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実験のこと

理科という教科を暗記教科と思う生徒が多い。場合によっては、塾の先生にもそういう人がいるかも知れない。教科書に出ていることさえ覚えれば良いという人も少なくないのではないか。

自分が受けた中学校での授業。担任の先生が3年間理科の若い先生だったにもかかわらず、その先生の授業は全く記憶に残っていない。理科室に入った記憶といえば、卒業アルバムに使う写真を撮るときだけだったのではないかと思う。当時、各学年6から7クラスもあったので、考えてみれば理科室の割り振りもほとんどなかったのだろう。当時、教科書は1分野と2分野に分かれていて、2分野の授業は教頭先生がやってくれた。唯一覚えているのは、表紙に載っていた丸い写真の縁を使って円の中心を求める方法を求めるにはどうするかを教わったことだけ。

高校では生物、地学、物理、化学の全てを履修した。生物の先生の口癖は「これ、全部覚えるんですよ!」、暗記しなさいと言わんばかり。地学の先生は面白い授業をしてくれていたが、覚えているのは「アイソスタシー」くらい。物理はひたすら問題を解き続ける授業だった。化学の先生はおじいちゃんのような先生、丁寧な言葉で「お分かりでしょうか?」とことあるごとに尋ねていた。化学の先生は、唯一、フッ化水素でガラスを侵食させるという実験をした記憶がある。

大学は化学科だったので、当然のように実験に追われる。高校まで実験らしいことなどやったことがなかったので、器具や薬品の扱いなどできるはずなく、実験結果の解釈どころではない。毎回レポート提出があるのだが、内容不足で再提出の嵐。物理実験などは、こうなるはずという結果を先に決めておいて実験をさもやったように誤魔化して、辻褄を合わせるような実験レポートを書いて提出したこともあった。そんなものは当然バレるわけで、再実験と相なった。基礎実験の他に、合成化学、有機化学、無機分析など、とにかく実験を叩き込まれた。成績は優良可で良か可。単位こそ落とさなかったものの、ギリギリの成績だった。

実験の大切さを教えてくれたのは、初任の私立高校の大先輩の先生。当時、今でいう教育困難校であった高校で、「毎時間、簡単なもので良いから実験をするといい。生徒が食いつく。」と言われた。演示実験を見せてもらったら、教科書に書いてある内容が目に見えるように理解できるようなものであった。

異動した学校では、「授業は必ず理科室でやるように」と教えられた。非常に大きな中高一貫の学校だったが、理科室は物理、化学、生物と中学校理科室がそれぞれ2つずつ。やろうと思えばいくらでもできたはずではあるが、教師用の実験器具でお茶を濁していた。

専門学校で水質分析を担当すると、さすがに実学教育なので、講義の内容を応用した実験指導が求められる。ましてや、正確さが命の分析技術を身につけさせるわけなので、プロの技を知る必要が出てくる。実際に分析の仕事をしている技術者に指導を受け、さまざまなことができるようになっていった。滴定やBOD,CODの測定はほぼ正確にできるように仕込んでもらった。学生たちに指導する際には、実際の事業所での作業と同様に行うことを求めた。また、講義で教えた内容との関連やJISとの対応をレポートでは求めた。3年間続ければ、そこら辺の大学生以上の分析技術を身につける、企業でも即戦力となっていった。

公立中学校に赴任してから、必ず理科室で授業、ほぼ毎回実験や実習という授業を続けている。多分、ここまでやっている先生はあまりいないだろう。でも、そうやっているから実験は好きだし苦にならない生徒が育ってくれている。暗記のテストはできなくても、実験せよという課題ならばいくらでもできる生徒が育っている。

よく、「理科の授業って大変だね。自分にはできないよ」とか「小学校でいちばん苦労するのは理科の実験だった」という先生がいる。多分、実際に役立つ実験の授業に出会ったことがないのではないかと思う。

自分は、「このことを見出させるにはこういう実験が有効だ」とか「この原理や法則を考えさせるためにはこういう実験」とまず実験を考えて授業を組み立てている。ICT機器が生徒たちの手元にも届いているので、効率的に結果の処理も可能だ。

実験をすると目の前で学習すべき事象や現象が現れるので、生徒はリアルなものとして考える。うまくいかないと、どうしてかを考えて求める結果にたどり着こうとする。最後にうまくいった時には、達成感とともに知識が自分のものとなる。

どんなことでも、自分の目で見たこと、自分で作り出したもの、自分で見つけたことがいちばん記憶として残るものである。だから、大変で手間はかかるけれど、授業では絶対に実験を飛ばすことなどしてはならないのである。

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