おじいちゃんのご飯
3歳になる頃まで、東京のおじいちゃんたちとは同じマンションの違う階に住んでいた。
3階に住む祖父母と、その上の4階に住む私達。
確かその頃の祖父は、まだ仕事を続けていて、朝ごはんを3階の家で一緒に食べていた。
ご飯を食べる最後に、白いご飯を味噌汁に入れてくれて、柔らかくして食べさせてくれた記憶がある。「お味噌汁ごはん」である。
今思えば、昔から食べるのが遅かったかもしれない。「お味噌汁ごはん」にたどり着いて、なんとか食べていた。味噌汁に入るとするする食べれるから、不思議。
となぜかその食べ物に関しては、感覚の記憶がある。
東京のおじいちゃんが作ってくれたもののひとつに、オムライスがある。
ピーマン、玉ねぎ、きのこをみじん切りにしたものを炒めて、ご飯と合わせる。そこに、缶詰のソーセージを切って入れるのがポイント。ケチャップと合わせて炒める「ケチャップご飯」。
とこの作り方は、その娘である母親にも継承されているので、私はオムライスを作るとなるとチキンライスでなく、この缶詰ソーセージを使った方法しか知らない。そのため、トルコ留学した時もこの缶詰を持って行ったくらい、缶詰ストックが私にとっては一大事だ。
祖父の炒めご飯のレパートリーには、炒飯もある。
ある日、小さい頃、弟が母親に向かって
「おじいちゃんが作ってたキャベツの入った炒めご飯食べたい。」
と言ったらしい。
「「おかか炒飯」のこと?」
「違う、それじゃない。キャベツ入ってたの。」
と頑なに言うので、電話して聞くと
「いや、そりゃ「おかか炒飯」だろ?」
とのこと。何のミスコミニケーションかわからない会話で、すみません。ようは、「おかか炒飯」の方は弟好みだったと思う。
私は作ったことはない。今度、作り方を聞いておこう。
そんなこんなで、なんだかんだ台所に立つこともあった東京のおじいちゃん。昭和8年生まれにしては珍しいのではないか、と気づいたのは最近のことだ。
一人暮らしはしたことないのだが、彼は晩年の自分の母親と2人で暮らしていたところから、結婚したようだ。いわゆるこの方が、家事は一切しない人だったらしい。お手伝いさんが去った後、食事を作るのが若かりし日の東京のおじいちゃんだったのだ。
そんな風に始まった彼のレシピが、孫の私にまで染み付いている。
もっと私が料理好きだったら、祖母達のやり方を真似たんですが、おじいちゃんのやつの方が真似しやすいんです、ごめんなさい。
食べ物のレパートリー、すなわち家庭の味は引き継がなければならないという圧力がある。
父方の祖父である芦屋のおじいちゃんは、何度も「おばあちゃんにご飯の作り方を教えてもらいなさい。」
と言っていた。外食よりも、芦屋のおばあちゃんが作る手料理を食べたいという人だった。
といっても、専業主婦だった祖母達と仕事をしている私では、料理にかけられる時間も違う。
「あの時代の人たちは、料理に手間かけるのは当たり前だったからね。」とその間の世代で、片付けは嫌だと言いながら、美味しいものを作り続ける母。
一人暮らしが続いている私もそれなりに自炊してはいるが、持ち前の不器用さでうまくいかないところもある。そんな話を料理好きの芦屋のおばあちゃんに電話でしていると
「そんなん、仕事も忙しいんやから、無理して作らんでもええわ。他にもやることあるんやから。」
と言われた。
なんだ、そうか。いいのか。
料理に時間をかけた人ほど、その犠牲を知っているのだ。そして、時代は変わった。
ということで、フライパン1個で収まる自炊を楽しむ女に育っています。
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