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20220523ワークショップ③豊平

開催日時:2022年5月23日 13:30~15:30
場所:グレイスヴィルまいづる-東京(Zoomオンライン)
内容
1.ストレッチ
2.歌を唄う→動物と動物語で話す(浦岡さんがギター)
 2-1『七つの子』(カラス、なぜ鳴くの~)
   唄った後、カラスマスクの砂連尾さんとカラス語(かあかあ)で会話。
 2-2『かえるの合唱』(かえるのうたがきこえてくるよ~)
   唄った後、カエルマスクの砂連尾さんとカエル語(げろげろ)で会話。
 2-3『お馬』(おうまのおやこはなかよしこよし~)
   唄った後、ウマの鳴き声がどんなのかみんなに聞く
   ウマのマスクの砂連尾さんとウマ語(ひひぃーん)で会話。  
   ウマ語で「お馬の親子」歌う。 
 2-4『ぞうさん』(ぞうさん、ぞうさん、おはながながいのね~)
   ゾウの鳴き声を動画で確認→ぱおーん
   ゾウのマスクの砂連尾さんとゾウ語(ぱおーん)で会話。
   『ぞうさん』をゾウ語で歌う
   ゾウさんのことばを一人一人聞き取ってみる。
 2-5 『はと』(ぽっぽっぽー、はと、ぽっぽー)
   ハトの鳴き声を動画で確認→ぽ、ぽっぽー
   ハトのマスクの砂連尾さんとハト語(ぽ)で合唱
3.砂連尾さんがいろいろなマスクを変えながら、それぞれ動物語で話しながら踊る。みんなそれに合わせて身体を動かす。時折、個人に話しかけたり(ex,「Yさん、ぱおーん」「Kさん、ひひぃーん」)。   
4.感想をきく

***
豊平豪(文化人類学・torindo)

 今回のワークショップの詳細については、砂連尾さんの記録にゆずるとして、ざっくり内容を描くと、すごくリアルな動物のマスクをかぶった砂連尾さんと認知症の人が、動物語で歌ったり、話したりしてみる、というものだ。

 これだけ書いてみると少し心配になってくる。大の大人が「かあーかあー、ぱおぱお」言い合っているのは、絵面だけみると、認知症の人を馬鹿(からかっている?)にしているようにもみえる。もちろん砂連尾さんは真剣だし、浦岡さんも真剣だから、関係性を知っているとそんなことがないことはわかるけど、「アーティストによる弱者の搾取」なんてつまらないことが瞬間頭の中をちらつくこともある。怒られりゃしないかな、と思ってしまうわけだ。

 事実、浦岡さんの話にでてきたKさんは、今回のワークショップの感想を聞くと「帰りたい」「こんなのはもう結構です」とかなり口調強めで応えていた。

 「やっぱり怒らせたか…」と、僕は企画側(どちらかというと)としてすぐ落ち込んでしまうわけだけど、臨床哲学プレイヤー西川勝さんの見立ては違っていた。

「Kさんはまだ施設に来たばっかりじゃないか?」(事実入所したばかり)

「Kさんが帰りたいといってるのは自分の家のことだ」(施設職員さんによるといつも自分の家に帰りたがっている。ぼくはグレイスヴィルまいづるの部屋のことかと思った)

 西川さんは、「起こったことを丁寧に観ること」が大事だという。丁寧に観ると、Kさんのくやしさがみてとれるというのが、西川さんの話だった。

くやしさ

 ビデオを見返してみると、確かに、Kさんは砂連尾さんのやっていることがわからない、理解できないことに、涙を流さんばかりにくやしがっているようにみえる。できることができなくなっていることにくやしがっている。

 一方、別の参加者のBさんは本当に自然に楽しそうに歌って、踊っている。西川さんはこのBさんのこともするどく見抜いていた。

「この人は何かやっていたのかな」(Bさんは踊りの先生だった)

「自分を捨てること、自分ではない何かに変身することを恐れていない」

 Bさんは、どうやら言語的に理解できないことを身体的に理解できるのかもしれない。そこには踊りも関連しているのかもと思う。

 もちろん、KさんとBさんの認知症の進行具合や種類にも依るのだと思うけれど、何より感心したのは西川さんの観察する力だ。昔、西川さんから薦められた麻生武(あさおたけし)さんの『「見る」と「書く」との出会い:フィールド観察学入門』には、丁寧に事象を観察することの必要性、意味性について、事例を基に、それこそ丁寧に書かれていたけど、今回、あらためて自分に観察が足りていないことを深く感じることになった。

 決めつけないことをいつも自分に課しているつもりなのに、気が弱くなるとすぐ安易な決めつけに逃げてしまう。

 丁寧に、丁寧に、とつとつと目の前に起こっていることに向き合っていきたいものです。

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