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私には言葉にすることしかできない

映画の中で銃の音が鳴ったとき、これを本当に聞いている人がいるのかもしれないと思ったら怖くなった。

それから、ふとした瞬間に気持ちがざわざわするようになった。

家でひとりになると、決まってざわざわした気持ちになる。悲しい、というより落ち着かない。自分の感情がよくわからない。他に考えることがないから考えてしまうだけかもしれない。

この気持ちを言葉にしたいと思いながら、言葉にして出すことすらためらっている自分がいる。

私には、今起きていることを分かりやすく伝えることもできないし、怖い思いをしている人を助けることもできないし、大きな声をあげることもできない。そもそも何を言ったらいいかわからない。辛い思いも苦しい思いもしていない自分が何かを言っていいのかも分からない。何回考えてもわからない。

1日のほとんどの時間は、何も考えずにすごしている。でも、今どうしようもなくもやもやしている。私にできることなんてない、とも思うけど、この気持ちを言葉にしたいとたしかに思っている。言葉にしたいいちばんの理由は、自分のもやもやした気持ちを無くしたいからで、結局は自分のためでしかない。どこまで行っても結局は自分のためにしか動けない自分に情けなくもなったけど、言葉にしたいと思うようになった自分の変化が少しだけ嬉しくもある。

SNSに投稿するのを少しためらうようになった。なんでだろう。たぶんこれは、もっと言葉にしたいこと、発信したいことがあるのに、それを無視している自分への違和感とか、今起こっていることに対して何も感じていないと思われたくないという気持ちとか、そういう色んなものがあるんだと思う。

小学生の時、原爆の日には必ず「平和」について考える授業があって、そこで感じたこと、考えたことを書いて先生に提出していたのを思い出した。

私は決まって、「忘れないこと、知ること、考えること、伝えることが大事だと思う」みたいなこと書いて文章を締めくくっていた気がする。あれから大きくなったけど、今の私にも結局それしかできないのかもしれない。

私は普段は見ないニュースを見るようになった。最初にニュースを見たとき、なぜ今こんなことが起きているのか、全く理解ができなくて、そんな自分が恥ずかしくなった。ただ、自分の暮らしている街で、望んでもいない争いが起こって、それに巻き込まれるなんてなんて理不尽なことなんだろうと腹が立った。

もし今、日本で戦争が起こったら。絶対に嫌だ。でも今の私は、文句は言えない、とも思った。選挙に行っていないから。自分で持っている社会を変えられる権利を使いもしなかった奴が、何かが起こったときに文句を言うのはなんか違うなと思った。選挙に行ってなかったとしても、自分の意見を主張すること自体にも価値は十分にあると思うし、戦争というもの自体がおかしすぎるので、戦争がもし本当に起こったとしたら「戦争反対」と主張すると思うけど、選挙に行かなかったことを後悔はするだろうなと思った。

今、ここまでの自分の文章を読み返して、これを書いてどうするんだろう?と思ってしまった。どうするんだろう。

たぶん私がこれを言ったことで変わる何かなんてないんだろうとは思う。ただ、これは確かに、今の私が感じていることだ。

恐怖なんか感じずにただ笑える瞬間がみんなにあってほしい。早く、日常が戻りますように。

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