堪え性

「あんたは堪え性がない」
99才まで生きた私の祖母が私を叱責するときによく使った言葉である。

自分で自分のことはよくわからないものだが、私はそんなに我慢ができないタイプではないと自分では思っている。ただ、あきっぽいのは事実だ。一つのことにじっくり取り組めないことはないのだが、成果や結果がでないと、いったんすぐに飽きて、違うことに興味が移る。かといって、もともとやっていたものについて、投げ出してしまうわけでもない。一つのことにじっくりじっくり取り組むタイプではなく、ぶわーと広げて思考回路を広げてということが楽しいので、どうしてもそちらに関心が向きがちで、投げ出してしまう。

堪え性というのを辞書で(といってもネットだが)しらべてみると、

つらいこと、苦しいことなどをがまんできる意地、性分。「堪え性がない」

と出てきた。ん?最後の「意地」って???

意地
1 気だて。心根。根性。「意地が悪い」
2 自分の思うことを無理に押し通そうとする心。「意地を通す」「意地を折る」
3 物をむやみにほしがる気持ち。特に、食べ物に執着する心。「意地が汚い」「食い意地」
4 句作上の心の働き。

ここでは心根の意味なんでしょうね。だから、根性がないというのと堪え性がないというのが似たような意味で使われるんでしょうね。

この解説をみていて、あー私には「意地がないな」って思った。そう私は自分のことについて執着がうすい。自分のためにやることについては全くと言っていいほど、堪え性もないし、意地もない。
個人的には違和感があるのだが、最近のことばでいえば、「利己」で気持ちが動かないので、とにかく堪え性がないのだ。すぐにあきてしまう。「利他」であれば、意地も通すし、堪えて堪えて、解決の道筋を探っていく。それは私をよく知る人たちにはおそらく驚かないことだろうと思う。細かな戦略とディティールをつくり解決への道筋をつくって進めていく。


 なんのため、だれのために堪えるのか?
私にとってはそれが第一義なのだ。そこに「自分のため」が入るとモチベーションがあがっていかないので、堪えられない。

そういう意味では堪え性がない。こどものときに祖母にこう叱責されたのはほんとうによくわかる。生来自分には堪え性がないのだろう。


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