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詩集刊行にあたって自己紹介。詩のこと、美術のこと、病気のことなど。

田中重人と申します。
詩集の刊行にあたり自己紹介を書いていたら、妻が「インタビューしようか?」と言うので、それも面白いかもしれないと思い、以下自己紹介のようなインタビューを掲載します。よければ最後までお読み下さい。


ーどんな詩集?

簡単に言うと家族の日常賛歌。
平易な言葉で日常をうたった詩を全部で37篇(※)収録してる。

修辞的だったり装飾的だったりする文学にはもともとあまり関心はなかったのだけど、病気(後述)して生きるのに精一杯な時期があったから、余分なものが剥がれ落ちて本当に単純なものだけが自分の中に残った。それと娘と毎日一緒にいて、シンプルに色んなことを楽しんでる姿をそばで見ていたら、あまり難しいものにリアリティを感じなくなってきてる。だから今は技巧的な詩より短くて平易な文体で表現できることに関心がある。

(※)全37篇の目次

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ー詩集が完成して思うところは?

大学時代に現代美術を学んで、美術家として活動したけど、24歳で活動をやめた(後述)。それ以来、長い間、作品と呼べるものを発表していなかったから、久しぶりに自分の作品が人の目に触れることにすこし気持ちが高ぶっている。自分にとって「普段のコミュニケーション」と「作品を介したコミュニケーション」は別物で、作品では、自分でも言葉に出来ない”感覚”的なことをダイレクトに届けられるから、読んでくれた人がどんな風に受け取ってくれるのかすごく楽しみ。あらためて自分には「作品」を介したコミュニケーションが必要なんだと感じてる。

ー美術で作品を作ること、詩で作品を作ること、違いはあった?

美術も詩も自分にとっては同じくらい面白い。だけど、若い時にやっていた美術は、コンセプチュアルアートと言って、実際に手を動かすことより、コンセプトを考え抜く方向の作品を作るようになっていたから、物作りをするという根本的な喜びが満たされなかった。今考えると、教養も何もなかった自分がどれだけ頭をひねらせてコンセプトを考えても内容のある作品など作れるわけがなかったのだけど無理してやろうとしてた。詰まらないことをやっていたと思う。それにやる以上は一流にならなきゃ意味がないって思ってたから結構なプレッシャーがあって。

一方で詩は、自分のリアリティにフィットした平易な形式を見つけられたから、書くことは身の丈にあった「本当のこと」を発見したり確かめたりすることだった。それはすごく楽しいことで、色々書くうちにどんどん詩が溜まっていった。その結果として詩集を編むことになった。美術は胃潰瘍になりながらやっていたけれど、詩はもっとヘルシーにやれてる。

ー若い頃に美術を始めたのはなぜ?そしてやめたのはなぜ?



自分はすごくさめた子供で、家庭環境の影響もあったかもしれないけれど、子供らしい子供じゃなかった。さめた目に映る特有の世界があって、それはあまり誰とも共有できなかった。誰もそんなリアリティでは生きてない感じがして。だから友達はいたけどなんか孤独で。でも、高校生の時、学校の図書館でイマヌエル・カントの本(タイトルは失念)を読んだ。そしたら、自分がリアルに感じることが、そこここに書いてあって、めちゃくちゃ感動して、ああ自分は間違えてないのかもしれないと思って救われた。

ちょうど進路を考える時期で、とはいえ哲学者になるなんてことは発想もなくて、どうしようかと迷っていたら、当時のガールフレンドが芸大を受験すると言ってて。「?」「芸大?」「何それ?」ってなって、詳しく教えてもらった。めっちゃ面白そうな世界だった。手を動かして何か作ったり絵を描いたりするのは元々好きだったし、どこか哲学に通じるような気もしたので、その道に進もうと思った。でも、それもう高校三年生のときの話で、デッサン入試の準備ができなかったから、デッサンの試験がない一般の大学のデザイン科に入った。それで半ば独学で美術を学んでやり始めた。


だけど、24歳の時に辞める事になった。自覚してる理由は二つあって。一流になるという目標に相応しい生活や制作活動をするのが想像以上にハードで経済的にも精神的にもキツかった。今思えば一流になるだけの胆力が備わってなかったと思う。

もう一つは、半端に器用だったから、それなりの作品が作れた。デビュー作からいきなり結構な金額で売れたり、批評家からも評価をもらって、作家として売れはじめていた。でも、ただ器用なだけで、作品に内容がない。そもそも教養がない。人類の歴史も知らなければ、古典も知らない。こんな状況で売れて知名度がついてしまったら、行くも地獄、退くも地獄で、下手したら切羽詰まって生きることから逃げるんじゃないかっていう恐怖を感じた。それで散々悩んだあげく辞めることにした。

ー東京で暮らしたことがあるんだよね?

美術をやめてすぐに上京した。心機一転、東京で働きながら、歴史の本や古典を読む生活を十年くらいしようと思った。実際そんな生活を送った。給料のほとんどを本の購入費にあてて。途中、小説を書いたりもした。そうやって暮らして、気付いたら34歳になっていた。本当に十年が経っていた。それでどうしようかと思っていたら3.11の震災があった。震災の2日後の日曜日、テレビを見ていたら福島第一原子力発電所の爆発映像が流れて。でも会社員だったから、翌日の月曜日、仕方なく会社へ行った。自分の命に関わることかもしれないのに、会社の指示に従っている自分がすごく嫌になって、翌年仕事を辞めた。特に東京にいる理由がないから地方へ行きたいなと思い始めて。それで、やってきたのが徳島だった。

ー病気について

徳島に来て三年目、だから今から六年前くらいかな、結婚してあなた(妻)の妊娠中に突然パニック障害を発症した。世界が見えたり聞こえたりするという当たり前のことが気持ち悪くて吐き気がして、文字の読み書きも吐き気がしてできなかった。なんにもできなくなった。発作が起きたら、体が痙攣して、息が苦しくなって、意識が遠のいて、ぐったり倒れこんだ。そのうえ、悪いことに双極性障害という病気も併発してしまって。これは昔でいう躁鬱病で、ひどい鬱状態に陥って、意欲という意欲が奪われて何もかもする気力がなくなった。そのうえ鬱特有の症状として体がいたくて、どうしようもなかった。そんな日々が五年近く続いた。もうほんと地獄で。でも家族も地獄やったと思う。大変すぎてあまり細かいことはもう思い出せない。

とにかく、気の遠くなるくらいしんどかったのだけど、なぜか、ふたつだけできることがあった。ひとつはサイクリング。徳島県の石井町という場所の風景が地元の風景と似ていて、どこか懐かしくて、そこを自転車で走る時は発作がなくて、落ち着いた気分になった。もうひとつは、文字の読み書きが少しずつできるようになってきたときに、詩を書けるようになった。詩を書いているときは、これもなぜか発作がでなかった。

―どうしてその時に詩だったんだろう?

不思議だよね。今までやったことなかったのに。でも一応理由はあって。菊池成孔(きくちなるよし)さんが「粋な夜電波」っていうラジオやっていて。療養中によくそのラジオ(YouTubeのアーカイブ)を聴いていた。ある日の放送で、アントニオ・カルロス・ジョビン(ボサノバの創始者のひとり)が神経症に苦しんで、長い闘病生活の末、回復したことを紹介していた(※)。その復調の兆しが現れたのが「三月の水」って曲で、その曲の歌詞が紹介されていた。それがすごくよかった。それで自分も書きたいと思って、サイクリングしている田園風景を歌った「三月」っていう詩を書いた。それがはじまり。案外それが良い詩で。もしかしたら自分は詩でまた表現の世界に戻れるかもしれないって思った。それですこしずつ書き始めた。

(※)実際に聴いたラジオのアーカイブ。



その後、たまたまツイッターで、批評家で詩人の若松英輔さんが主宰している「木蓮賞」という詩の賞があることを知って、「たやさぬように」(詩集に収録)っていう詩を出してみた。そしたらそれが大賞をいただいて。なにか、これからも詩を書き続けなさいと若松さんからおっしゃっていただいたような気がして、それで今も続けている。もちろん単純に楽しいから続けているのだけどね。

ー本棚に詩の本が増えたけど影響を受けている詩人は?

八木重吉。これは何回でも言いたい、八木重吉。彼の短詩に感動して同じように短い詩を書くようになったし、平易な表現のルーツも彼の詩業にある。彼はある詩集の冒頭でこんなことを書いている。「私は、友が無くては、耐えられぬのです。しかし、私にはありません。この貧しい詩を、これを読んでくださる方の胸へ捧げます。そして、私を、あなたの友にしてください」。これを読んだとき、この人は一生の友だと思った。百年近く前に若くして亡くなった詩人だけど、今でも彼の詩は瑞々しくて滅びない。だからたくさんの人に読んで欲しい。そして、彼を友にして欲しい。彼ほど誠実な友はないと思うから。

ー美術の作品も少しずつ作り始めたね?

そうだね。ある頃から手を動かして美術の作品を作ることもリハビリになった。といっても若いころにやっていたような頭でっかちな作品はもう作らない。もっと純粋に手を動かす喜び、空間を作る喜びを味わうためにやってるから、詩と同じようにヘルシーにやれてる。今は廃品を素材にして立体作品を作ったりドローイングを描いたりしてる。

1作品

作品2

3作品

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―詩について、今後は?

やっぱり自分が病気していたときと同じように、苦しみながら命がけで生きている人が世の中にはたくさんいて、そう言う人たちの苦しみや悲しみが、この社会を底の底で支えていると思う。使命というと大げさかもしれないけれど、自分はそのことを歌いたい。

ー「いのり」っていう詩があるよね?

そう、一編だけ病気の苦しみについて書いた詩がある。詩集の「”あとがき”にかえて」に掲載しているから、買った人にはぜひ読んでもらいたい。「いのり」に続いていく詩が第二詩集になっていけばと思っている。


最後までお読みくださりありがとうござます。
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