「大丈夫」

私の中での今年2020年の「流行語」?大賞


流行語 というのとは、ちょっと違うか。。。

「トッピクワード」

まぁ、どっちでもいいのですが、とにかく、おそらく一番といっていいほどよく使って、正確に言うと、「使い」直し、考えた「ことば」は

大丈夫

だと思う。

自分自身が50歳を越えると当然、上の世代は50歳より上になり、活動する中では自分より下の世代のみなさんがふえていく。あえて、意識して若い方と交流を結ぶようにさせていただきながら、感覚がさび付いていかないように、そして、経験でぶるようなことをしないように、ことさらに意識するようになった。特に私たちは、上から押さえつけられて育った世代である。ついつい身についているそういった姿勢は、気にしておかねば、無意識に顔を出してくる。

今年、新たな感染症パンデミックが起こり、そのことが加わって、まさに

「大丈夫?」という会話の中でのやりとりが増えた。まさに、「自分流行語」化した。

そして、そのやりとりの中で、「大丈夫ですよ」といい切られることの不安さが増した。

そう。大丈夫ということばで、会話(こういうのを対話と言うのかな。対話が自分の中ではイマイチよくわからない)が途切れてしまう。まさに、コミュニケーションが閉じられてしまう。

そして、そういうコミュニケーションが「大丈夫」という言葉で閉じられるケースは、自分より年齢が上の方が多い気がする。年齢、ではないのかもしれないが、経験だけでいえば、実際はそうだった。

今回の感染症とその対策については、情報が錯綜し、そもそもみんなが「新たな体験」をしているわけで、そこに「正解」はなく、感染症対策すらも手探りの状態で行っている。そこに真実的な正しさをいえば、感染しない=「大丈夫」はないはずだ。しかし、大丈夫だと言われてしまう。

心理学的にそのことを推しはかることは簡単だ。しかし、推しはかることが、果たしていいのか?とも感じる。

高齢ドライバー、高齢者の免許返納のエピソードでもこういった例をたくさんきく。みな「大丈夫」と言われる。言われる人は当然、返納されない。
「大丈夫」と言われる人と言われない人の事故を起こす確率まではわからないが、そういった強気を老いるほど言われるというアンケートはあるようだ。

いろんな視点からこういったエピソード研究はなされているだろう。しかし、日常生活では、そうしてなんでも「大丈夫」と気丈に言われる諸氏が少なくないのも事実だし、そうした人たち(もしかしたら自分も含めて)との社会を暮らしていくわけだ。ことさらに、人に言わずに、問われたことに対してコミュニケーションを閉じないことをみんなで心がけられる、そんな社会になりたいものである。


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