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手帳の中で見える心の散らかり

おはようございます。日曜日の朝。
ゆっくりとしたスタートの中、何を書こうかなと思案していました。

そしてふと自分の手帳を見て、感じたことを書き残したくなり手帳の振り返りについて書いていこうと思います。

手帳を書くのが習慣になり、書き出すことで頭の余白ができ、自分では気づかなかったことに気が付く面白さにすっかり魅了されているこの頃ですが、
ここのところ、書けない病?に陥っていたことにも気づかず、気がつけば1週間過ごしてしまい、今日は心をリセットするつもりで、noteに気づいた点を書いていこうと思っています。




気づき① 手帳は、「私の心そのもの」

忙しい・暇、という現実的な慌ただしさではなく、心がざわつきふわふわしている時と、心が定まり今に集中している時の手帳の書き方があまりにも違う。

どう違うのか。
心のざわつきがある時には、字が滑っています
何に急ぎ、何を記したかったのかがわからないほど(笑)

忙しくても、心が定まっている時には、字も定まった字を書いています。
一文字一文字に力があり滑っていない感じ。
まさに心も同じです。

心が定まり、今何する時間なのか、考えることに心が定まっている日、
心が散漫で、心の感じたままふわふわとしている日は、字も書いていることもふわふわしています。

このふわふわした感覚を収めるには、儀式を使うと学んだことがあります。
例えば、「珈琲を飲む」儀式にして珈琲を飲んだら一度内観する。みたいなかんじでしょうか。
ふわふわした心になっていると感じたら、儀式を使って心を沈めることを試してみたいと思います。


気づき② 心が散らかっている時には、ただ書いているだけになる

私の手帳の書き方は、今日やりたいこと(理想)やった後の気持ち(感情)最後に今(まだできていない自分)を書いています。

理想が実現した時に味わう気持ちを書くことで、近い未来の気持ちを味わいます。
以前の手帳では、理想の行動(タスク)だけを書いていたのですが、味わいたい「感情」を書くことで、動くための動機づけが強くなることがわかり、取り入れているのですが、心が散らかると、気持ちを味わうのではなく書くだけ。になっていることに気がつきました。

人生は行動と感情が重なった経験を体験するためにあるという言葉があります。手帳で擬似経験ができる方法だと改めて認識し、書きながら今日の予行演習している気持ちで書くと、書くことに集中できるのかもしれません。



気づき③ 心が散らかっている時には「振り返り」ができない。

心が散らかっている時には、一日の行動がふわふわしているので、「振り返り」という「最後の締め」ができないのです。
やりっぱなしの生活になり、手帳の効果は半減します。

ただ、毎日アップグレードという向上心ばかりだと疲れるものです。
そんな時には、体と心がブレーキを踏んでくれていて、休ませてくれているという捉え方をしてみようと思います。



気づき④ 心が散らかっている時には、手帳に「向き合えない。」

心が散らかっていると、手帳に向き合えず、書くことが雑になる。こと。
そしてこれが長く続くと、手帳から離れてしまい頭の中が散らかります。
そして、手帳のアウトプット習慣が途切れてしまいます。

この経験を何度か経験した私は、少々手帳から離れてもOKと自分に許可しています。こうすることでいつでも手帳と向き合い直すことができ、リスタートできるようになりました。



最後に。
誰にやれと言われていることでもないのに、楽しく書いているつもりでも、書けない時もあり、楽しくないと感じる時もあります。
この記事を書いて、「書けない」という状況を「観察」し、自分の状態を知るアイテムにしようと。

心が書くことに向かなければ、書くことを放棄し、外へ出かけ空を見上げ体を動かしたり、新しい場所へプチ旅行でもするなどして、心を喜ばせることを優先する時期なんだと。

こんな風に「できない」と感じていることを手帳から見つけて、心がしたいことに目を向けて、書くということから離れて、正反対の行動をすることで、書きたいを待つのも良いのかもしれません。

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