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50歳の50曲+2 セルフライナーノーツ編 1973-1979

自分の人生50年を振り返るプレイリストを公開してみたので、調子に乗ってライナーノーツまで書いてみました。

1980-89年はこちら 1990-1999年はこちら

(たわし)を応援したいと思う方へ
これまた人生はじめて amazonほしいものリストも作ってみました。
調子に乗ってすみません。
いま欲しいもの・いただけたら嬉しいものはこちら

1973年 「時にまかせて」 金延幸子

前年の72年に発売された彼女のファーストアルバム「み空」に収録。シングルでも発売されているが、テンポ・アレンジがまったく違う。こちらは細野晴臣さんが編曲したアルバム版(シングルは大瀧詠一編曲)

この曲の歌詞はまさに私の生き方そのもの。人生悩むだけ損だと、何かに行き詰ったときに聞き返したくなる。

1974年 「瞳を閉じて」 荒井由実
15歳上の兄が持っていたレコードを勝手に聞くことから始まった(たわし)の音楽人生において、たぶん一番回数を聞いたのがユーミンのセカンドアルバム「MISSLIM」だと思う。どの曲も体に染みついているが、どれか一曲となれば、長崎の五島列島の学生からのラジオ番組への投稿がきっかけで生まれたこの名曲を推す。現地に行って歌碑を見た時も感動したのを覚えてる。

1975年 「赤いハイヒール」 太田裕美
同じく兄のレコード棚にあった中から特にお気に入りで聞いていた一曲。今も繰り返し歌われる「木綿のハンカチーフ」に続いて、松本隆作詞・筒美京平作曲でリリースされたのがこの曲。ある意味、対となっている曲ともいえるが、(たわし)は実はこちらの方が好き(正確には翌76年発売)

1976年 「雨宿り」 さだまさし
このへんは自分が自主的に・・というよりも、兄のレコード棚からの選曲が続きます。グレープを解散してソロになったばかり、まだ髪の毛もふさふさな頃のさだまさしがソロ初期に放ったビッグヒット。まるで落語のような展開が印象に残り、幼稚園で歌っていたらしい。覚えていないけど

1977年 「やさしい悪魔」 キャンディーズ
世代的にはピンクレディーの方が印象深いはずなのだが、(たわし)はキャンディーズの方が印象深い。これまた兄からの影響だと思う。

この曲のあたりからは当時見ていたテレビ番組の記憶なんかもうっすら残っていて、吉田拓郎による大人びた曲とイントロの靴音、そしてセクシィーな衣装や振り付け の鮮烈さが改めて浮かんでくる。

さらに近年、ソロとなった伊藤蘭さんのコンサートで、はじめて生体験し、改めてこの曲の良さを実感

1978年 「てぃーんずぶるーす」 原田真二
このあたりからテレビっ子時代に突入。当時、テレビは一家に一台で、チャンネル権を奪い合うことが当たり前だったが、我が家は兄は大学生でサークル活動などで忙しく、あまり家におらず、父は出張族で週末しか帰ってこない生活だったので、ほぼ母子家庭状態。なので、テレビのチャンネル権をほぼ独占できたため、アニメや特撮などだけでなく、夜遅くまであらゆるテレビ番組を見ることができた。

中でもこの年からはじまった木曜夜9時の「ザ・ベストテン」や、水曜夜10時の「夜のヒットスタジオ」など歌番組はほぼ欠かさず見ていた。そんな中に飛び込んできたアフロヘアで、ピアノを弾き語りする原田真二の姿はそれまで見たことがない新しさがあり、夢中になって覚えた。のちに当たり前となるシンガーソングライターの時代の幕開けだったのだろう。

1979年 「銀河鉄道999」 ゴダイゴ
(たわし)が生まれてはじめて劇場で見た映画は、前述の兄に連れられて行った劇場版「宇宙戦艦ヤマト」第一作(1977)である。その頃の他の記憶、たとえば幼稚園の友達の名前や顔はほとんど忘れてしまっているのに、このときの記憶は鮮烈で、とにかくそれから「ヤマト」にどハマりし、そこから派生して松本零士作品「銀河鉄道999」にもどハマリした。そんな999が映画になり、しかも前年のドラマ「西遊記」主題歌の「モンキーマジック」、「ガンダーラ」の大ヒットで、(たわし)の心を掴んでいたゴダイゴが主題歌を担当!! まるでお子様ランチのような、スキなものだけを詰め合わせた夢のような組み合わせに大興奮!!

今のヒカリエの位置にあった「渋谷パンテオン」に忙しい親の代わりに叔母に付き添ってもらってみたこと、帰り道の東急東横線、これまた今は無くなってしまった「かまぼこ」型駅舎のホームが、まるで999のメガロポリスステーションのように輝いて見えたこと。この曲を聞くと、今もいろんなことを思い出す。

続きは1980-89 で


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