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手放しの繰り返し レンズ編

自分は物に対して
氣に入った物と氣に入らなかった物の棲み分けは早い方である

氣に入った物はとことん使うし
氣に入らなかった物はすぐに手放す

物はどれも一長一短である
万能な物はこの世に存在しない
そんなものがあれば利権というパイの食い争いで
今頃グローバリストは民衆をもっと効率的によりよく支配しているはずだ

万能なものは存在しないということは
必然的に不足さを感じるという事である
ショルダーバックはザックのように背負えないしその反対も然りである
要はその不足さに注視できるかが重要なのである

私はカメラを嗜んでいる
カメラにはレンズというソフトがある
ゲーム機とゲームソフトの関係がイメージしやすいだろう

これまでこのレンズを買っては売ってを繰り返してきた
同じレンズを買い戻して何か違和感があればまた売るなんてこともしてきた
これには理由がある
私は山岳スナップとストリートスナップを撮る
条件や目的が違えば使うレンズは当然異なる
これは山岳に合う
これはストリートには合わない
こんなことに長い歴で翻弄されている

ではなぜこのようにレンズに翻弄され売買を繰り返すのか


それは自分が山岳スナップやストリートスナップで表現したい形が
常々変わるからである
これはこう表現したいからこのレンズ
このレンズだと写りが固いからここはこのレンズ
など場所、時間、空間、事象、事柄によって状況は常々変わる
撮りたいとその瞬時に反応して感じた時に自分の欲を埋めてくれる
完璧なレンズなどこの世に存在しないのが体験と経験で理解できた

人は年齢によって思いは変わる
子どもの時からずっと使っている物などほとんどない人が大半だろう
それは生きて行くうえで成長し感覚が変わり表現力も変わるからである

私も氣に入っているレンズは3本しかない
勿論その3本は完璧じゃない
色味が面白い
柔らかい写りがする
切れ味が鋭い
など特徴の持ったレンズは
いわばギターでいうところの癖のあるエフェクターで
演奏上の飛び道具にしか過ぎない
それゆえに持っているレンズの本数も少ないのは

その癖がたまらなく好きだからである



レンズの性能なんて青天井である
捜せばいいレンズなんてそこらへんにいくらでもある
しかしそんなスペックだけでしか判断できない糞みたいなカメラマンは
詰まるところ機材ヲタになって大した実力もなく初心者にマウントを取る
だけの悲しい現実だろう
会社の飲み会で上司が過去の栄光話や武勇伝を語る糞話に似ている

私としては物はなんでも使ってなんぼなので使ってみてどう感じたかを最重要としている
使ってみた第一印象が嫌なところばかり目立つと所有している期間は短い
それが例え高価なものであっても
どんなに綺麗に良い写るレンズでも
好きになれないと知ると躊躇なく売る
好きになれないレンズを使い続けると作品の目的が定まらず思うような写真が撮れないため自分の力を発揮できない
そしてなにより怖いのは好きになれなかったレンズなのに
高価だからとかレビュー的にいいレンズだからとかという理由で
この先なんの期待もないのに所有している執着である

ただ物を持っているという執着からは
やっかいな機材ヲタしか生み出されないので私は早々に手放す
そこに後悔はなく寧ろ、今の自分には必要がなかったのだ
と氣づくことができる
その自覚があると必要な時に物の方から自分のもとに引き寄せてくる

物の良し悪しは使うことで知り
たくさん使うことで目利きになり感性を成長させていくので決して無駄にはならない
物を知ればほかの事にも通ずるので人生の肥やしになる
是非皆さんも物で感性を養ってほしい






日々の事、カメラの事、写真の事を記事にしています。ご興味がそそられればよろしくお願いします。