さらけだしについて思うこと
夫(旦那と呼ぶか夫と呼ぶか、はたまたちがう呼び方をするかの答えはなかなか出ないけど)が、
この前、スマホを海に落っことしてきたんです
それで、色々手続きをするのに私のスマホを貸したの
パスワードなんかも教えて、自由に使えるようにしてさ
やましいことなんか、ありゃしないんだけど
もうスマホ(=私の頭の中)くらいに頼っちゃってるから、オープンにしていいの?
みたいな気持ちには一瞬なった
次の瞬間
いや、夫はそんなに興味ないだろ〜
と思って
「自由に使ってね」と言ったけど
当の本人は遠慮してた
夫婦といえど、自分とちがう人の頭の中のぞくのは躊躇するもんだね
頭の中といえば…
色んな人に、家族のことをエッセイに描いて大丈夫?
と言われた
心配してくれたんだと思う
だけど、やっぱりセンシティブな話題で相手に気を遣わせてしまったんだと反省した
や〜
私が相手でも、こんなプライベートの感情さらして大丈夫なの?と思うもん
みんな自分を曝け出しまくって生きてたら、精神持ちませんわな
そして、受け取る方もそりゃ重いよね〜
重いよ〜…申し訳ない
でも、私は排出系で
ふだんの思いを出さないではいられない性分なのだ
そうやって昇華して生きてきたから、今更変えられなかったり
もちろん、自分やモデルの人々を傷つけずに描くことは意識してる
それこそ、色んなエッセイ描く人に聞きまくったけど、
「少し前の自分に向けて描く」
のがよいらしい
自分の核の一番柔らかい部分とか、それこそ懺悔したいこととか、そりゃ色々あるけど(皆それぞれあるよね?ね?)
そういう、今、現在の
生々しいとこは一旦寝かしといて
もうある程度解決したことを
過去の自分に教えてあげるように描くんだって
その際、個人情報とか時間系列とか
登場人物でいうと
年齢、病歴、はたまた性別を変えちゃうのがいいらしい
もうそうすると、別人の話になります
そうすると、描く自分にも
「客観的なもう1人の自分」
が生まれて
う〜んと描きやすくなる…らしい
なんだけど、
私はそれはそれで事実と脚色のちがいで頭がごっちゃになる感覚もあった
記憶がわけわかんなくなるというか
うそつくと頭悪くなるよ〜
っての本当だと思う
とはいえ、作品にするなら読みやすくするために
脚色は必要!なんだよなぁ…
今日も葛藤しながらエッセイを描いています
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