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1学期授業の裏側での構想(国語x英語『言葉と表現』の授業)

新学期から新しく国語科と英語科の教員で作る授業が始まった。
その名も『言葉と表現』である。対象は高校2年生で、選択科目となっている。
最初の単元となった授業については、以前の記事でも説明した。

英語科の教員2名と国語科の教員2名が担当することで、それぞれの興味のある授業を開発し、実施するという流れになった。
コマ数の関係もあり、私自身がメインで担当することは1学期はなかったものの、「国語と英語の連携」を試みる場に大いになっていった。

レトリックで磨く表現力〜推しお菓子の食レポを執筆〜

その次に実施した単元は、表現技法、つまり「レトリック」に着目して、文章表現を磨くという授業だった。

「メタファーで授業をする」ということで国語科の教員が走り始めた時、私がこれは役立つのではないかと思ったのが、学校図書館にあった一冊だった。

瀬戸賢一先生は、『現代レトリック事典』の編著者でもあり、メタファーやレトリックの研究の第一人者でもある。
その視点から、食レポの表現に着目するというニッチながらポップな内容の新書である。

さて、そんなことをしている一方で、「そういえば、ゆる言語学ラジオで現代レトリック事典の回ありましたけど、観ました?」なんて同僚に言ってしまった。

「なんなら、食レポの回もありますよ、観ましょう!」となってしまった。

結果、言語沼にハマった英語科教員である。

ここから、「食レポ」をゴールの成果物にして、授業を設計していくことになった。ゆる言語学ラジオに踊らされているかもしれない。
日常的に使っていた表現方法が、どのようなレトリックか意識することにも繋がった。最後はあえて「別のレトリックを使うなら?」と表現を評価し、選ぶという活動をした。「自分の好きなお菓子の食レポ」という見た目には、お菓子パーティーのようだったが、真剣に表現をしようとする試みだった。
(実際に作った成果物の食レポをどう披露するかまで考えられたら、よかったかもしれないとも思う。)

ラップからひもとく英語と日本語

夏休み前最後の単元は、「ラップで授業をしたい」という音声学を専門にした英語科教員が担当した。
つまり、今回の単元では、日本語と英語の音の違いに対する気づき、そしてそれに関する知識を身につけることが目標でもあり、それに加えてラップに関する文化などを学ぶといった内容だった。

勤務校は中高一貫校で、中学1年生の1学期の英語はフォニックスの指導から始まる。フォニックスというのは発音とつづりを一致させるような指導で、日本でいう国語の五十音の指導と考えていただければ良い。(誤解されるが、必ずしも発音のみの指導ではない。読み書き指導の最初期の部分である。)
そのようなフォニックスや発音の指導に力を入れてきた教員だったため、「ライミング」=英語で韻を踏むことと、日本語で韻を踏もうとすることの差に着目することになった。

「ラップで授業なんてできるの」と思っていた我々の前にも、先立つ人はいる。
こちらの本を参考にしながら「韻を効果的に踏みながら、自分たちのエピソードを日本語のラップにする」という成果物を最後のゴールにした。
高校生ならではの日常をラップにしたり、「言葉と表現」の夏休み前最後の単元ということもあり、授業についてのラップを披露していた生徒もいた。

途中、「韻」で国語科教員から繋がりを指摘されたのが、「漢詩」だった。とっつきにくいと思われがちな古典作品にも「韻」があることを意識できるところまで繋げていたら、科目連携の意義が深まったかもしれない。

私たちは「連携」できたのか

1学期をなんとかくぐり抜けた私たち。

私の中には「これは英語と国語の連携と言えるのか?」という疑問が残った。
科目の授業自体は、4人で実施しているものの、実際にはメイン担当者ありきの設計になってしまい、その人なしでは実施できない状況になった。
授業者としては、自分のやってみたい表現に着目した授業ができているものの、属人的になり、替えが効かない。加えて、基本的にメインの担当者のみで授業内容を考えてしまうので、自分の教科に寄った発想になってしまうところがどうしてもある。

が、それではチームでいる意味を自ら殺してしまっているとも言える。
そこで、英語科と国語科教員でペアになり、授業構想をしていくことを来学期以降は試していこうと考えている。

「言葉での表現」に向き合う力をつけるには

週に1回、2コマと限られた時間の中で、どこまで「真剣に」言葉での表現に向き合うことができるだろうか。

高校2年生は、科目数も多くなり、本校では個人での探究活動を行う年でもある。故に、課題を多く出しすぎたり、大学の一般教養レベルの知識を無理に押し付けたりすることは避けようとしてきた。そして、ラップ、食レポなど、身近に感じられるようなトピックを扱ってきた。

一方で、身近なトピックだからこそ、そこから表現について詳しく考えたりする余地が大きくあった。「言葉での表現」を楽しんだり、自らも挑戦したりするきっかけにはなったかもしれない。
一歩踏み込んで、理論や技法を知ることで、より深く表現に向きあうことができるようになるだろう。自分個人で悩んでいたことが、他の人にも共通するものであったと知ることは、世界が開けるきっかけにもなる。
「理論で謎が解ける」ような瞬間が生まれることも期待したい。

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