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自死を考えている人に対して私たちができることってなんだろうか?

芸能人の自死が続く中、テレビや新聞報道、最近ではネットメディアも含めて、それに関する話題とセットで、「いのちの電話」などに関する告知をするのが定番となってきた。

1人で悩まないで…、悩んだらこの番号へ

 影響力の大きい芸能人の自殺というニュースは、過去の事例を見るまでも無くファンによる後追いや、自死を考えている人にとってトリガーになりやすいといった危険があるので、こうした呼びかけ自体はもちろんやった方がいいと思う。

だけれどもだ。

 現実には「いのちの電話」をはじめとして、こうした自殺、自死を考えている人と向き合い、それを少しでも食い止めたいとゲートキーパーの活動をしている団体のほとんどで、人手もおカネも足りていない。そのため、実際にそうした悩みを持つ人が電話をかけたところで、一回で電話がつながることはまれである。

 メディアに関わる者として、電話番号や窓口があることを伝えるだけ…で何かをやった気になるのは虫が良すぎるのではないか?と感じている。

 格差が広がり、経済的に困窮する人も多くなった。また経済的には恵まれていても生きづらさを感じている人も多い。そこに今年はコロナという災厄が加わり、息がつまるような思いをしながら、なんとか生き伸びているという人も少なくない。

 報道を見て、いざ電話をかけてみたところで、ずっと話し中だとしたら…
とても繋がるまで待ってなんていられない人もいるはずだ。

 また「いのちの電話」の存在は知っていても、そもそもそこへ電話をかけるという行為そのもののハードルが高い。まして自死を選ぶ人の多くは孤独な人だったりもする。さらに若い世代では、電話や、直接会って話すコミュニケーションにそもそも慣れていないという人も多くなっている。そうした世代へ向け、LINEやSNSを通じたゲートキーパー活動なども試みられてはいるものの、そこまでたどり着けないという人も少なくないだろう。

 そもそも日本人はそうした「はっきりモノを言う」「言語化すること」が苦手という人も多い。そして、それを必要とせずとも生きられたのが村社会のよいところでもあった。ところが近年はグローバル化の中で、企業などが高いコミュニケーションスキルを要求するようにもなってきた。こうした点もそもそも「生きづらさ」を感じている人が増えている大きな要因だったりもする。

 私個人の話をすると、ここ数年だけでも、周りで何人も自死を選んだ人がいる。

家庭のこと、仕事のこと、あるいは病気、抱えていた悩みや理由は様々だったが、敢えてここでは触れない。

 ただ全員に共通しているのは、全員、なくなる直前に電話だったり、メールだったりで、周囲には何らかのサインを発していたということ。

 忘れられないのは、携帯の留守電に悲痛な叫び声を遺して逝ってしまった古くからの友人だ。よく酔っぱらって電話してくる人だったので、ああ、いつものやつかな? と思って聞いていくと、最後の数分は「なんで電話に出てくれないのよー」と何度も絶叫していた。

ちょうど飛行機で移動しているタイミングだったらしく、帰宅してからそのメッセージに気づき、折り返したときにはもう手遅れだった。

 他にもよく考えればサインは出ていたケースはいくつかあった。でも残念ながら気づけなかった。もしかしたら助けられたかもしれないチャンスは永遠に失われていた。

いくら後悔しても、いのちはもう還らない。

 もっとも自死を選ぶ人の多くが死にたくなるほどの衝動にかられて一線を越えてしまうわけで、そればかりはどうしようもない。あちら側にいくことで、いますぐ楽になりたいという人を最後は止められない。

 本人はそれでよいかもしれない。でも、大切な人、身近な人をそういう形で失ってしまった側には、ずっと消せない痛みが残る。

 なので、この種の報道に携わる人には「一人で悩まないで」と窓口の存在や電話番号を紹介するだけでなく、できれば、かけてもなかなか繋がらないこともあることや、それがなぜなのか? をわかってもらい、少しでもよくしていくために、そもそも自殺企図者と向き合うゲートキーパーの現状を伝え、それに対して、私たちがどんなことができるのか? についても取り上げてほしいとと切に願う。

 私自身もいまから10年前の話になるが、自死の問題に向き合う番組シリーズに携わり、「いのちの電話」をはじめ、全国各地でゲートキーパー活動をされている方はもちろんのこと、行政側担当者、自死を企図したことがある方、ご家族や身近な人を失った遺族、様々な人、様々な現場を一年間にわたって取材させてもらった。ちょうど若い世代の自殺者が増え、年三万人を下回らない…と問題になっていた頃だ。

 「いのちの電話」はもちろん、自死志願者が多くやってくる所謂「自殺の名所」と呼ばれているような地域で見回り活動などをしている場所にも通い、実際に現場を見させていただいた。

そこで感じたのは、まさに「命がけ」の現場であるということだ。

 自死を考える人に「いのちは宝」、「いのちを大切に」と正論を吐いても、まず通じない。そもそも死にたいほどつらい問題や理由、あるいは孤独をそれぞれが抱えているからだ。

 それをたった一回の電話や説得で解決できるわけがない。その場では思いとどまらせることができたとしても、根っこに抱えている問題や理由が解決するなり、進展がない限りは、結局はまた自死を考えてしまう。

 が、同時に、当人はそこまで思い詰めていたとしても、実は本当にその問題が解決できないのか? というと、そうでもないケースもたくさんある。それを親身になって、あるいは共に同じ場所に立ってあげることができるのか?

 もちろん中には思わず腹が立ってきたり、甘ったれるな!!と叱りたくなるようなケースも多い。ネットの掲示板やSNSで同じ内容が書かれたとしたら「自己責任論」で切り捨てられ、ボロクソなコメントが山ほどつくことだろう。

 ゲートキーパーは、どんなに我が儘で自己中心的な理由を聞かされようとも、決して怒らず、切り捨てること無く、相手の側に立ち、一緒に考えてあげなければならない。寄り添うとはそういうことなのだとゲートキーパーの方々から教わったし、それらは本当に命がけの覚悟と精神力、体力が必要だ。

 私の仕事が少しでも役だったかどうかはわからないが、取材の後、しばらく自殺者の数は減少傾向に転じた。しかし、最近、当時お世話になったゲートキーパーの方々に聞くと、その後、(現場の実感として)環境面ではたいしてよくなっていないと皆さんおっしゃっている。

  その理由として、そうした活動の現場を支えている人の多くが、無償のボランティア中心ということがある。しかも「いのちの電話」に至っては20か月もの訓練を受けないと、あの電話を受けることができない。

 そのため、必然的なことだが、電話を受けているのはどちらかといえば社会的にはリタイヤ後の高齢の方も多かったりする。コロナになって、まして今回の芸能人の自殺の影響もあって、電話の本数も増えているそうだが、皮肉なことにそのコロナが理由で電話を受ける人たちも感染のリスクから外出できないため、電話を受けるセンターに行けなくなってしまった。そのためさらに人手不足となり、電話の受付時間や曜日を縮小・制限しているところもある。

(厚生労働省の自殺対策関連予算そのものは、10年前と比べて、数倍に膨らんでいるのだが、問題は使われ方にあるようで、こうした団体への支援という面では実はほとんど増えていなかったりする。当時より強化されているのは行政のソーシャルワーカー増員など精神保険福祉面の対応のようだ。自殺者には、うつ病など心の病を抱える方も多いので、予防という意味では正しいのだが・・)

 この状況下で、私たちにできることってなにがあるのか? 改めて考えてみた。

 長期的には、ゲートキーパーの活動に対する理解を広げ、金銭含め充分な体制を作っていくなり、それができないのであれば、社会全体がそこに任せっきりにしない、みんなで支え合える体制を構築することが必要だと思う。

 そもそも日本の社会では、死に関することをオープンに話すことが憚られる風潮も強い。が、一方で「いのちを守る」ということは絶対の正義でもある。なのに、それが一部の人の自己犠牲で成り立っていて、その現実を無視して、美談ばかりしか伝わらないような状況にあることは健全ではない。しっかり現実と向き合い、話し合っていくことが必要だ。

そして、そこに繋げていくための一歩として・・

今日からでもお願いしたいのは、まず、他人に関心を持って欲しいということ。

SNSの時代に入って、特に感じることだが、「自分が発信」することだけがやたらとうまくなっているのに、他者の話に対する「聞く耳」、「読み取る力」は衰えているように思う。要するに「気づく力」を身につけてほしいということだ。

 それこそSNSでもいい、自分が友達だと思っている人が最近どんな書き込みをしているか、体調を崩していないか? 悩んではいないか?

そんなときにたった一言でいい。気の利いた一言でもやりとりをしてみてほしい。もちろん、そういうのウザいっと感じる人もいるだろうし、お節介だと思われたら・・と忖度する人もいるだろう。

 でも、中にはきっと、その一言に救われたり、気持ちが和らぐ人もいるはずなのだ。コロナが蔓延し、 #stayhome が呼びかけられてから早半年以上が過ぎた。自覚のある・なしにかかわらず、誰もがストレスや孤独を感じてもいる。

 「生きてさえいれば、きっとそのうちいいことがあるさ」というのも、最近はすごく無責任で脳天気な言葉のように感じられる。でも自分を誰かが気にしてくれている、見ててくれているという実感というのは、やはり生きる力の源なのではないかとも思う。

 それをみんなができていれば、莫大な予算をかけるより、ずっと効果的に自死を選ぶ人を減らせるはずだ。

 また怪我や病気をした人がそばにいたら、病院へ連れて行くなり、間に合わなければ人口呼吸をするなりといったことは誰もが知っているように、自死を考えている人がいたら、行政の福祉窓口へつなぐなり、ゲートキーパーへつなぐなり・・といったことを、誰もがわかっているような状態にまで持って行けたらとも思う。

 私たちにはもっとできることがたくさんある。まずはそう信じること、そして、できることからはじめること。いま必要なのはそこじゃないかな?

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