宇宙と呼んでもらってもいいです。何でもいいんです。僕は深層心理学が好きなので、無意識と呼ぶことにしますね。好きな呼び方に置き換えて読んでください。あなたが体感できる感覚と言葉が、いつも一番大切です。
そしてこの無意識に、直接踏み込むことはできません。自分では絶対にできません。「無意識さん、今、何を想ってますか?」って尋ねてみて、「これこれ、こういうこと想ってるんだよね〜」なんて答えてくれません。
何でか分かりますか?それは、人格に整合性を持たせるためなんです。一貫性を持たせるためなんです。
ですが人間はそもそも、矛盾した存在です。必ず内側では矛盾しているんです。人間は物事を「分ける」ことによって理解します。「分かる」って、そういうことですよね。「分ける」から、「分かる」んです。分けて考えているから、矛盾を引き起こすことがあるんです。
例えばフランス語では、蝶と蛾を同じ単語で呼びます。分けてないんです。分けていないということは、分かる必要がないんですね。
日本では雨の呼び方がたくさんありますよね。五月雨、霧雨、村雨、などなど。俳句の季語であれば、季節ごとに雨の呼び方が違うわけです。呼び方が変わると、それが他と違うことを、つまりそれが存在していることを、認識できるわけです。「夏のこのじっとりした湿度を伴った雨だ」と意識できるから、分かるわけです。他の何かと区分をつくることによって、人間は新しい概念を知覚するんです。
言語学者のチョムスキーはそのことを、プールに浮かべる浮き輪で例えました。僕たちの言語概念は、プールという世界の中に、浮き輪を浮かべて区画を分けているに過ぎない、と。そして文化や環境の違いによって、その浮き輪の並べ方や一つ一つの大きさが異なっているだけなのだと。面白いですね。
要するに、人間は「分ける」ことで一貫性を保ってるんです。意味、分かりますか?例えば、「友達よりも家族を大切にする」という感覚を持っている人がいたとするじゃないですか。それがその人にとって、すごく重要な価値観だと考えているわけです。そしてそれが、人生を豊かにする秘訣であり、自分の命を守るための方法だと考えてきたわけです。
でも、唯一無二の大切にしたい親友のような存在ができて、しかもそれがちょうど家族と仲違いが起こっている時期だったとしたら、どうでしょう。そしてその親友と家族に、同時に危機が訪れる。そうなったとき、その人は以前の信念に従って、「友達よりも家族を大切にする」ことを貫くのでしょうか。ちょっと分からないですよね。そうなってきたときに、人は自分の中にあった矛盾に気付くわけです。より大きなプールの存在に気付くわけです。「分けられなかった世界」があったことに気付くわけです。
そうしたら、どうするか。一旦一緒くたにするんです。そして、また分けるんですね。分け直すんですね。その人なら「友達よりも、家族を大事にする。家族よりも、親友を大事にする。」という信念にアップデートされるのかもしれません。分け方は色々ですね。人のクセに寄るわけです。その時の体験にもよるはずです。はい、でもとにかく、分け直しました。細かくなりました。細かくなることで、もっとプールの全体像を感じることができました。
心理的な発達は、このように行われていくと僕は理解しています。要するに、一貫した自分が自己内で矛盾を起こし始めて、分離が起こる(分離していたことに気付く)。そしてその分離が、徐々に統合されていく。(そして新しい分離を起こしていく…。)これが心理発達の過程であり、僕の思う、人間の才能がより開かれていってしまう過程です。ずっと続いていく旅です。才能の発揮のされ方は、心理的発達と連動していると考えているわけです。
さて、今日のワークに戻りましょうか。
今日のワークは「一日目の連想から、自分に起こった出来事を五つ思い出す」でした。そしてワークのテーマは「感情の震源地を探る」です。
無意識は常に、意識が矛盾しないように隠れているんです。自分(意識)からは手の届かないところにいるんです。だから僕たちは一貫性を持っている存在のように見えているんです。見えているだけです。本当は誰しも矛盾を抱えています。
その、「本当は矛盾を起こしている場所」を、探っていくということです。それを「震源地」と呼んでいるということです。亀裂が起こっているようなイメージです。
そしてその「震源地」を覗き込む方法が、「同じ根本の感覚でつながった体験を思い出す」ということなんです。
じゃあ、どうやったらこれができるの?同じ震源地だと感じるようなことを思い出せるの?ってことですが、まずは僕がこれから実践してみますね。ふー、できるかな。でも、いつもやってることなのできっとできるはずです。できるだけ新鮮な気持ちで、これまで感じたことの繰り返しにならないように僕もやってみますね。自分のイヤな部分に踏み込んでいく作業なので、ちょっと緊張しますね。でもいいんです。それが大切なんですね。誰かを傷付けるわけじゃないんです。
一日目の僕のイライラは「僕が置いた物の位置が変わっている」ということでした。そのときに言いたくなったセリフを思い出してみると、「これは僕がここに置きたくて、置いてたのに!」という叫びでした。でもそれを、僕は飲み込んでいます。言わないようにしています。うう、まぁでも、仕方がない。相手が悪いんじゃない。僕が別に我慢をすればいいことだ。それで事は全て済む。大丈夫…。
あぁ、追体験するように感じていたら、早速ひとつヘビーなやつを思い出しちゃいました。僕の場合それは、お母さんとの記憶でした。僕のお母さんは気分の波が高くなってくると、僕をいつもどこかに連れていきました。知らないレストランやら、目新しい高級そうなホテルやら。幼い僕はそれを別に何とも思っていないようなフリをして、いつもついていきました。
でも、本当はとってもイヤだったような気がしてきました。ここでも同じようなセリフを言いたくなっています。それは「僕が我慢すれば、事は済む。この人は喜んだままで快適にいてくれる。少しの辛抱だ。」そういう感じの言葉でした。ふう、胸がぎゅっとなってきます…。
あぁ、また思い出しました。またお母さんの記憶です。あぁ、これはどうなんでしょう。ちょっと書きづらい内容です。でも、大切なことなので勇気を出して書いてみます。多分、母親に性的な虐待ともとれるようなことをさせられていたような記憶を思い出しました。正確には半年前くらいに突然思い出したことなんですが、それが再びフラッシュバックしてきました。今。
僕はそのとき、きゅうりを使っていました。きゅうり?何できゅうり?面白いです。ちょっと自分でも笑っちゃいました。何これ。本当の記憶なんでしょうか。最近まで忘れていた記憶で急に思い出したことだったので、もはや自分の本当の記憶なのかさえ定かではありません。お母さんの名誉のために、僕の作り出した夢かイメージだと思ってもらえるくらいだと有難いです。
でもその記憶のイメージの中の僕は、それをしながら、何とも思っていなかったです。何も感じていなかったです。おそらく、何とも思っていないフリをしていました。そのとき「へっちゃらだけどね、別に。」ということにしていたから、僕はすっかり忘れることができてしまっていたんですね、きっと。
でも、やっぱり今思い出すと、イヤだったんだと思います。すごくイヤだったんじゃないかなって感じます。そのイヤさを思い出しました。今、ものすごく胸が苦しいです。圧迫されてる感じです。文章を書きながら、本当に胃か肺のあたりがきゅうっと縮んできたような感じがしています。
そして今度は、中学二年生の頃の記憶を思い出しました。中学生のとき、僕はとにかく空気を読む人間でした。周りの空気を呼んで、そこから自分が発言する内容を決めていました。それが僕にとっての生き残り戦略だったんですね。そうしないと、僕はこの中学校というコミュニティの中で生き残れないと思っていたんです。惨めになってしまうと思い込んでいたんです。
だから僕は常に、学校の一番イケてる(笑)グループの中の、二番目か三番目くらいの位置にいれるように気を付けていました。僕が一人でそう思ってるだけなんですけどね。そこが笑えます。でも本人にとっては、ものすごく真面目です。シリアスです。
一番じゃダメなんですね。年上のもっと強い人たちから目をつけられちゃいますから。だから、二番目か三番目なんです。二番でもちょっと危ない。三番目くらいがすごく丁度いいかも。僕のそのときに言いたくなっているセリフは「うまく立ち回る。それが大事。僕の言いたいことは、この場の言いたいことだ。」そうやって心が言いたがっているような感じがしました。
さて、というような感じです。感じて頂けたでしょうか?難しそうだなって思いますか?案外と自分でやってみたら、どんどんと思い出しちゃえますよ。一度溢れてくれば、というよりも一日目のワークをしっかりと味わってやって頂けたなら、意外とどんどんと出てきます。コツは、意味を考えない事です。ふっと頭によぎったことがあれば、それは全てに意味があります。意味がないことは、人間思い出しません。脳って、すごく効率的に働くようにできてますから。
「こんなこと絶対に大切なことには結びついていない。重要なことじゃないな。集中しよう…。」なんてこと、絶対に考えないで下さいね。ふっと頭に思い浮かぶこと、その全てに意味があります。そしてそれは、枝葉として同じ根に必ず繋がっています。それをジャッジするのは、自分ではありません。というか、自分自身では必ずジャッジすることができない仕組みになっているんです。それが意識と無意識の、すっごく美しくて巧妙なシステムです。すごいですね。
どんどん連想していってください。ワークのテーマに真面目になりすぎて「同じ感覚の震源地じゃないか…」なんて思わなくてもいいです。思い浮かんだこと全てに意味があります。昔の記憶でなくても大丈夫です。今朝の些細な出来事でもいいんです。それを箇条書きでいいので、書き留めておいてください。思い出した5つの出来事を、メモ帳に書いておいてください。それはあなたにとって、ものすごく大切な財産になります。
この五つの出来事は、お金で買えるものとは比べようもないくらいの、とんでもなく価値のある財産です。一生をかけて自分に寄り添って、自分のことを助けてくれるはずです。きっとです。だから大切に、消えないところにメモをしておいてください。
自分のイヤな部分を、決して消し去ろうとはしないでくださいね。消し去ろうと思えば思おうほど、イヤな自分にならないための生き方しかできなくなってくるんです。それが「肩の力が入っている」ということです。クセに抗っている状態ということです。クセを許してあげて、自分をすきになってあげられていないということなんです。
もっともっと、肩の力を抜いちゃいましょう。イヤな自分も含めて全部自分です。それをイヤだと思い込んでるのも、自分だけなんです。クセをすきになれた自分って、実はすっごく素敵で魅力的なんですよ。
【クセすきワーク二日目】一日目の連想から、自分に起こった出来事を五つ思い出してメモ帳に書き出す
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