20220127ワークショップ③豊平
開催日時:2022年1月27日 13:30~15:30
場所:グレイスヴィルまいづる-東京(Zoomオンライン)
内容:
0 ストレッチ
1.にらめっこの顔の動きでストレッチ
2.砂連尾さんと全員でにらめっこ
途中から浦岡さん(グレイスヴィルまいづる職員)のドラムと合わせて。
にらめっこの歌は仲井さん(グレイスヴィルまいづる看護師)
3.一対一でにらめっこ
4.一人一人に感想
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豊平豪(文化人類学・torindo)
砂連尾さんと浦岡さんが書いてくれたように、今回のとつとつオンラインは「にらめっこ」。画面上では砂連尾さんと入居者が一対一。
もちろん、相手はほとんどが認知症有症者の入居者なので、砂連尾さんが一生懸命に「おもしろい顔」や動作で笑わそうとしたとて、相手がそれに合わそうとしているのか、していないのかすらわからない。
おもしろい顔をしている人もいるし、砂連尾さんの真似をする人もいるし、完全に無表情な人もいるし、嫌悪感のような表情を浮かべる人もいる。たぶん何も知らないでのぞいた人は、砂連尾さんが独り相撲をしているように思えるだろう。
確かに楽しんでもらっているかは相変わらず不明瞭ではあるけど、職員の仲井さんや浦岡さんに感想を聞いてもらうとみんな満足気だった。
不思議だけど、これはとつとつで常に起こっていることだ。
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施設における、職員と入居者(利用者)の権力勾配のことを思う。「権力勾配」が強すぎるのなら、明確な役割分担といってもよいかもしれない。
職員は介護者であり、入居者は被介護者。
職員は健常者であり、入居者は認知症者、障害者。
それが意識に上がってくることは普通はない。職員はサービスをする側であり、入居者はサービスを受ける側。金銭の授受があるのだから、それは当たり前だし、よいも悪いもない。
サービスは職員側から流れ出て、入居者がそれを受け止める。レクリエーションの時間も基本的にそのような役割の配置は揺るがないように思える。
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砂連尾さんだって、例外なく、ダンサー・振付家として、ワークショップを「振り付け」ている。そういう役割で配置される。
でも、ワークショップでの砂連尾さんの振る舞いをみていると、役割が融けていく時間がある。少なくともグレイスで行われるとつとつダンスワークショップではそうなることが多い(もちろん何回かに一回くらい「ならない」こともある。そのときはなんだか消化不良感がある)。
今回の「にらめっこ」も僕が観察していると、砂連尾さんが必死に面白い顔をしつこく、しつこく続けている内に、入居者がその役割をあきらめる瞬間がくる。
「なんなのこの人はもうしょうがないわー」って具合に。
自分が「大人」として入居者という役割をしっかり果たしているのに、
砂連尾さんが子どものようにあまりにしつこく(でもやわらかく)迫ってくるから、役割を超えて「どうしようもない砂連尾さん」に付き合ってくれる。
終了後に、いつも砂連尾さんにもっとうまいワークショップのやり方を教え続けるAさんとかはそういうことなんだと思う。「あんたはもっと最初から相手をひきこまないかん」って繰り返している。
そこではもはや振り付けているのは入居者になる。砂連尾さんの動きを真似しているようにみえているKさんも、実はしょうもない砂連尾さんに付き合ってくれているのかもしれない。
職員の人たちも、画面の向こうから必死に働きかけてくる砂連尾さんを入居者に届けるために、砂連尾さんと同じく入居者に振り付けられる側に立っている。
「振り付ける」ことは能動的な行為だ。
入居者はなによりそれが楽しいんだと思う。
ワークショップの短い時間だけ、これまでとは逆に、何かが入居者から職員と砂連尾さんに流れはじめる。そのうち役割自体もとろけていく。
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ともかく、砂連尾さんのにらめっこは今回もいつも通りしつこかった。
砂連尾さんのとつとつワークショップの常として、「もう十分じゃないの」とぼくが思うところから、さらに踏み込んでいく。そのとき時が止まるというか、空間が砂連尾さんと相手と媒介する職員たちの世界にぎゅうと集約されて緊張感が満ちる。
それはもうダンスの舞台を観ているようだと思う。
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