「福祉機器はなぜひろがらないのか?」

このタイトルのnoteを知り合いがシェアされていて読んだ。

なるほど。と思いつつ、なんかムズムズ、ザワザワしている。書き方?取りあげられ方?デンマークと日本の比較政治視点?うーん。

確かにうなづけることが書いてある。福祉機器がひろがっていないのも事実だ。だが・・・

何を福祉機器といい、何を介護機器とよぶのか、そもそもそのための議論の共通点=土俵をつくることを私たちは比較的重要視する。学術的に話をするときには確かに、お互いのことをわかり、何を議論するのかという点の明らかにしあうことは一定必要だ。しかし、あまりにもそれにこだわりすぎると目的と目標がずれてしまうということがよくある。おおよそ30年障害のある人たちとかかわり続けさせてもらってきて、福祉機器や介護機器というものを身近においてきた私は実は、福祉機器とはなにかという議論に辟易してきた。

 最近、ユニバーサルデザインとかインクルーシブデザインとかいうコンセプトやことばもよく聞くようになった。ある意味、福祉機器のコンセプトと全く逆のアプローチであるように見えるこのコンセプトも実は、上で書いたような議論構造に同じようにおちいっているようにも感じる。

 そうつまり極めて個別性が高いのに、汎用性が高いという全く対立する二つのコンセプトが両立していくことがその分野に必要なのだと思う。
 部屋の電気を電灯の笠から垂らされている紐を引っ張ってオンオフしていた時代に、どうしてその電気を寝たきりに近い人たちが、自分できるようにしていたか?、と、リモコンで電気のオンオフができるようになった時代、同じように電灯のオンオフという生活必然行為を可能にするかどうかというアプローチは違っている。便利になる利便性が高まるいう生活商品がその便利の向上、利便性の向上を進めていくアプローチのときに、普遍的な顧客ニーズをリサーチし開発を進める+障害のある人というペルソナを入れて開発していくという方法論は、結局は「その人」の暮らしにあったものという「オーダー」な暮らしの商品を開発することにはつながらない。
 開発サイドへの希望をいうならば、福祉機器を開発し、拡大するより、普遍的にみなに使いやすい商品を開発することを望むだろう。そして、開発のコード(ここでは、OSのコードというよりももっと大きな意味で使っている)をオープンリソースにしてくれるほうが、よっぽど、障害のある人たち(高齢者も含む)の生活を豊かに、この方のいう「社会課題」の解決になるように思う。たった一人のためのフルオーダーな福祉機器の開発よりも、生活のベースになる暮らしを豊かにする建築やデザインや商品の開発の方が、日本の場合、デンマークに比べると十分ではないのではないか。
 どうも、ムズムズしたままである。

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